57.太子町春日の道標

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太子町春日1886 三ツ辻東部、地蔵祠南側に南西を正面に建つ
尖頭型角柱 121x30.5x29p(頂高7p)(北西面は右側-1p、左側-1.5pに削る)
N34.520035 E135.647003


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南西面
┌─―――――――――――――――┐
│  たへま つ本さか      │
│右           道   │
│  いせ よし能 可うや    │
└――――――――――――――――┘
(「本、能、可」は変体仮名「ほ、の、か」)

南東面
┌─―――――――――――――――┐
│右 大坂 さかい        │
│         道      │
│左 たいし いつミ       │
└――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――┐
│春ぐ たへま よし能 者せ 道 │
│   施主 左海 神南邉    │
│       世話人町中    │
└――――――――――――――――┘
(「春、能、者」は変体仮名「す、の、は」)


(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、12)
(『神南辺隆光と関係石造物』月山渉、2012年発行では、大35)
(この辻は角屋跡の三ツ辻と呼ぶらしく、西に有る木製の案内板によれば、竹内街道と茅渟(ちぬ)道との合流
 点とあります。竹内街道が南北の道と思われるので、西への道が茅渟道になると思われる。南西面にある「左、
 太子、和泉」が案内する道を茅渟道と出来そうです。角屋は昭和中期まで辻の南部にあった様です。)
(案内先を確認しておきます。「たへま」は「当麻寺」、「つ本さか」は「壺阪寺」、「よし能」は「吉野山」、
 「可うや」は「高野山」、「いつミ」は「和泉」、「者せ」は「長谷寺」としてみました。
 分かり難いのが同じ太子町にあって、南東面の「左、太子」かと思うが、現地での説明(上記)を手掛かりに、
 現太子町太子にある、叡福寺か聖徳太子御廟とすれば納得できる。)
(この道標の特徴は、北西面にある行先案内と施主の部分が平面に書かれずに、一段低く削り込まれた面に刻字
 されている点で、更に施主部分と行先部分も独立する様に、施主部分が深く削られ、行先面との間に稜線が形
 成されている点であろう。本来なら施主部分だけ別面(北東面)にしたかったと思われるが、設置場所の関係
 で見えなくなってしまうため、この様に一面を、二面的に使ったものと考える。石工さんには手間で有ったと
 想像する。)
(辻の西側にある木製の解説板について少し補足すると、『河内名所図会』二巻42コマに「春日神祠(かすがの
 やしろ)」が載り、その中に「この春日村は大和街道竹内峠の通路にて旅舎(たびや)あり、中にも角屋が庭
 中に大木の牡丹あり、高さ一丈枝葉の廻り一丈八尺ばかり、花盛りには群をなして名木を賞す。」とあるが、
 絵図がなく街道の様子は見えない。
  一方『天保河内国絵図』では叡福寺のある太子村から東の春日村に続く道が太い朱書きで示され一里塚も書
 かれた道に北からの細い朱書き道が村内で合流し、東の竹内峠に繋がる様子が書かれているが、街道の名称は
 無い。
  また、『今昔マップ on the web』明治の地図を見ると、南北の道が竹内街道に相応しく見え、この後東に
 曲がっている。現地ではこの道を「竹内街道(大道)」として売出している。)
(別項の「邊」「邉」問題に関しては、楷書で明らかに「邉」としており、施主とあり本人が書いたと出来る。)
(西100mに「春日西の道標」が立っている。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を北に望む
 奥(南東)奈良へ  左(北西)大阪方面へ  奥(北西)大阪方面へ
 電柱左が当道標】  左は上延命地蔵の祠】  左、聖徳太子御廟方面へ】

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【4.道標を北に望む 【5.道標南西面上部 【6.道標南西面下部
 街道の曲線に合わせ  「右/たへま」  「…つ本さか」
 多少向きが変わるか】  「いせよし能」】  「よし能者せ/道」】

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【7.道標南東面上部 【8.道標南東面下部 【9.辻の西に有る案内板
 「右 大坂」  「…さかい」  「角屋の馬」として
 「左 たいし」】  「…しいつミ/道」】  当辻の様子がある】

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【10.道標北西面拡大 【11.北西面施主の下 【12.施主「神南邉」部
 右側「春ぐ…」は行先  「左海神南邉」は  「邊」ではなく「邉」
 左側「施主…」も同一面】  堺、神南邉でしょう】  楷書とした】

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【13.左側北西面を横から 【14.同左下部 【15.同じく上部を北から
 一段彫り下げた面に  行先部と記銘部は  見ると、施主部分の方が
 行先と施主を刻む】  独立した面を構成】  更に一段低くなっている】

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