金が無くてもこんな楽しみ


官幣大社     
 

      

ひらおか薪能
 毎年秋の恒例行事として、静寂の神域 枚岡神社境内の特設舞台で開催される。

平成15年度は十二回目であり能組は下記の通りであった。
【解説】 ほかい人  木村正雄(大蔵流狂言師)
【狂言】 昆布売(こぶうり)   大名(木村正雄)、昆布売(柳本勝海)
【能】   弱法師(よろぼうし)  シテ(大江将菫)、ワキ(広谷和夫)、舞(網谷正美)

鬱蒼とした木々に囲まれた境内。舞台は青と白の幕で囲われ、四隅の竹が御幣をつけた細縄で結ばれている。
舞台前には明々と勢いよく燃え盛る焚き火。

午後五時半開始を待ちわびる大勢の観客。

おもてと称する仮面を付けて悠然と振舞う舞。
静寂を劈く朗々と格調高く謡われる演者の声量。
神域に響く鼓と笛の音。八人からなる地謡。
そこに有るのは  幽玄の世界。
そこに有るのは  誇り高い日本古来の伝統文化。

こんな空間、こんな時間、こんな自分の存在を堪能する、こんな「ひらおか薪能」がある地域に感謝。


 第13回ひらおか薪能 (16年10月2日)   枚岡神社境内特設舞台

【狂言】   太刀奪  太郎冠者  木村正雄

【能】     土蜘蛛  大江又三郎  大江泰正  鷲尾世志子

東大阪と能

室町時代能楽を大成した観阿弥の母が玉櫛荘の出身であったと、三重県伊賀上野市の上島家に伝えられている「観世系図」に観阿弥の母が河内玉櫛荘の橘入道正遠の母であると記されている。

橘正遠は楠木正成の父で、観阿弥の母は正成の姉あるいは妹にあたる。
応永26年(1419年)能楽を大成した観阿弥と玉櫛荘関係が記されている。

枚岡神社まつり   

10月14日  宵祭   太鼓台・地車20数台 宮入奉納    

10月15日  本祭

●本祭々典斎行  10時

●御神幸斎行 

     

     

 

 御神輿渡御

    

・稚児行列

       

 

 

●太鼓台・地車20数台宮入奉納  15時〜22時

 

 

      

粥占神事

大阪府の文化財に指定されている粥占神事は、江戸時代には1月15日に行われていましたが、現在は11日に秘密神事として行われ、15日にうらないの結果が参詣者に知らされます。農作物の豊凶、1年間の天候を占うものです。
神饌所内で、大きな釜のなかに米五升、小豆3升が用意され、竈にかけられます。古式により火錐杵で杉葉に点火し、薪で焚かれます。黒樫でつくった長さ13cmの占木を平年には12本、閏年は13本用意され、竈に入れられ焦げ具合で日々の晴雨が占われます。
粥の煮え立つ時、53種の農作物の豊凶を占うため、竹の占竹(15cm)53本を1束にしてえ釜の中に吊り下げられ、中に入った粥の多少によって作物の豊凶が占われます。
江戸初期の「御粥引付日記」によると、当時は5穀47種の農作物が占われていました。享和元年(1801)の「河内名所図会」には、当時の粥占の様子が描かれています。

数年前までは「成人の日」祭日と重なっていたので、境内には露店が沢山でて賑やかであった。


無病息災の小豆粥です。暖かく腸にしみる。
境内の寒気で冷えた体が芯から温もってきた。

「粥占神事お粥授与」の看板が掛かったテントでは、
ポリ容器にお粥を入れて振舞われた。

粥占神事
寒気と静寂の本殿で朗々と響く祝詞。
太鼓、鈴、笛の音。劒を手に舞う巫女。

天岩戸神楽
枚岡神社の御祭神・天児屋根命は天岩戸神話において大きな功績のあった神様で、岩戸神楽は枚岡神社に縁深い神楽と云えるでしょう。H16年は高千穂町より奉納された。

 

 天照大神の御岩屋を探る 天岩戸の戸を取り払うべく持ち上げようとしている。
肩にあるのは、擂り粉木(直径6〜7cm、長さ40〜50cm)
男性のシンボルを擬似。
 

女性は御櫃(おひつ)に笊(ざる)を持って。これもシンボル。
 
天照大神が隠れておられる天岩戸の前で、賑やかに大幣を以って誘い出すために踊り舞う。
合体!
ザルで顔を隠して。
 

蹴鞠神事    境内で   水墨画で描く

HOME へ戻る