19.羽曳野市川向の道標(大)

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羽曳野市川向2848 石川の臥龍橋東詰を南に150m三ツ辻南部に北を正面に建つ
(大小二基の内西側の大きいもの、(小)はこちら。)
尖頭型角柱 168x33x30.5p(頂高10p)
N34.549921 E135.616875


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北面
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│          是より       │
│右 日本最初大黒天道 五丁       │
└――――――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│夫大黒天者天智天皇御于乙丑正月甲子之日 │
│出現之霊場而役行者開闢地也点者縁起…  │
└――――――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――――――┐
│         山本玄碩       │
│ 世話人 古市村            │
│         西谷平右衛門     │
└――――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│  発起 神南邊大道心         │
│堺                   │
│  施主 柳屋嘉兵衛          │
└――――――――――――――――――――┘


(天智天皇乙丑年正月甲子日は天智天皇4年1月21日で、ユリウス暦665年2月11日、グレゴリオ暦665年2月14日火曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載)
(東面の「発起、神南邊大道心」の関連で調べに来たもので、道標としての検討は控えておきます。
 古い紀年が由緒中に有りますが、建立年ではなく、発起人の名前から文政から天保の頃に建てられたものか。
  案内の大黒寺は川沿いに南へ800mの辻辺りから東にすぐと思われます。行ってませんが。)
(道標南側にある案内板の内容を載せて置きます。
 「 堺の神南辺隆光の発願にかかる道標で
  竹ノ内街道を通る旅人に『大黒(おぐろ)の大黒寺』
  への道筋を案内するとともに、西面には
  その由緒を記す。」)
『今昔マップ on the web』明治の地図からもほぼ元の位置ではないかと想像できますが、『大阪の街道と道標』
 に漏れている点が気になります。)
(西、竹内街道を進み石川を臥龍橋で越え古市駅方に進み「羽曳野市古市簑の辻道標」に繋がる。)

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【1.道標を南に望む 【2.案内板北面 【3.案内板の地図部分
 右大きい方が当道標  「其の壱」として  南北が逆に描かれ見難い
 左奥(東)は竹内街道】  解説されている】  寺の位置は判別できない】

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【4.道標西面上部 【5.道標西面下部 【6.臥龍橋西詰より南東を望む
 「堺」は住所と思う  発起「神南邊大道心」  右の白い建物前交差点の
 その下「発起/施主」】  施主「柳屋嘉兵衛」】  南部に道標二基がある】

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