22.太子町山田の当麻奥院の道標

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太子町山田1948 町立竹内街道資料館前から登り100m、道東側に北西を正面に建つ
(太子町山田の道標の南側2m)
尖頭型角柱 120x22x23p(頂高6p)
N34.516508 E135.657836


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北西面
┌─―――――――――――――――┐
│圓光大師二十五霊場       │
└――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――┐
│明和三丙戌年          │
│       大坂講中     │
│五月吉日            │
└――――――――――――――――┘

南東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――┐
│是ヨリ十三丁程東        │
│左 第九番たへま奥院道     │
└――――――――――――――――┘


(明和三(丙戌)年五月1日とすると、西暦1776年6月7日土曜日となる。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載)
(「圓光大師」とは法然上人の諡号(しごう)とあり、関連の霊場が二十五ヶ所あるらしい。)
(案内先を確認しておきます。北東面「左 …たへま奥院」は「…当麻奥院」として現在の當麻寺奥院とします。
 同寺のhpを見ると「法然上人二十五番霊場の第九番札所」とあり「九番」も一致しています。
  ここへ進むには、竹内街道を東へ進む事になり、現在の位置と向きではやや難点がある。現在の様に道に正
 対して「圓光大師二十五霊場」が置かれていたなら、辻の北東部分(現「太子町山田の道標」の左)に立って
 いたと思う。現在位置のままなら、反時計回りに90度回す必要がありそうです。
  但し、右上部に刻まれた「是ヨリ十三丁程東」の読み下しが正しく、奥院迄の距離を示すものであれば、直
 線でも3km以上ありそうで余りにも足りない。過去に例を見ないが「十三丁程東で、左の道を進め」と解釈す
 れば、現在の二上山への登山道で岩屋峠を案内するものかも知れない。
 『今昔マップ on the web』明治の地図を見ると、北東に峠を越える破線の道が見える。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を南西に望む 【3.南東下への野道から
 奥、登って奈良へ  右奥、下り大阪方面へ  道標を北西に望む
 右の石が当道標】  左は当麻寺方面でない】  左側が当道標】

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【4.道標北西面拡大 【5.道標北東面拡大 【6.道標北東面下部
 「圓光大師二十五霊場」  「左 第九番たへま奥」  「…たへま奥院道」部分
 そこそこ読みにくい】  は読みにくい】  当麻奥院道であろう】

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【7.道標北東面上部左 【8.道標北東面上部右 【9.道標北東面中部右
 「左第九」の「第」は  「是ヨリ十三丁程」  「丁程東」とし
 少し見慣れないが】  と読んだ】  その下は無しとした】

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【10.道標南西面上部 【11.道標南西面下部
 「明和三丙戌」  中央の「大坂講中」
 「五月吉日」と読める】  は読みやすい】

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