56.羽曳野市役行者錫杖水の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
羽曳野市駒ヶ谷246 竹内街道道西側、三ツ辻南部の八丁地蔵尊南側に東を正面に建つ
尖頭型角柱 121x30.5x29p(頂高6p)
N34.540022 E135.628551


写真kimg1128

写真kimg1132

写真kimg1173

写真kimg1138

東面
┌─―――――――――――――――┐
│役行者錫杖水          │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│      津本井       │
│右 金剛山 通法寺       │
│      上ノ太子      │
└――――――――――――――――┘
(「津本井」は変体仮名「つほい」)

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(座像)駒ヶ谷村        │
└――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――┐
│  堺神南邊隆光        │
└――――――――――――――――┘


(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、10)
(『神南辺隆光と関係石造物』月山渉、2012年発行では、大33)
(北面の行先「右、金剛山」は現、奈良県御所市にある転法輪寺か葛城神社として問題ないでしょう。取敢えず
 これに注目して、竹内街道上のこの地点から金剛山を目指すためには南西に分岐し、現、羽曳野市壷井へ出る
 のが最短であると思われ、現在の向きのまま三ツ辻に立っていたと出来る。現在は国道への取付の為にか、辻
 はやや北側になっているが、『今昔マップ on the web』明治の地図ではほぼ直角に分岐する破線の道がある。
  では、その下の三ヶ所を検討する。右端は非常に読み難いが、中央と左は「通法寺、上ノ太子」と明確に読
 め通法寺へは問題ないと出来る。ただ「上ノ太子」が多分「叡福寺」を示すと思うが、これであると竹内街道
 を進む場合とほぼ距離は変わらないようです。さて、右端の行先ですが、三文字目の「井」は読めるのですが
 上の二文字が分かりません。ここで、公文書館デジタルアーカイブの「天保河内国絵図」を見ると古市郡に「壷井村」
 があり「壷井八幡宮」もあります。「つぼい」と仮名で書かれているとすれば、変体仮名「津本井」と書かれ
 てもおかしくはなく、その気で見るとその通りに見える。
  依って行先と設置位置に関して、道標として問題なしと出来そうです。)
(東面「役行者錫杖水」は標石として、すぐ前にあるか、入口に置かれるはずで、現在の場所に水が出ていたも
 のか、或いは、西の近鉄駒ヶ谷第六踏切を越えた玉垣内にあったとしても、何方も問題ない。)
(この道標にある座像は少し珍しいように思う。即ち「半跏思惟像」風に見えるが、手を見ると少なくとも3本
 に見え、千手観音菩薩像の様でもある。少なくとも役行者像ではないでしょう。駒ヶ谷村の旦那寺の本尊仏等
 を模したものでもあるのか。
 龕部分の大きさは、高さ32p、幅22p、深さ2p、で彫り込まれ、その中に
 像部は高さ28p、頭部10x7x2p、肩幅13p前面へ4p、蓮華座高さ5p幅16p前へ5p、と浮彫され
 結果的に、「駒ヶ谷村」と彫られた面より2p出っ張っている。(像部が出っ張っているのは一般的です。))
(別項の「邊」「邉」問題に関しては、楷書で明らかに「邊」としており、施主とはありませんが本人の書いた
 ものとして良く、字は上手ではないと思う。)
(竹内街道の北に「神南邊」を発起人とする「川向の道標(大)」があるが、それは大黒天を案内する。)

写真kimg1122 写真kimg1123 写真kimg1127
【1.道標を南に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を東に望む
 当道標は木で見えない  中央やや左に当道標  後左右は竹内街道
 右(南西)金剛山へ】  後ろは地蔵と近鉄】  右は八丁地蔵尊の脊】

写真kimg1126 写真kimg1140 写真kimg1141
【4.道標を南西に望む 【5.道標北面上部 【6.道標北面下部
 「右、金剛山」は  「右 金剛山」  三行ともに「右」へ
 踏切に抜けていたか】  下に三行が続く】  一行目が難解】

写真kimg1185 写真kimg1147 写真kimg1149
【7.道標北面下部拡大 【8.道標西面上部 【9.道標西面下部
 「津本井」は「壷井」  半跏思惟像か  「駒ヶ谷村」と読め
 「通法寺/上ノ太子」】  千手菩薩か】  当地を示す】

写真kimg1152 写真kimg1154 写真kimg1169
【10.道標南面拡大 【11.道標南面名前部 【12.道標南面「邊」部
 「堺神南邊隆光」  「神南邊隆光」  「邊」の旁部は
 と読める】  楷書風に書く】  「白、ワ、ハ、方」】

【参考】案内板の内容を載せる。
写真kimg1125
【13.道標、八丁地蔵尊の北側
 竹内街道に面して建つ】

 『役行者錫杖水の道しるべと地蔵菩薩像』
 竹内街道と壷井道との分岐点には、役行者が錫杖で
 掘り当てた水であることを伝える道しるべが建てられて
 います。壷井道を行けば、壷井、通法寺、上ノ太子(叡
 福寺)を経て金剛山に至るとあり、もとは鋳物職人で
 慈善事業に尽くした堺の神南辺隆光(天保12(1841)
 年没)の造立によることが記されています。
 かたわらに立つ地蔵菩薩像は江戸時代後期の作と推
 定されます。
 街道を往き来する旅人は、ここでしばし道中の安全を
 祈り、のどを潤したことでしょう。

 (地図)  竹内街道
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ