61.藤井寺市役所前道標

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藤井寺市岡1−1−1 市役所玄関南東前植込み中に南を正面に建つ
尖頭型角柱 100x26x15p(頂高2p)
N34.574039 E135.597421


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南面
┌─―――――――――――――――┐
│   ふしい寺かうや      │
│右ハ              │
│   よし能者せミち      │
└――――――――――――――――┘
(「能、者」は変体仮名「の、は」)

東面
┌─―――――――――――――――┐
│          片山    │
│元禄十四辛巳九月吉日      │
│           浄恵   │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│   なら           │
│左ハ     ミち       │
│   かうり山         │
└――――――――――――――――┘

(元禄十四年(辛巳)九月1日とすると、西暦1701年10月2日日曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、29)
(東隣りに解説の石板があり、その内容を載せて置く。
 『元禄十四年銘の道標』
  この道は、長尾街道と呼ばれ、堺市の方違神社から田尻峠を
 経由し奈良県葛城市の長尾神社に至る道です。
  道標は、元禄十四(1701)年に、ここから西へ200mほどの南東
 角に建立されたものです。大阪府下でも古く大変貴重な道標で、
 ここに移築して公開することにしました。
  道標には、右手に向かうと葛井寺、高野山、吉野、長谷寺へ
 至り、左手は奈良、大和郡山への道であることが刻まれていま
 す。長尾街道が参詣道として、多くの人々で賑わった往時が偲
 ばれます。
 [正面] 右ハ ふじい寺 かうや よしの はせミち
 [左面] 左ハ なら かふり山ミち
 [右面] 元禄十四辛巳九月吉日 片山浄恵
 と書かれています。)
(上記の説明でほぼ問題はないと思います。少しだけ追加するなら。元位置は、現在の岡1-12-34
N34.573697 E135.595192
 の四辻南東角に、現南面(正面)を北西面させ、北から来た人には両面、現西面(左面)共見える様に
 置かれていたと想像する。
  又、西面(石碑の左面)読み下し「左ハ なら かふり山」を「…かうり山」としました。多くの人
 に愛され、触られた為、案内のある二面は非常に滑らかになっており、「右ハ」「左ハ」等は見え難い
 状態になっている。)
(元位置辺りの旧道の様子は『今昔マップ on the web』明治の地図から想像してみて下さい。)
(東面にある「片山」は『天保河内国絵図』にある安宿部郡片山村とすれば、今の柏原市片山町辺りと思
 われ、了雲寺の住職等を当たれば「浄恵」も判明するかも知れない。)
(西「藤井寺山田1の道標」に繋がる。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を西に望む
 奥(東)に長尾街道  上部は手で触られ  右後ろは藤井寺市役所玄関
 左は市庁舎】  ツルツルである】  左奥から蛇行する長尾街道】

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【4.道標を北東に望む 【5.道標南面上部 【6.道標南面下部
 元位置にあって南行して  「右ハ」「ふしい寺」  「ふしい寺かうや」
 来るとこう見えたか】  「よし能…」とある】  「よし能者せミち」】

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【7.道標東面上部 【8.道標東面中部 【9.道標東面下部
 「元禄十四…」  「十四辛巳九月吉…」  「片山」
 と読める】  「辛巳」は横に書く】  「浄恵」とした】

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【10.道標西面上部 【11.道標西面下部 【12.東横の説明石板
 「左ハ」「なら」  「なら」  長尾街道と紀年、移設、
 「かうり」とした】  「かうり山」「ミち」】  読下しが書かれる】

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