赤荒分岐を通過し国見山の頂に向かって林道を下ってゆくと、この辺りは秋の紅葉が美しいところでもある。実際の参勤交代道は林道の左手にわずかに残されているようだがここは広々とした林道を歩いた方がはるかに心地よい。
やがて道の脇に案内看板が現れると、参勤交代道は林道を左手に逸れて林に入り、国見峠を越えて杖ケ森の山腹を巻くと一気に本山に下る。大名行列はこの後吉野川を下り、立川川を遡って県境の笹ケ峰を越え川之江に向かったのである。
さきの9代藩主山内豊雍はこの峠で「山幾重越えつつ見れば土佐の海や千里の浪も霞む長閑さ」と詠んでいる。おそらくその頃の峠からの眺望は雄大であったことだろう。

さて、当時に想いを馳せて歩いた参勤交代道とはここで別れることになる。
めざす国見山へは案内看板から、林道をそのまま3分ほど直進し、左手に「国見山」と書かれた大きな看板のあるところから林に入ってゆく。


林道脇の登山口から山道に入る。

ガスでびっしょり濡れた雑木林を道なりに進み、なだらかで広々とした疎林になると登山道の右脇に「遠見岩」が現れる。
「遠見岩」は国見峠と山頂とのちょうど中間あたりに位置している。国見山の山頂は展望が利かないのでここからの眺めを充分に楽しみたいところだが、生憎今日は何も見えない。
天候にふてくされても仕方ないし、まだ雨が落ちてこないだけマシというもの。空腹に後押しされて早々に遠見岩を離れ、山頂をめざして尾根を東に向かった。


遠見岩に腰を下ろす。

標高千メートルの尾根筋に春の訪れは遅く、芽吹きの待ち遠しい林を縫いながら頂へと急ぐ。
登山道の脇に花をいっぱいに着けたツルシキミの群落が2箇所ほど見えてくると、ようやく少しだけ開けた国見山の山頂に出た。2等三角点の標石や山名板はあの頃と変わらなかったが、展望台は朽ちて使用できなくなっていた。
山名の由来として「南は足摺から室戸まで、北は豊永から本川も、諸国見えざる所無し、則ち国見山」と記された「国見之峰」の名峰も、今は昔である。

腕時計を見ると昼はとっくに過ぎている。いくら遅くても3時間足らずの予定が、結局4時間近くかかってしまっていた。そそくさと荷を下ろし、さっそく昼食にする。時間的ロスはどうしようもないが、空腹を満たせば体力的なロスは少し癒された。


久しぶりの国見山山頂にて。展望台は朽ちて上がれなくなっていた。

短い昼食をすませて山頂を後に三郷越えの峠に向かって東に尾根を辿る。
少々藪こぎを強いられるが芽吹きの遅い林がかえって功を奏し鬱陶しさも半減されるのがありがたい。
野趣あふれる岩場を左に下り、ブナ混じりの林を行くと大岩の点在するヤセ尾根を過ぎて広々として快適な尾根道になる。
落ち葉の絨毯を踏みながら、横井製材KKの標石や林業公社の赤いプラスチック杭を追いかけていると形の良い笠松に出会った。辺りには青々としたツルシキミが地を這っている。


尾根道にはツルシキミの群落が多い。

国見山を発ってもうすぐ半時間になろうとする頃、バカ尾根の分岐にさしかかる。少し分かりづらい分岐点だが、赤いプラスチックの境界杭を見落とさないように方向を北に転じ、土佐山田町と本山町の町境を辿る。まもなく出会う大岩は右に巻いて下り、薄暗いヒノキ植林を傍らに雑木林の方を下る。それにしても立ちこめるガスは植林を漆黒の闇に変え、時間の感覚が麻痺しそうですらある。
そのうち尾根道は緩やかになると、ところどころでショートカットやバイパスを通り大岩の点在する箇所になる。晴れてさえいれば直ちに大岩に駆け上り、四方を眺めてみたくなるのだが、今日は恨めしく見上げるだけで過ぎ去るしかなかった。


尾根道にそそり立つ大岩。

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