18.大阪市東淀川区豊里町5−14の道標

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大阪市東淀川区豊里町5−14 豊里小学校、校内中央築山の西端に南西を正面に建つ
尖頭型角柱 127x24x24p(台石14x49x49p)(指差像部22x20.5x3p)
N34.742260 E135.544285


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南西面
┌―─――――――――――――――┐
│右 大坂            │
│左 能条            │
└――――――――――――――――┘

南東面
┌―─――――――――――――――┐
│        能条 野村   │
│すぐ 天王寺庄         │
│        平田 竹間   │
└――――――――――――――――┘

北東面
┌―─――――――――――――――┐
│(右指差し像)         │
└――――――――――――――――┘

北西面
┌―─――――――――――――――┐
│すぐ 瑞光寺          │
└――――――――――――――――┘


(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には未記載)
(また聞きとなるが、先生の話では内環状線設置の折、邪魔になるからと移設、元位置、時期は不明との事。)
(案内先の大坂は説明不要と思うが、この辺りからの経路として、明治に言う亀岡街道の菅原へ出て長柄を渡るとする。
  次に現南東面の「天王寺庄」は天保国絵図に載り、明治22年に豊里村になり、現在は使われていないが、小学校の
 南にある豊里霊園に「旧天王寺庄」とある。「能條(条)、野村」は天保国絵図と明治44年地図に見える。「竹間」
 は明治44年地図にのみ見え、同じく「平田」は淀川を越えた南側に見える。よってこの四村は天王寺庄の構成諸村と
 し、同一方向に向かうと出来る。現在では大道南から豊里五丁目辺りと思う。
 現、南西面「左 能条」を南東面の様に「左 天王寺庄」と書かなかったかのは、石碑面のバランスを考えた為か。
  次に北西面「すぐ、瑞光寺」は現在の瑞光寺で問題ないでしょう。問題は北東面の右指差し像です。当初有名観光
 地点「瑞光寺」を示すものと思いましたが、方向が一致しません。よって指し示す方向は「すぐ、天王寺庄…」とな
 り、「すぐ」の向きを直感的に示したものと考えられる。
  これらを考え合わせ明治の地図で元位置に相応しいと思われる地点は、小学校から北西に500m程離れた、
 東淀川区豊新5−2−5の西の四辻(旧くは三ツ辻)
N34.745848 E135.537995
 の東部に現南西面を北東面して置かれていたとしたい。この時北西から南東へ進む人には「すぐ、天王寺庄…」と、
 右指差し像が一度に眼に入り、南東に進む事に違和感がない。
  この様に置くと、現在欠損のある東陵(東角)が人に触れやすい位置となり、良く摩耗している事も頷ける。当然
 欠ける事も多かったでしょう。)
(建築時期に関しては、平田が含まれることから、淀川改修以前である事は違いないと思うが、何時頃まで遡ることが
 出来るか分かりません。国交省淀川河川事務所のHPに「明治29年(1896年)河川法が制定され、淀川の洪水対策が
 本格化し「淀川改良工事」を行う」とあり、これ以前とできるでしょう。)
『今昔マップ on the web』明治44年地図では平田は淀川の南に見える。)
(瑞光寺と指差し像を持つ「大阪市東淀川区菅原1の道標」が同じ区内にある。)

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【1.小学校を南に望む 【2.渡廊下越しに築山を東に望む 【3.道標を北に望む 【4.道標を北東に望む
 左が校門と思う  コの字型の中庭にある  ブドウ棚の下に丸机  南西面に「右 大坂」
 右奥、豊里4丁目へ】  中央繁みに当道標】  中央奥に当道標】  「左 能条」とある】

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【5.道標南西面拡大 【6.道標南東面拡大 【7.道標北東面拡大 【8.道標北西面拡大
 「右 大坂」  「すぐ 天王寺庄…」  右指差しである  「すぐ 瑞光寺」
 「左 能条」とある】  右角に欠損多数】  珍しく袖が広い】  「瑞」はくずし字】

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【9.道標西角 【10.道標南東面下部 【11.道標東角 【12.道標上部
 東角に比べキズも  「能条 野村」  所々に欠損あるが  北角が欠けている
 摩耗も少ない】  「平田 竹間」】  滑らかになっている】  学校移設前かららしい】

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【13.指差し像部拡大 【14.小学校一筋南の豊里霊園を 【15.勝手に想像した元位置を 【16.元位置を明治地図へ
 親指と人差し指が少し  東に望む。銘板下に  北西に望む。右歩道の角  明治以前とみなし
 欠けるが厚みは4p】  (旧天王寺庄)とある】  茶色のポール辺りか】  それらしき位置を想定】

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【17.大阪市東淀川区の道標】

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