33.河内長野市原田3の晴明塚(道標ではない)

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河内長野市原町3-6 近鉄滝谷不動駅南、1号踏切西40m、東高野街道と府道202号交差点の東角に北西を正面に建つ
尖頭形角柱 133x32x31p(頂高6p)
N34.461858 E135.566205


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東面
┌――――――――――――――――┐
│晴明塚             │
└――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――┐
│ さかい            │
│     神南邉        │
└――――――――――――――――┘

西面
┌―─――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

南面
┌―─――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載)
(『神南辺隆光と関係石造物』月山渉、2012年発行では、大44)
(多分西高野街道沿いであろう。道の西側に石に囲まれた高さ60p程の土盛が有り、その上に建てられて
 いる。更に西側には地蔵祠が建つ。塚がどれであるかは分からなかった。)
(別項の「邊」「邉」問題に関しては、楷書で明らかに「邉」としており、施主等の記述は無いが本人の
 書いたものとして扱えるでしょう。安倍晴明に関する石碑とする。)
(神南邊関連の石造物は北に「楠町西の八十八ヶ所遙拝碑」がある。)

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【1.石碑を南に望む 【2.石碑を北に望む 【3.石碑を南西に望む
 奥、河内長野市街へ  奥(北)狭山池方面  石碑後ろに地蔵祠
 常夜灯横に当石碑】  当石碑の下が塚か】  これ等全体が塚か】

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【4.石碑を西に望む 【5.石碑東面の拡大 【6.石碑北面拡大
 常夜灯は明和7年  「晴明塚」とは  「さかい」
 1770年で石碑より古い】  何を示すのか】  「神南邉」と読める】

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【7.石碑北面下部拡大 【8.石碑北面「邉」部
 「神南邉」とした  「邉」は「邊」の
 楷書風である】  略体文字とある】

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