宝蔵山  2004年11月

宝蔵とはなんとも魅力的な山名である。いったいどんなお宝が隠されているのだろうか。この目で確かめたくてはるばる魚梁瀬に出かけてきた。

お馴染みの千本山登山口を通過すると、親水公園のそばでゲートの錠を外し、宝蔵山林道に車を走らせた。ゲートから距離約3.5km、およそ半時間近く走ってきて、ようやく道の脇に「歩道入り口」が見えてきた。向かいには土阿県境のやまなみが横たわっている。


宝蔵山林道の脇にある登山口から支尾根に向かう。

登山口からは、まず支尾根に向かって直登する。背後で聳える甚吉森に見送られながら、木の根やガレた石に注意して支尾根に出ると、尾根道と合流する。支尾根を辿る山道には、さすが魚梁瀬だけあって目を惹くスギが多い。降り積もった落ち葉や枝を踏みしめながら植林や雑木林を繰り返して山道は登ってゆく。辺りにはスギやヒノキの他、アセビやヒサカキ、モミやヤブツバキ、ユズリハなどが見え、林床にはツルシキミも多い。
やがて少しなだらかになると一面の植林に入り、まもなく植林の縁を横切って人工林と天然林の植生境を辿る。山肌には杉の大径木が美しく、立ち枯れた巨木や、ふた抱えはあろうかという切り株も見える。これが宝蔵山のひとつ目の「お宝」である。土佐十宝山の随一といわれた魚梁瀬の諸山にあって、ここも良質の木材を多数産出したものであろう。明治28年(1895年)に開設された和田山〜宝蔵山7000間(約12.6km)の牛馬道によってスギやモミ、ツガなどの大径木が搬出され、明治40年(1907年)に設置された宝蔵山官行斫伐事業所などにより、幾多の林業施策が繰り広げられたことは想像に難くない。


植林や雑木林を繰り返しながら支尾根を辿ると大きな切り株も多い。

そんな切り株や整然とした造林を眺めながらひときわ大きな立ち枯れたスギを回り込むと、足もとに捨て置かれたテレビブースター(共同視聴用増幅器)が目に入った。かつての事業所が宝蔵山に共聴用テレビアンテナを設置していたものであろう、ここからはその名残の同軸ケーブルを追いかけながら山道を登ることになる。
樹間から前方にめざす山頂がちらほら見え始めると、わずかなアップダウンを繰り返す狭いヤセ尾根を経て線状おう地のようなところにでる。ここでひと息つくと若干右にトラバースしてから、尾根を左手にしながら今や雑木に覆われた防火帯を登ってゆく。この辺りにも大きな切り株が多い。かつて魚梁瀬の山のあちらこちらにチェーンソーの音が響き渡っていた高度成長時代が思い起こされる。


線状おう地から雑木林に出る。

ところどころで同軸ケーブルをまたぎながらジグザグに尾根を登るとだんだん息が上がり始める。振り返ると仰ぎ見ていた土阿県境のやまなみが目線の高さになろうかとしている。やがて前方が明るくなると、ヒメシャラやモミなどの雑木林に枯れたスズタケが一面の山肌に出る。ここからはいよいよ正面に聳える山頂をめざして最初の直登が始まる。

左手に大岩を見ながら、背後の甚吉森や千本山に励まされつつ急坂を登ると、標高を稼ぐにつれて視界が開けてくる。直登の途中で度々足を止めては東を振り返ると、雁巻山や湯桶丸などの名峰も見えてきた。登山道に再び現れた同軸ケーブルを辿りながら、鬱陶しい倒木を克服し、狭い刈り払い道を登ってゆく。


きつい直登も振り返れば眺望に慰められるのだが。

ようやく急登が終わると岩場からヤセ尾根になる。左は鋭く切れ落ちた断崖絶壁で、木が生えていなければ足がすくみそうなヤセ尾根である。それだけに眺めは良く、西又山から甚吉森への稜線の奥には剣山や次郎笈がのぞき、南には魚梁瀬丸山台地や天狗森も見えてくる。尾根にはシャクナゲが多く、モミやツガ、アセビやコウヤマキなどが生え、お馴染みのブナも現れる。やがて左上に山頂が迫ってくると、ヤセ尾根から岩場の急登にさしかかる。ツガなどの木々を手繰り寄せながらよじ登れば、ちょっとしたザレ場のような裸地に出て、胸のすくような眺望に迎えられる。
この後、登山道は山腹を少しトラバースしてから、西へ向かう尾根に乗るのだが、山頂はもう間近なので急ぐ必要もない。ザックを下ろしてから少し上の尾根に立つと見事な眺望を心ゆくまで眺めてみる。


ひと息つくザレ場からの眺望。甚吉森の右手にはうお山や湯桶丸が続く。

北から東へは、ブナ林の広がる西又山から県東部の盟主甚吉森へとたおやかな稜線が横たわり、その奥には剣山や次郎笈が顔を覗かせている。甚吉森からなだらかに流れる稜線は、うお山からおばけ杉の立つコブを経て湯桶丸や貧田丸へと分かれてゆき、手前には魚梁瀬杉に覆われた千本山が臥している。南にはダム湖を取り囲むように魚梁瀬や北川村の山々が折り重なり、今更ながらに深山の趣を濃くしている。
居並ぶそんな名峰たちのひとつひとつを指呼しながら、思い出を手繰り寄せたり、今もって未踏の山には憧れを募らせてみたりする。魚梁瀬の山々は登山者にとっても大切な「お宝」である。


西又山のブナ林から甚吉森への稜線。右奥には剣山や次郎笈がのぞく。

進む