64.羽曳野市誉田中学校西の道標

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羽曳野市誉田6−6−30 誉田中学校西の三ツ辻北部に南を正面に建つ
尖頭型角柱 147x29.5x26p(頂高4p)
N34.562023 E135.612438


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南面
┌─―――――――――――――――┐
│右 道明寺玉手なら京      │
│           道    │
│左 八尾久宝し         │
└――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――┐
│  上之太子  王水町     │
│南     道  せ主     │
│  古うや     武右衛(門)│
└――――――――――――――――┘
(「古」は変体仮名「こ」)
(( )部は大阪の街道と道標より)

北面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│天保九戌年    浄西 信士  │
│      法名 妙春 信女  │
│三月吉日     諦法暢演信士 │
└――――――――――――――――┘


(天保九(戊戌)年三月1日とすると、西暦1838年3月26日月曜日となる。この年閏四月あり。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、94。)
(行先の確認。南面「玉手」は現柏原市の玉手町とし、道明寺の東石川の対岸、「なら」は「奈良」、「京」
 として何れも右、東高野街道へ進んでよし。
 「左 八尾久宝し」は「左、八尾、久宝寺」で、北西藤井寺市古室から大井を経て八尾方面とする。
  東面は、左右では方向を表せなかったとみえ、「南」と方角を明記する。行先は「古うや」は「高野山」
 「上之太子」は「太子町の叡福寺」とし、当辻では共に東高野街道を南進する事になる。)
 『天保河内国絵図』で探すが見つからず、柏原今町、柏原古町がある。
  『今昔マップ on the web』明治の地図でも当辻がほぼ現状ままに見える。)
(南面、施主の王水町は、現藤井寺市誉田3-2-4に「王水町会館」があり、この辺りであろうか。)
 『天保河内国絵図』には無く、誉田村の小字か。)
(西面の法名の三人目の読み下し「諦法暢演」は危うく、注意下さい。墨が流れて逆に見難くなっている。)
(北「道明寺東門前の道標」に繋がる。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を北西に望む
 右(北)東高野街道  正面、誉田中学校  左奥(北)沢田から
 左奥、藤井寺市沢田へ】  右奥、高野山方面へ】  新大井橋、八尾方面へ】

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【4.道標を北東に望む 【5.道標西面下部 【6.道標上部を北に見下ろす
 右の自然石には  法名の内三番目の  よく撫でられた為か
 東高野街道とある】  「諦法暢演」は怪しい】  スベスベである】

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