鉢伏山 2003年11月
かつて介良村と呼ばれていた高知市介良の市街地に介良三山と総称される小高い山々がある。
古墳の多い高天ケ原山(107.0m)、秀麗な山容から介良富士とも呼ばれる小富士山(165.3m)、たくさんの史跡を配する鉢伏山(212.9m)の三山がそれで、身近な里山として地域の人々に愛されている。
その山々が最近、介良コミュニティ計画推進市民会議などにより、「介良史跡自然めぐりコース」として整備され、ハイキングマップができたことを知って、あらためて史跡めぐりに出かけてみようと、今回はその三山の内で一番高い鉢伏山を訪ねてみた。
鉢伏山といえば潮見台団地が造成されてその山容はずいぶん様変わりしたが、それでも西から望めば堂々として、里山の風格を保ち続けている。
その鉢伏山に介良丙東部は岩屋にある「岩屋山薬師寺(いわやさんやくしじ)」入り口から歩いてみる。
岩屋バス停から北に向かうと路傍に「薬師寺岩屋十一面観世音菩薩、参道入り口」と刻まれた道標石が立っている。そこから正面に薬師寺や、めざす鉢伏山の頂を眺めながら車道を歩くと、立派なハイキングコースの案内板が設置された登山口に至る。
ここには夫婦杉が立ち、傍らには田の神であるオサバイサマがあり、案内板の裏には参道の始まりを示す見事な石積みの灯明台がある。
車道脇に道標石が立っている。ここから中腹に見える岩屋山薬師寺に向かって歩き始める。
案内板でこれから辿るコースを今一度確認すると、民家の間を縫って参道を歩く。
民家の奥から石段が始まると、右手に層塔があり、左手には地蔵が見える。ここにはかつて丁石(しるべ地蔵)が置かれていたが、いつの頃からか現在のものと置き換えられたそうである。ちなみに、その時の丁石には八丁と刻まれていたようで、薬師寺の上にある岩屋観音堂までの道程を示していたという。
石段の中央で秋風にはためく四国曼陀羅霊場の赤旗に迎えられながら石灯籠を通過すると、左に女厄坂が始まり、中ほどから右手に男厄坂が現れる。厄坂を登り終えると岩屋山薬師寺に出る。境内には大正時代の旗たてやユニークな燈明台があり、ほぼ正方形の寺堂が立っている。
危難除け薬師如来座像を本尊とする薬師寺は、毎年2月に大祭が行われ、四国曼陀羅霊場八十八ケ所の59番札所として多くの巡礼を受け入れている。
ここの境内からは南西に眺望がよく、見下ろせば下田川沿いの田園地帯が、その向こうには葛目山や五台山、あるいは南嶺の山々が逆光に浮かんでいる。
しばし展望を楽しんでから、本殿に参拝し、入り口に置いてあった「史跡自然めぐりコース」のマップをポケットに入れてから境内を後にした。
岩屋山薬師寺本堂。
境内の左隅から再び始まる石段は、やがて石畳の道になり、常夜灯の電灯線を追いかけながら登ると、樹間から五台山の鉄塔や竹林寺の五重塔が覗いて見える。
まもなく、足もとに「四丁」と刻まれた丁石が現れる。特に年号は刻まれていないが、祈念塔にある天保年間の年号から、この丁石も同時代のものだろうといわれている。ここからは一丁ごとに個性的な丁石が現れる。
参道にある「四丁」や「三丁」と刻まれた丁石。
「三丁」の丁石を過ぎるとすぐ左手に大岩がある。石神信仰であろうか、ここには白岩神社と書かれた旗が立っている。岩の上には玉石が置かれ、そばには鈴などが添えられてある。
白岩神社を過ぎると、空が少しずつ開けてきて、参道脇にはマツやヒサカキ、サクラなどが見える。そんな林を少し登ったところで、ふと足もとに倒れた石仏を見つけた。抱え起こすとそこには「二丁」と刻まれてあった。その隣には四国八十八ケ所第19番立江寺と刻まれた石仏も置かれている。この辺りにミニお四国のあった名残であろう。
さて、薄暗い林の中に入ると、またも倒れた石仏があったので、ここでも抱き起こすと「一丁」の丁石だった。それにしても、度々丁石が倒れているのは摩訶不思議なことである。
最後の丁石を過ぎると、参道脇に井戸が見えてくる。釣瓶で汲み上げた水は傍らにある文政年間の手水鉢に移され、手水にされるのであろう。しかし、かつて涸れてしまったこともある井戸だけに、現在も雨が少ないと涸れることがあるという。
参道脇には井戸がある。
井戸を後にすると、右手に立派な石段が現れてお堂が見えてくる。石段のもとには道標が立てられており、真っ直ぐに行くと帰途に辿る白水橋への下山道なので、ここは石段を登る。
短い段を登りきると岩屋観音堂に辿り着く。
線香の香りが漂う境内には、大きな岩屋を背後に立派なお堂が立てられ、岩屋の奥に安置された石の厨子には鎌倉時代のものといわれる十一面観世音立像や脇立の薬師不動尊や不動明王などの石仏が納められているという。しかし、残念ながら平素にそのお姿を拝むことは叶わない。
岩屋観音堂の境内には休憩用の東屋があり、蓮池町や介良村の在が刻まれた明治19年奉献の手水石や安政年間の石灯籠などもある。
「大悲ケ森」と呼ばれるお堂の周りは樹木に囲まれて展望は利かないが、唯一、休憩用東屋の上にある岩に立てば、南西に桂浜方向の眺望を得ることができる。なお、大悲ケ森とは観世音菩薩の別名「大悲」からこう呼ばれるものである。
岩屋観音堂。中央にある本殿の背後に岩屋がある。
さて、観音堂からは、境内に立つ大きなヒノキのそばを通り、潮見台方向への指導標に従い、山頂に向かって山道を登り始める。
林床をシダに覆われた照葉樹の林を登り、すぐに尾根に出ると大きな岩が散在する尾根道を歩く。
やがて、道の左手に社が見えてくると、ここは大山祗神社である。
岩の上にご神体を祀ってあるようだが、大岩ごと社で覆われ、拝むことはかなわない。
大山祗神社を過ぎると、あっけなく鉢伏山山頂に着いた。なだらかな山頂には三等三角点の標石がある。周囲は12畳ほど刈り払われているが眺望は利かない。かつて太平洋や香長平野の眺望に恵まれ風光絶佳と言われた鉢伏山も今は樹木に囲まれてしまっている。
ところで、山頂の東には石鎚神社があり、立派な鳥居や岩の上には手水鉢が置かれ、通夜堂も立っている。
この三ケ森石鎚教会の社殿は、岩を配した回廊のある凝った造りだが、時代の変遷のせいか現在は随分と朽ちかけている。しかし、社殿脇の岩の上に安置された石祠の中には立派な不動明王の石仏が祀られており、祠の側面には明治の年号が刻まれている。また、傍らの石碑には創立の由来や、三ケ森石鎚大悲蔵王大権現などと刻まれていて、ここに石鎚講の盛んだった時代の様を今に伝えている。
鉢伏山山頂には三等三角点の標石が埋まっている(左)。その奥には石鎚神社の社や石祠がある(右)。