残雪をぎゅうぎゅうと踏みながら、見飽きた植林の中、黙々と歩を進める。
それにしても手入れされないままの植林の多いことが今更ながら気にかかる。
「ヨーダイ」とは思いながらも、枝打ちされないままの木を見上げながら自問自答してみた。
山を余暇として歩く私たちにとって、単調な人工林が退屈なのは正直な思いだが、かと言って植林を自然破壊の象徴のように捉えてはいないだろうか?、高度成長時代の歪んだ政策になかば国策のように植林事業を推奨され、それならばと僅かばかりの土地にまでスギやヒノキを植えて、細々とそれで生計を立てようと考えた人たちを私たちは責めることが出来るだろうか?、木を伐採すること、ひいては林業そのものを環境破壊活動と短絡的に考えてはいないだろうか?
自然に手を加えないことイコール(=)自然を守ることと考えるなら、山に踏み込む私たちの一歩も、もっと深く考えなければならないように思う。
語弊があるかもしれないが、安易に環境保護を訴える一方で、外材依存体質や都市緑化のみに走る体制こそを考えなければならないように思う。
街で何気なく吸い込む空気や喉にする水はどこで育まれているのか、当たり前のことに目を向けることから始まる思いが、林業という活動を守る政策、ひいてはそれをあたたかく見守り育てて、自分たちで出来ることから関わろうとする体制を育むように思える。
棚田や森林を守る人々の所得レベルを都会でもっとサポート出来ていたなら、北山杉とまでゆかないまでも計画的植栽や除伐、間伐などにより、山は今とはもっと違う姿を見せてくれていたはずだと思う。それは今からでも決して遅くはないと思うのだが、、、
山で暮らす人々にとって、山は生活のパートナーであり、そういう意味で、私たちよりももっともっと山を深く愛しているはずなのである。
難しいことだけれど、本当の環境保護とは何なのか、こうして実際に山を歩きながら考えることが出来る私は幸せなのかもしれないと思う。
口にこそ出さないけれど、前を行く杉村さんもきっと同じ思いだろうと、相変わらず酸素の行き渡らない頭で勝手なことを考えながら歩いて行く。
ホワイトとブラウンの2色の世界をひたすら進む。
さて、「東五位木馬道通り」を横切ってからおよそ35分、植林の中で分岐に出会う。三叉路には登山道の指標があり、ヒノキに赤いテープの目印がある。ここが「大瀬木馬道通り」で、ここは真上に直登の踏み跡をたどる。
なお、各種ガイドブックに出てくる「大瀬木馬道通り」の看板は、朽ちて足元に横たわり、今やその文字すら容易に読みとることはできない。
(迷いやすい場所と思われるので少し注意しておいた方が良いでしょう。味気ない植林の中でも、しかもだらだらと続く登り坂でも、時々辺りを見回す余裕を忘れないでください。)
「大瀬木馬道通り」の分岐。登山道の看板が右手にある。
用心して持ってきたはずのアイゼンを不用心にも登山口に置いてきてしまったので、注意しながら、分岐から急坂を這い上がる。
上方が明るくなり、樹間から見える空がだんだん広くなってくると、右手にヒメシャラの特徴ある木肌がいくつも見えてくる。
池神社の分岐まであと少し、褐色のヒメシャラが林立する。
「大瀬木馬道通り」から10分、ふた抱えありそうなスギの大木が出迎えてくれる。
辺りは広くなだらかな窪地で、ミヤマシキミの群落が広がりブナやヒメシャラ、モミの大木が立つ。特に、ミヤマシキミの群落は見事で、これからの花時、秋の実時にはきっと美しいことだろう。なお、赤い果実は毒なので注意したい。
スギの大木の後方の窪地に、ミヤマシキミの群落がある。右手のヒメシャラを奥に行くと池神社の祠がある。
ところで、ここから窪地の右手の小高い所をめざしてヒメシャラとモミの巨木の間を2分ほど行くと、薄暗い木立の中に池神社がある。しかし、神社は今はもう祀る人もないのかひどく荒れており、かろうじて風雪に耐えているような状態である。土地の人に聞くと、ここは天神様を祀ったもので、かつては雨乞いが行われていたと言う。
幾度となく里人の願いを叶えてきたであろう池神社。
ところで、池神社の分岐で小休止していた時、私の無線機に友人の声が飛び込んできた。友人の名は伊藤君、彼は今朝窪川町から私たちを追って来ていたのである。アクシデントで出発が遅くなり、今になって登山口を目指し走らせる車の中から私を呼んできたのである。山頂は無理でも行けるところまで行くからと、相変わらず元気な声が告げてきた。気をつけてと返事を送り、元気な彼に後押しされて私たちもザックを背負い歩き出す。