6.大阪市阿倍野区阿倍野元町9の道標

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大阪市阿倍野区阿倍野元町9−4 安倍清明神社西入口より10mの南側、玉垣の北に北を正面に建つ
尖頭型角柱 31x18x15p(頂高5p)
N34.631734 E135.509031


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写真simg0134

北面
┌─―――――――――――――┐
│右 す(み)        │
│左 かつた         │
│   ふ…         │
└――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――┐
│(なし)          │
└――――――――――――――┘


(昭和四十二年は、西暦1967年である。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行には、未記載
 『大阪市立博物館研究紀要第三冊』1971(昭和46)年発行では、頁。)
(「鎮石、はらみ石」の東隣で、「安倍清明神社の標石」に寄り添うように置かれている。この石
 の解説板は無かった。)
(神社境内にあり、明らかに移設と思われるが、余りにも小さく読みとれる行先が決定できない。
 最小限読み取れた内容を載せて置く。
  勝手な推測では、「右すみよし」、「左 かつた(苅田)、ふじいてら、ふるいち」あたりで
 はないか。とすれば、熊野街道から東に分岐する道がある辻になりそうです。阿倍野王子神社で
 なく清明神社におかれるのは、王子神社よりこちらに近かったか、清明神社より北にあった為と
 考えれば、辻の場所も二ヶ所ぐらいに絞り込めそうです。
  『今昔マップ on the web』明治の地図を見て下さい。)

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【1.清明神社西口を南東に望む 【2.同、北東に望む 【3.道標を南に望む
 左(東)社殿へ  赤い社の右側  白看板「…誕生の地」の
 楠の後ろに当道標】  玉垣の内側(北)】  前の小さな道標】

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【4.道標北面拡大 【5.道標北面拡大 【6.道標を南西に望む
 一面に左右の案内を  「左…」  右、鎮石(はらみ石)
 書くのはY字路か】  二ヶ所であろうか】  左、清明誕生地標石】

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【7.安倍清明神社解説板 【8.大阪市阿倍野区の道標】
 道標の案内は無く  
 尤もであろう】  
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