暗峠


日本の道100選に選ばれた情緒あふれる峠道

大阪の中心部と南都奈良を結ぶ最短路として古くから発達し、初瀬や伊勢へ参る人もここを通った。
芭蕉が最後の旅をした道ともいわれ、『菊の香に 暗がりのぼる 節句かな』の一句を詠み残した。
当時の面影をしのぶものとしては、石畳や道標、石仏などが残る。信貴生駒スカイラインとは立体交差している。

豊臣秀吉の頃は伊賀伊勢方面の大小名の通行路となり、引き続き徳川時代に入ってからは益々賑わいををきわめ、春秋二期に行われる伊勢神宮に当たっては、大阪の八軒屋からの順路として町人百姓たちの
通行で山麓から山道にはところどころ掛茶屋が並んだといわれている。
当時の峠村には大和の郡山城主柳沢家の本陣も置かれ十数軒の宿屋が軒を並べていた。
今でも峠には宿屋の構造の残った農家や、軒先に馬を繋いでおく備えや、泥道になることを防いだ石畳を
見ることが出来る。

 

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