地蔵山 2002年8月4日
一泊二日高知県西部山行き旅行の二日目は高知県の県鳥であるヤイロチョウを訪ねて奥大道の地に向かい、幡多郡十和村と大正町と愛媛県北宇和郡日吉村にまたがる地蔵山から南東の笹平山までのミニ縦走を試みた。
前夜大正温泉に浸かり高研山登山の疲れを癒した私達は、早朝に車を走らせ十和村奥大道をめざした。
今回は大正町下津井から林道「下藤蔵向畑線」を西に十和村番所谷集落に向かう。
途中、町村界の峠で笹平山山頂間近まで延びている林道を確認し、仁井田又では大道の五葉松(*1)を見学したりと相変わらず寄り道をしながら、番所谷の集落を通過する頃は狭い渓谷にも太陽が覗いていた。
さて、番所谷からは糀ケ瀬線に入り、車道終点間際にある「森林浴の森」をめざす。
大改修の行われつつある林道も手の入らない箇所に来ると夏草が繁茂し車道と呼ぶにはあまりにも心許なく、無理は避けて結局2.5Km余り走ったところで車を乗り捨てて歩くことにした。
(*1)大道の五葉松=十和村指定の天然記念物。樹高25m、目通り4.5m、推定樹齢300年、別名「孫右ヱ門五葉」とも呼ぶ。
足慣らしをしながら林道を歩いてゆくと、前方奥にはめざす地蔵山が見えており、また林道の対岸(石ナベ山国有林)には日本最古といわれる複層林が見えてくる。
この複層林は、藩政時代の文化8年(1811年)にスギとヒノキが植えられた人工林に、昭和9年(1934年)択伐後の植裁としてスギヒノキ合わせて1000本が植えられたもので、これが森林の上層と下層を立体的に配置した複層林として学術的にも注目されているものである。
一帯は昭和32年に水源かん養保安林に指定され、昭和58年には四国で最初の「森林浴の森」に設定されている。
車を降りてから10分あまり歩いてきて、右カーブの広場になると、その「森林浴の森」や小椎尾山(こじおやま)の「自然観察教育林」を案内した看板や鳥獣保護区の看板などに出会う。
路肩に立つ看板の傍から谷川に向けて下れば森林浴の森を散策することができるので、興味があれば帰路に立ち寄ると良い。
さて、この看板から林道を奥に1分足らずで山側(右側)に地蔵山への登山口が現れる。ここからいよいよ山道に踏み込む。
登山口には「地蔵山登り口」と書かれた指導標が立っている。
登山口の指導標に従い、林道から折り返すように山道を登ればすぐに尾根に出て、左にヒノキの植林、右にはコナラやアカマツなどの雑木林を眺めながら尾根筋を登って行く。
この時期はカヤが頬を撫でて鬱陶しいがそれも間もなくヒノキの植林に入る。
植林の中を尾根道が登って行く。
登山口から15分ほど登ると、登山道は尾根を右に外れてすぐに第1の分岐になる。
この分岐、真っ直ぐに行くと仁井田又番所谷から尾根沿いに延びている往還に向かってしまうので、ここは左に折れて登る。
分岐には指導標があり、以後重要な分岐には同様の指導標があり心強い。
分岐からはすぐに尾根を左へと巻き込み、しばらく山腹をトラバースする。
植林の中には一部急斜面に危険なザレ場があるので滑落と頭上からの落石に注意しながら進んで行く。
植林の中のザレ場では慎重に。
登山道はやがて水平道になり、一面に植林の中、立木にピンクのテープなどを追いかけながら北に向かう。
辺りには水田跡であろう今は手入れの悪い植林が根を下ろした石垣の跡なども見えている。
登山口から20分あまり来て植林の中で第2の分岐に出会う。ここにも指導標が立っている。
ここからは植林の中の急登になるので、一旦小休止して息を整えておく。
なお、万一どうしても水が必要な場合は、ここを更に真っ直ぐに自然観察教育林に向かえば小さな谷で補給することができる。
なだらかな植林帯で分岐になる。「お地蔵さん方面」と書かれた愛嬌ある指導標にそって、右上に向かう。
さて、指導標に従い右上へと向かう。
地表に降り積もった枯れ枝の中からところどころにオオハンゲの花が咲く程度の無味乾燥な植林の中、ピンクのテープを追いかけながら黙々と登って行く。
ここからは、ずっと上方を横切る仁井田又番所谷からの道に出るまで退屈で辛く長い登り坂が続く。
枯れ枝の降り積もった植林の中をジグザグに縫いながら辛抱強く登って行く。
特筆すべきものが何もない植林の中、Zの急登をただひたすら這い上がると、上方に大きな岩陰が見えてきてようやく、先述した仁井田又番所谷からの尾根伝いの往還道と出会う。
ここは第3の分岐で、指導標には右向けに「仁井田又番所谷へ」、左方向には「地蔵山頂へ」と書かれている。もちろんここは指導標に従い左(北)へと向かう。
ちなみに、この分岐から番所谷に向けての道は踏み跡は確かなものの草木が茂り、現在はあまり使われていないのであろうひどく荒れているように思われた。
藩政時代には番所谷に「大道道番所」が置かれ、土佐と伊予をたくさんの人々が行き来したことももう忘れられようとしている。