18.羽曳野市古市簑の辻道標

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羽曳野市古市3-1-24 古市六町蓑の辻会館の北西角に西を正面に建つ
尖頭型角柱 150x32x32p(頂高9p)
N34.552477 E135.611900


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西面
┌─―――――――――――――――――┐
│  上の太子 たゑま  すぐ    │
│              高野山 │
│左 大和路             │
│              金剛山 │
│  つばう坂 大峯山        │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――――┐
│ 嘉永元年   京都        │
│   戊申九月  井筒屋      │
│          九兵衛建    │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│       補助         │
│ 古市 蓑の辻           │
│        森田和英      │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│右 大坂  春ぐ さかい      │
└――――――――――――――――――┘
(「春」は変体仮名「す」)


(嘉永元(戊申)年九月1日とすると、1848年9月27日水曜日となる。嘉永元年は2月28日より。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、9)
(西面の行き先「たゑま」は「當麻寺」、「つばう坂」は「壺阪寺」であろうか。)
(西面中央大きく「左大和路」、その両脇に小さな字で「上の太子…大峯山上」とし、更に中央下部に三行書きで
 「すぐ/高野山/金剛山」とやや大きな字で書かれ、この一面に「左」と「すぐ」の二方向の案内があり、非常
 に見難い。一般的な道標では、二方向を一面で案内するにも分け隔てすることは珍しく、一方に信仰する寺等の
 主要な対象があっても、特別に目立つ様な書き方は少ないと思う。)
(摂津国内での近世の道標に於いて、街道名を案内するものはほとんど見当たらないが、この道標の「大和路」が
 街道名を表すものなら河内国ではよく有るとしなければならないか。「路」を「道」と読んで大和を地名として
 表現したものと考えては行き過ぎであろうか。)
(東面にある「古市蓑の辻」について、建立地点を書き込む事も、摂津国の道標では珍しいと思います。この道標
 の施主が京都の人であり、理由は不明であるが50q程も離れた地点に建てた時に辻の名前を書く必要が有ったの
 でしょうか。「蓑の辻」の言われは分からないらしく、この辺りは近隣の東、西、南、北、中、堂之内、等から
 なる「六町」が町名らしく「蓑」に繋がりません。この地を知らないものからすれば、道標に辻名を入れるのは
 珍しいと思うが、その下に「補助・・・」とあるのでその人の居所を示す可能性もあるか。この氏名を見ると何
 か現代風のようにも感じられ、後世の追記等も考えたくなる。)
(さて、北面「右、大坂  春ぐ、さかい」はどう理解すればよいか、元位置のままであるとするなら、右は西を
 指し竹内街道を大坂で良しと出来るが、「春ぐ(すぐ)堺」は南進し何処から堺に向かうのであろう。今の地図
 でも『今昔マップ on the web』明治の地図でも、ここを南に進んだ後、堺に続く道は見えない。ではどうした
 ら良いのか。そういえば土地不案内であるが、西面の「すぐ高野山」もおかしく感じられる。追刻や移設の可能
 性も考えねばならない。
  この道標を90度時計回りに回してみましょう。即ち現北面が東面になる様に置くと、「すぐ堺」は竹内街道を
 西に直進し、「右大坂」が北へ折れる事になります。東高野街道を北へ誉田に出て、西に分岐し葛井寺を目指し
 大和川南の大堀へ進めば、竹内街道西進後北に分岐するより距離が短くなり、好都合です。この時西面は北面し
 「左大和路」は東高野街道を左(東)折し竹内街道へ、「すぐ高野山…」は南へ直進し、問題は全て解決する。
 依って、当道標は向きが変わっているとし、施主の面を考えると辻南西部に置かれていたと思う。)
(東、竹内街道を進み石川を臥龍橋で越えると「川向の道標二基」に繋がるが、近世「天保河内国絵図」(国立公
 文書館)では幅百二十間の舟渡しであったと書かれている。
 西、竹内街道2q強程に「羽曳野市野々上3−3の道標」がありこれにも大坂は北への分岐を指示しています。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を西に望む
 右植込中に当道標  奥(北)東高野街道  奥(西)古市駅へ
 左奥(東)は竹内街道】  道明寺方面へ】  左右は東高野街道】

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【4.道標西面上部 【5.道標西面下部 【6.道標西面最下部
 「左大和路」は街道名か  大和路の下に  「高野山」
 左右の小さな字が案内か】  「すぐ高野…/金剛…」】  「金剛山」と読める】

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【7.道標北面上部 【8.道標北面下部 【9.道標東面上部
 「右大坂」は西で納得  「春ぐさかい」は  「古市 蓑の辻」は
 するが、その下は】  「すぐ堺」は南か?】  辻の名称か、住所か】

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【10.道標南面上部 【11.道標南面下部 【12.道標東面下部
 「嘉永元年」  「京都井筒屋」  「補助/森田和英」
 「戊申九月」と読める】  「九兵衛…」とした】  「補助」とは何か】

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