稗己屋山 2002年3月23日
稗己屋山は藩政時代の記録によれば「稗木屋山」と記されており、馬路村に数あるお留め山(不入山)のひとつであった。
山名の由来は、ずばり稗の小屋と云われ、かつて木地師のグループがこの山で稗を栽培していたという話が今では俗説となっている。
この山は高知新聞社の選定した四国百山のひとつである。
四国百山は「著名な山や一般の人でも登れる山を中心に、他には初心者には危険も伴うが四国の山としてはずせない山」を取材班の判断で選定したもので、あくまで「百山」で「百名山」ではない旨の「あとがき」があるが、さて稗己屋山の選定にあたってはどのような判断が働いたのであろうか。
四国百山以外、後にも先にも紹介されたことがない、ある意味不遇とも言える山にその秘密を探ろうと私たちは早朝に自宅を出たのだった。
稗己屋山へは、馬路村魚梁瀬の集落を抜け千本山に向かう途中から「和田山林道」に乗り入れる。
和田山林道は入り口が封鎖されていることもあるので事前に安芸森林管理署魚梁瀬事務所に鍵番号を問い合わせておくと良い。
和田山林道に乗り入れてからは終点近くの登山口まで約10Km延々約40分、未舗装の林道を走る。
この界隈にはカモシカの目撃情報も多く、時間に余裕があれば車を止めて辺りの山をぐるりと眺めてみるのも面白い。
林道の途中にはヘリポート広場があり、稗己屋山や宝蔵山のやまなみを見渡すことができるが、残念ながら稗己屋山の山頂は手前の尾根に遮られて見ることができない。
キブシの花がところどころ咲く中、車を走らせるとようやく登山口に着く。
稗己屋山登山口は和田山林道の終点より手前の右手山側にあり、「登山口」と書かれた看板や高松軽登山会のプレートがある。
車は登山口の手前約200mの左カーブにある広場に駐車する方が無難である。
登山口は山肌が少し崩れているので注意して歩き始める。
登山道は最初から急坂なので焦らないで上をめざす。
この坂道は白骨化したスギが立つ尾根の張り出しまで延々と続く。
登山道には巨大な魚梁瀬杉の切り株が散在し、かつて国内有数の営林事業が行われた頃が推し量られ、朽ちた切り株から生え出たツツジなどに過ぎ去った歳月を感じる。
登山道には巨大な切り株や倒木が横たわっている。
カヤやスズタケを両側に繰り返しながら登山道を登って行くと、多くはないがクロモジやシキビが花を付けている。
一本だけの小さなシャクナゲは蕾をふくらませ、アセビは米粒のような白花を咲かせて、山にもゆっくりと春が訪れている。
そのアセビが咲く辺りで前方の尾根を見上げるとササの中に白骨化したスギが見えている。その辺りをめざして更に登って行くことになる。
上方に白骨化した杉が見えている。ここから一挙に尾根をめざす。
登山道は相変わらずスズタケやカヤに囲まれているが、所々空いた箇所では右手に展望が開けて千本山などを望むことができる。
また、振り返ると最前走ってきた和田山林道が大きく蛇行して延びているのが見える。
左に杉の若木林を見ながら、立ち枯れたススキやスズタケの中を辛抱強く登り、やがて深いスズタケをくぐるように這い上がると、登山口から約30分で白骨化した杉の立つ尾根へと辿り着く。
ここは稗己屋山の登山道で唯一展望に恵まれ、遠目からも雰囲気の良い尾根である。
ここでザックを下ろし小休止することにした。
白骨化した杉の立つ尾根筋。右奥に稗己屋山の山頂が隠れている。
白骨化した杉の立つ尾根からは、これからめざす尾根筋が左斜め上(西方向)に、たった今辿ってきた登山道が振り返って眼下(南方向)に、尾根を越えて北には宝蔵山や烏帽子ケ森が見えている。
また目の前、北方向には真新しい林道が稗己屋山から宝蔵山の山肌を縫って切り開かれ、たった今もダンプカーやバックホーが忙しく働いているのが見える。
小休止して南の展望、中央奥に天狗森が覗いている。
ここで少し寄り道をして尾根を東にスズタケの中の踏み跡を進むと、更にダイナミックな展望を得ることができる。南には見覚えのある天狗森が、北東方向には千本山や甚吉森、その奥には湯桶丸など1000m級の峰々が聳えているのが確認できる。
白骨化した杉の立つ尾根の端から北東方向の展望。左手で一番高い甚吉森、中央手前の千本山、遠くに目立つ湯桶丸など、著名な山々が居並ぶ。
小休止を終えると尾根を西へと稗己屋山をめざす。