18.大阪市生野区巽東1の道標3(河内国内)

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大阪市生野区巽東1−14−16 巽伊賀ヶ公園北東の四辻の北西部に西を正面に建つ
尖頭型角柱 69x26x25.5p(頂高7p)(北面高72p)
N34.649234 E135.555149


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西面
┌─――――――――――┐
│右 信貴山〇     │
└―――――――――――┘
(〇の中に「山」様なものあり)

南面
┌─――――――――――┐
│左 大坂       │
└―――――――――――┘

東面
┌─――――――――――┐
│   冨士傳(吉)  │
│施主         │
│   秋葉善三    │
└―――――――――――┘
(「傳吉」を『大阪の街道と道標』は「倍六」)

北面
┌─――――――――――┐
│(なし)       │
└―――――――――――┘


(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、419)
(生野区中川、中川東迄が摂津の国で南の巽北に入ると河内国となる様で、河内の道標となり対象外であるが、調べ
 てみたので載せておく。『今昔マップ on the web』明治の地図では「伊賀ケ(イカガ)」と成っている。)
(西の「生野区巽東1の道標2」からここまでは僅か80mであり、案内する先もまるっきり同じである。集落中に
 屈曲が多く正しく通過する為に設けられていたと考えられ、この位置に有るのは不思議でない。「左大坂」は西を
 指し、「右信貴山」が南に進む事を示している。信貴山へは時代にもよるであろうが、南に折れた後20m程で又東
 に折れる道が信貴山への道であったと思う。現在ではこの東の道は巽東小学校の西で無くなっている。)
(南面の「左、大坂」の下に「道」があるとする方がバランスが良いかも知れないが、一応無しとした。石質の為か
 剥離が進み今後も気になる所である。)
(尚、前述の「生野区巽東1の道標2」と「案内先は同じであるが、施主の名前から、近世には遡らないと思われ、
 同じ頃に作られたものでは無いと思う。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を西に望む
 左端に当道標  左(西)大阪方面へ  奥(西)70m内環へ
 信貴山は右へ】  北、東は路地裏へ】  左は伊賀ヶ公園】

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【4.道標西面拡大 【5.道標南面拡大 【6.道標東面拡大
 「右 信貴山」  「左大坂」  「施主…」二名の氏名
 下部剥離】  巽東1の道標2へ】  が現代風と思う】

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【7.道標西面下部 【8.道標南面下部 【9.道標東面下部
 「山」の下〇に記号は  「大坂」  「冨士傳吉」
 「卍」ではない】  のみとしたが】  「秋葉善三」とした】

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【10.道標を東に望む
 信貴山へは公園南端で
 再び東折れする】

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【11.大阪市生野区の道標】
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