目高森〜三辻森 2003年3月23日
ここに一冊の写真集がある。
最初の見開きにはつぶらな瞳で猫を抱いた少年のカットがある。
田辺寿男民俗写真集「ぼくの村は山をおりた」は、芸西村の3つの集落の集団移住を撮した記録写真である。
少年は小学校入学と同時に山を下りた。白髪(しれげ)という生まれ育った村を後にして。
白髪(しれげ)は安芸市矢流の北にあった。
部落に通じる唯一の道路は海岸線から急勾配で曲がりくねった狭隘な山道を10km、山の尾根に開けた山頂集落は昭和47年の集団移住により消滅するまで全員が小松姓を名乗る一族一村の珍しい集落だった。
その白髪の先祖は平家の落人であったといわれ、急峻な四国山地を越えてこの地に隠棲したと言われる。
この集落に興味を持った私と杉村さんは、その足跡を追ってみようと、長者が森から南に派生する尾根を辿って廃村まで歩いてみることにした。
1等三角点「目高森(めだかもり)」や3等三角点「三辻森(みつじもり)」はその途上にあるのである。
今回は歩行距離が長いこともあって、回送縦走を試みた。
早朝に自宅を出た私たちは2台の車でまずは白髪の集落跡をめざした。
安芸市赤野から国道55号線を離れ、狭い車道を北上する。すれ違いどころか軽乗用車でも難儀する道を延々と走り白髪の集落跡手前に一台を乗り捨て、再び国道に戻ると夜須町手結山まで帰り、林道「手結羽尾線」を北上して夜須町仲木屋の手前に聳える長者が森に向った。
途中、夜須町羽尾にある大釜の滝や長谷寺(槇寺)などに立ち寄り、結局登山口についたのは自宅を出て4時間後のことだった。
林道脇の登山口。山道はヒノキ植林の中に吸い込まれてゆく。
まず最初にめざす目高森の登山口は長者が森に立つNTTのパラボラアンテナの南東にある。
県道安芸物部線から仲木屋に向かう「林道仲木屋線」に入ってから3Kmほどの所にあるヘアピンカーブで、入り口には赤テープや小さなプレートなどの目印がある。
なお、登山口のすぐ近くには真新しい林道が尾根を挟んで登山道と同じ方向に延びているが、林道は登山道とは交わらないので山道の方に入らなければならない。
右下に真新しい林道を見下ろしながら、間もなく伐採跡になる。
登山口からヒノキ植林の中を進み、尾根に取り付くと右下に真新しい林道を見ながら緩やかに登って行く。
5分ほどで伐採地の上を通ると北に展望が開けて、遠くにこんもりと白髪山が見え、その奥には雪をいただいた三嶺や天狗塚などが見えている。
足もとの伐採地にはヒノキの苗木が植栽されており、今日も下方で植え付け作業が行われている。
伐採地から北の眺望。天狗塚を中央に牛ノ背や西熊山などが見える。
こちらも伐採地からの眺望。左奥に残雪を輝かせる三嶺、右端は白髪山。
伐採跡から5分足らずで山道にはアカマツが目立ちはじめ、この辺りが豊かな山である証であろう、立木には「山芋きのこ等植物の採取を禁ず」と警告の立て札も見える。登山道の一切が立ち入り禁止とならないためにも、決して盗掘などしないよう肝に銘じなければならない。
さて、その立て札の先で道は十字路になるが迷わずまっすぐに進み、尾根沿いを辿る。
まもなく今度は右手に伐採跡が現れ、立ち枯れたススキ越しに土佐湾が覗き、遠く高知市街が見える。
道はやがて薄暗いヒノキの植林に入るとなだらかになり、小さなコブ(783mのピーク)の右手を巻くと辺りは照葉樹混じりの植林帯になる。
道はずっとしっかりとしており、足もとに降り積もった松葉を踏みながら明るい林を下って行く。
すぐにコルで出会う右下方への脇道は無視して、尾根をまっすぐに登ると小ピークで正面に目高森の山頂が見えてくる。
樹間から正面に目高森の山頂を眺める。立木には山火事注意のプレートが見える。
ここからは南西に進行方向を変えて、安芸市と夜須町との境界尾根を下る。
この尾根沿いからはしばらくの間、北東方向に展望が開けて三嶺や天狗塚など奥物部方向の展望を得ることができる。また、天狗塚の手前には土佐矢筈山から小桧曽山へのササの稜線や、奥神賀山から中都山、大ボシ山にかけての尾根筋なども遠望することができる。
登山道は所々で灌木の鬱陶しいところもあるが藪と言うほどのことはなく、ほとんどが落ち葉踏む快適な照葉樹林である。
アカガシなどの照葉樹林を行く。