62.藤井寺市国府2の道標

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葛井寺市国府2 旧長尾、東高野街道の交わる四辻南東部に南を正面に建つ
尖頭型角柱 69x21x20p(頂高5p)(下部5pセメントに隠れる)
N34.571500 E135.617993


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北面
┌─―――――――――――――――┐
│右 道明寺…          │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、93)
(大雑把に東西が長尾街道、南北が東高野街道であるらしい。両旧道の交差点となれば、失礼ながらもっと立派
 な道標があって然るべきと思うが、この道標は「道明寺」のみ案内する。北に「京」、東に「奈良」、南に
 「高野山」、西に「大坂」等を案内した道標は紛失していまったのでしょうか。
  因みに、グーグルマップでは一本東の道を「東高野街道」としているが、『今昔マップ on the web』明治の地図
 では、当四辻を通過しているのは間違いないでしょう。)
(北面の下部に文字の一部が見え「ミ」の様に見える。多分「ミち」とあったのではないか。又、下部の「寺」
 にセメントが付着しており以前はもう少し深く埋められていた様に思う。現在のセメントでの固定方法を見る
 と埋設部分は少なく、折損したものと思われる。上部の摩耗を考えれば、相当古い石の様に考えられる。
(西「藤井寺市役所前道標」に繋がる。)

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【1.道標を南東に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を北西に望む
 奥(東)に長尾街道  右下、長尾街道か  左(南)道明寺へ
 左右は東高野街道】  左奥、允恭天皇陵へ】  奥、長尾街道】

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【4.道標を南西に望む 【5.道標北面上部 【6.道標北面下部
 奥、府道12号と土師ノ里  「右 道明…」  「…道明寺…」
 第二踏切を越え道明寺へ】  と読んだ】  最下部は「ミ」か】

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【7.道標を南東に望む 【8.道標北面最下部
 下部は埋没ではなく  「…寺…」寺の上部に
 折れて無くなったか】  セメントが詰まる】

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