60.藤井寺市小山1の道標

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藤井寺市小山1−7−18 東行する長尾街道が突当り南に折れる三ツ辻東部に西を正面に建つ
(藤井寺小学校北西100m辺り)
角柱 93x24x25p(上部に幅5、深さ7pの十字溝)
N34.576866 E135.593792


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西面
┌─―――――――――――――――┐
│     道(明寺)      │
│右ハいせ            │
│     葛(井寺)      │
└――――――――――――――――┘
(「ハ」は小さく右寄りに)

南面
┌─―――――――――――――――┐
│村内安(全)          │
└――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――┐
│世 伊勢講           │
│話     中         │
│人 金毘羅講          │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│慶応三卯天十二月吉(日 建之) │
└――――――――――――――――┘
(( )部は大阪の街道と道標より)

(慶応三年(丁卯)十二月1日とすると、西暦1867年12月26日木曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、28)
(上部に十字型の深い切込みがあるので、多分常夜灯の竿部だけが残されたものと思う。)
(西から来て、この辻に突当り道標を正面に見て、右(南)に折れる道を「長尾街道」と呼ぶようで、堺から
 道明寺を経て府境に続くと大阪府史に載る。詳しくは「松原市上田の標石」参照。
  依って、その主な目的地のみを案内するだけの道標である。主要道が南折れする事さえ分かれば、良しと
 したものでしょう。
 元、常夜灯と思われ上部が失われた他、下部の台石等も無くなった為か、竿部も深く埋められており下部が
 読めなくなっている。『大阪の街道と道標』1999年刊では、高さ120pとあり当時より30pは埋っている。
 その部分に書かれていた内容を補足して書き加えた。)
(旧道の様子は『今昔マップ on the web』明治の地図で推定できそうです。)
(東「藤井寺市役所前道標」に繋がる。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を北に望む
 右(南)に長尾街道  奥(南)藤井寺駅へ  奥、道なりに府道2号へ
 電柱左下に当道標】  街道は400mで東折れ】  左(西)、丹比高鷲原陵へ】

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【4.道標を南東に望む 【5.道標西面拡大 【6.道標西面下部
 西面「右ハいせ」の下  「右ハいせ」は  左右は「葛」「道」
 一字分だけ見える】  「右ハ、伊勢」】  と読んだ】

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【7.道標南面上部 【8.道標南面下部 【9.道標上部を西に見下ろす
 「村内」  「内安…」は  十字型の切込みは
 と読める】  「安全」であろう】  上部に石を載せる為】

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【10.道標東面下部 【11.道標北面拡大
 「伊勢講」「中」  「慶応三卯天十二」
 「金毘羅講」】  「天」は「年」と同じ】

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