20.羽曳野市川向の道標(小)

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羽曳野市川向2848 石川の臥龍橋東詰を南に150m三ツ辻南部に北を正面に建つ
(大小二基の内東側の小さいもの、(大)はこちら。)
尖頭型角柱 131x27x24p(頂高7p)
N34.549910 E135.616896


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北面
┌─―――――――――――――――――――┐
│    加納御霊水場          │
│(紋)右 法華寺            │
│      是より七十丁        │
└――――――――――――――――――――┘
(解説に紋は「千鳥文」とある、雁金紋か)

西面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――――――┐
│安政六年未七月大阪信者中建此      │
└――――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――――┐
│(なし)                │
└――――――――――――――――――――┘


(安政六(己未)年七月1日とすると、西暦1859年7月30日土曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載)
(西隣の「発起、神南邊大道心の道標」を調べに来たもので、こちらの道標はよく分りません。)
(道標南側にある案内板の内容を載せて置きます。
 「『法華寺』(石川郡北加納村、現河南町加納)
  は安永四(1775年)に再建された
  当時南河内で唯一の法華宗(日蓮宗)
  の寺である。
  この道標は法華寺への案内のため
  安政六(1859)年七月に、大阪在住の
  法華宗の信者たちが浄財を集めて造立
  したものである。」)
(解説に有る「千鳥文」は「雁金紋」の方が良いかも知れない。)
『今昔マップ on the web』明治の地図からもほぼ元の位置ではないかと想像できますが、『大阪の街道と道標』
 に漏れている点が気になります。)
(西、竹内街道を進み石川を臥龍橋で越え古市駅方に進み「羽曳野市古市簑の辻道標」に繋がる。)

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【1.道標を南に望む 【2.案内板北面 【3.案内板の地図部分
 左小さい方が当道標  「其の弐」として  南北が逆に描かれ見難い
 左奥(東)は竹内街道】  解説されている】  法華寺は川沿いの道へ】

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【4.道標北面中部 【5.道標北面下部 【6.臥龍橋西詰より南東を望む
 右側に小さく  「寺」の左から下に  右の白い建物前交差点の
 「加納御霊水場」】  「是より七十丁」らしい】  南部に道標二基がある】

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