八丁山 2004年11月
高知県は11月11日を「山の日」に制定して、その前後に各地で様々なイベントを行っている。それは間伐体験だったり、自然観察やハイキングだったりと、ともかく「山に入ろう」をキーワードに多種多様な催しが行われている。そんなイベントに一年に一度くらいは参加しようと、昨年は西土佐村に出かけたが今年は大方町にやってきた。有名な入野松原を見下ろす八丁山に登ろうというのである。
八丁山は大方町入野の北に横たわる低山だが、高さの割に山頂からの眺望は素晴らしい。その山腹を縫う古道は「八丁山古道保存会」によって整備されており手軽に登ることができる。
今回で2度目の開催になる「八丁山登山」は「古道を守る会」の秋田会長を先頭に大方町役場から歩き始めた。
国道を横切り、入野小学校や大方商業高校の横を通過すると住宅街に入る。閑静な錦野団地を行くと手前の尾根を越えてめざす八丁山の山頂が覗いている。それにしても全員足が速い。いつものようにのんびり歩いているとあっという間に取り残される。しかも舗装された道が相変わらず苦手な私はいつの間にか最後尾になってしまった。そんな歩きにくい舗装道路も、やがて住宅街が終わり集合墓地を抜けるとようやく山道に入る。マイカー登山はここから歩くと良い。登山口には「八丁山登山口」と書かれた看板が立てられてあるのですぐに分かる。
錦野団地の奥にある登山口から山道に入る。
登山口から山道を登り始めると、すぐ左手に現れるトラバース道は無視して真っ直ぐに登ってゆく。辺りは雑木林で林床にはシダが生え、足もとにはツワブキの花も見える。こうして手を広げて歩けるほど快適な山道も、整備されるまでは倒木や灌木に遮られ容易には歩けなかったという。今回も度重なる台風の襲来で荒れた古道をボランティアで整備し直したそうで、地元の方々の献身的な努力に頭の下がる思いがする。
植林や雑木林を繰り返しながら山肌を登る山道は、やがて「八丁山橘川古道」と書かれた道標が見えてくるとなだらかになる。辺りにはシイの木(ツブラジイ)も多い。今年は台風のせいで皆無だが、例年は登山道が真っ黒くなるほどシイの実が落ちるのだという。かつて橘川からこの道を通学していた子供たちにとっては楽しいシイの実拾いだったことだろう。私も幼い頃にふるさとの山で日が暮れるまでポケットを一杯にした懐かしい日々を思い出しながら歩いた。
よく整備された古道を登ってゆく。
立木に付けられた樹名板を読みながら緩やかな坂を登り、窪まったところを抜けると支尾根を越えて二つの石仏と出会う。傍らには「杖立地蔵」と書かれた札が見える。ひとつは半肉彫りの身体に目や口が細い線刻で表され、もうひとつは抽象的な姿の双体地蔵である。どちらも自然石に素朴な姿が彫られている。年号は分からないが特に双体地蔵は藩政時代以前の古いもののようで、この道がかなり昔から多くの人々に利用されていたことを物語っている。
杖立地蔵のそばからは東に向けて最初の眺望が開ける。長汀曲浦の美しい入野海岸や広々とした太平洋に見とれてしまう。浜辺では入野海岸一斉清掃の煙が一筋立ち上っていた。
登山道の脇で出会う杖立地蔵。
地蔵に別れを告げると、赤く熟れたカラタチの実を眺めながら雑木林へ入る。ここまで所々に脇道もあるが無視して明らかな登山道をトラバースする。
この古道にはかつて一日百人もの往来があったといわれ、今も所々に往年の道作りの跡が認められる。入野と橘川や馬荷を結ぶこの古道は、木材や薪炭などを運ぶ産業道であり、子供たちの通学路であり、様々な人や物資の行き交う重要な生活道であった。今も一人静かに歩いていれば、曲がり角で薪を背負った老人や、学校に向かう子供たちの笑い声と、ふいに出会えそうな幻想さえ抱かされる古の道である。
そんな山道に台風の爪痕を認めながら、支尾根の左を少し下り、ヤセ尾根を辿ると登山道はY字の分岐になる。ここには「八丁山頂、橘川(山伏峠)」の道標があり、傍らには一本のサカキの木が立っている。ここは左にとって、カゴノキやネズミモチ、ヒサカキなどの林を辿る。まもなく再び出会うY字の分岐では「八丁山頂、頂上まで500m」の道標にしたがい右に向かう。なお、ここで左にとると山伏峠を越えて橘川の集落に至る。
ヤセ尾根を辿ると分岐に出会う。最初のY字路は左にとる。