日下展望

日本」のルーツ・・・・・日下

日下が我が「日本」国のルーツ・・・調べれば調べるほど それは真実であったと書かれている(大阪「駅名」の謎  祥伝社 谷川彰英著)

古事記によれば 神武東征のおり 軍は日向を出て瀬戸内を通り大阪に着く。さらに東に「浪速の渡」を経て「日下の蓼津」に。この時 ナガスネヒコ(以前からこの地に勢力を持っていた先住民)の軍隊が襲い掛かりイワレビコのミコトは熊野にルートを変えた。戦闘場所は「孔舎衛坂」という生駒山系に至る細い山道。 

古代は大きな入江(河内湖)で この辺は港であった。この地に泊まり生駒を越えヤマトに入ろうとしたのであるが。

「ヒノモト」は「草香」にかかる枕詞。「ヒノモト(日下)の草香」が転じて「日下」・「日本」が「くさか」という呼称になったと言う。

「日下」は「ヒノシタ」、「ヒノモト」と読み「日本」のルーツである。確かに この日下は太陽が昇るまさに下に位置する。古代の人々は瀬戸内を通って「日出る国」を目指した、その到達地が「日下」つまり「日が昇る地点」で在った。

 

 

原始蓮

古事記の雄略天皇(第21代、418〜479)の条に引田部赤猪子の作として

 日下江の 入江の蓮(はちす)  花蓮(はなはちす)

         身の盛り人  とも(羨)しきろかも

この歌から5世紀頃の日下の湿地に蓮が栄えていたことになり、日本における最古の蓮の出現になる。こらが今まで群生し続け、”古代バス”と呼んでいる。

中国からの輸入種でなく日本固有のものである。S37年、地元井上氏が保存に乗り出し水田に分譲された。
S42年大阪府より”枚岡の原始ハス”と天然記念物としての府指定文化財となる。
(平成20年8月2日、石切神社夏季大祭、辻子太鼓台巡行でこの地を通過した時、ご主人に蓮を見せて頂き資料等を頂戴した。その資料による)

蓮の種からの育て方
 蓮の種は硬い殻(果皮)に覆われている。果皮に傷をつけ、コップの水に入れておくと、10〜15日前後で発芽する(コップの水は2〜3日毎に入れ替え)。浮き葉が3〜4枚発生したら30cm位の容器に植え込む(葉は水面に浮くように)。4〜5月が種まきの時期です。開花は2〜3年かかる。

原始はすの葉を押し花にして・・・・切り絵
H20年8月 夏祭り この地を太鼓台を引いて巡行した時、所有者から蓮を一輪頂いた。併せて種も頂いた。その蓮の葉を使い押し花として作品化した。







 H23年7月 追加記入

  7月26日 写真を撮る。暑い日差しの中、道路から細い脇道を20mほど入る。
  

淡いピンクの蓮が咲いていました。これが 原始ハス
石碑・句碑が 畦にありました。


 


全景です。5坪ほどの所に植えられています。

    

日新高校

平成20年7月28日から8月1日まで、日新高校で「山の端市民公開講座」が開講された。
講義名は「漢詩を味わうひととき」で、内容は中国語で漢詩を読む、味わうものである。
先生は  田中稔 先生です。

講座最後の日、もう一方の講座「中国語で歌う」グループと成果発表会を披露しあう。
そして、中国茶をご馳走になり猛暑の夏に大変楽しく有意義な一時を過ごせました。
当校の生徒が中国語でカラオケ全国大会で選ばれ、上海に行く。
NHK TVに放映されたビデオ映像を見せて貰った。

東大阪市立日新高等学校 唯一の市立高校。英語科、商業科、普通科

 

教室内部      ここで講座を受講

  4階建て      後方は生駒山     

平成23年夏も  講座が開講された。今回は受講者が若干増加した。

 正門前  裏側

 追加記入
H23年7月  今年も恒例の 当校での講座が在りました。

教室内の風景(2年1組の教室で授業)               夏休み中です

 

ペットの墓地

    

阪奈道路の頂上から、大阪側に下って来る。降り口近くに左側にペット霊園の看板。
どのようなものか一度見物したかった。

日新高校から帰る途中に当地に行ける道があったのでバイクで上る。

 

大龍禅寺

 

  

 

追加記入
旧河澄家
      東大阪指定文化財


入館無料なので入る。昔の庄屋の家、江戸時代の風俗が生活が偲ばれる 数々の什器、茶道具、琵琶、行灯、提灯、高札など調度品が 身近に見ることが出来ました。

  

内部
 内部も自由に見学が出来る。江戸時代の道具が
展示されているが さすが 庄屋の家であると思われる 立派な調度品が 今も 大切に保存されていた。

庭園  枯池式枯山水    江戸時代初期

    琵琶  

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