集団墓地を抜けてからの登山道は少し急な登り坂になる。
しかし、雑木林に燃えるツツジを眺めながらだと息の上がる間もなく尾根の岩場に出て展望が開ける。
ここは「西の覗き」と呼ばれる行場で、マツの生えた岩場は瀧(断崖)になっており、行者はここに寝そべり肝試しをしたといわれる。
現在岩場の下は植林が大きくなり恐怖心は若干薄れているものの、身を乗り出せば肝の冷える思いがする。
そんな岩場からの展望は素晴らしく、物部川沿いの営みが手に取るように広がっている。
北西に高知工科大学のキャンバスを見下ろし、その遙か背後には国見山の頂が覗き、西には雪ケ峰城跡がなだらかに尾を引いて、彼方に前工石山も見えている。一方南西遙かには高知市街が広がり、密集した建物の海には鉢伏山などが小島のように浮かんで見える。
200mばかりの超低山の、しかも6合目辺りからの眺望とはとても思えない眺めである。
行場「西の覗き」からの眺め。左奥に高知市街を遠望する。
「西の覗き」からの展望を楽しんだら再び登山道を上に向かう。
「西の覗き」からは岩のごつごつした尾根を3分足らずで「前仏様」と呼ばれる祠に着くが、途中には道の左手に「揺るぎ岩」などの行場も見える。
「揺るぎ岩」は、昔なら子供2人で押せばゴトゴト動いたと言うが、今は土砂などが詰まり大人が押してもビクリともしない。
大きな手水石の奥に「前仏」の祠がある。祠の中には役行者が奉られている。
ところで、辿り着いた「前仏様」の祠には立派な自然石の手水鉢や一本のマツの木が配され、格子の間から祠の中を覗くと木彫りの役行者像が祀られているのが分かる。しかし役行者の両手からは錫杖や数珠あるいは経巻や独鈷杵が取り外されており、前鬼、後鬼の二侍者も見えない。
ここからは眼下に「山田簡易水道林田配水池」とその周りに広がる段畑を俯瞰し、南西に鳥越山が見えて、その尾根越しには烏ケ森(191.7m)が頂を覗かせている。
「前仏様」の辺りから南西方向の展望。中央のピークは鳥越山。右隅には烏ケ森が覗いている。
また「前仏」から登山道を奥に向かうと、すぐ傍の岩場には蔵王権現が祀られており、2本のヒノキには鳥居代わりに注連縄が渡されている。
蔵王権現の台座には「大正13年8月吉日」の文字や「施主、鬼頭、森田」などの銘が見てとれる。
更に、登山道は前仏の裏側に回り込むと、昭和3年8月に建立された「開基50年記念」の石碑が右手にある。
蔵王権現(左)が祀られた岩場。
登山道は「開基50年」の記念碑を過ぎるとすぐに分岐になり、ここを左手に直登すれば3分あまりで大峰山の三角点に至るが、「奥の院」の鎖場に向かうため、ここはひとまず真っ直ぐに進む。
分岐から1分あまり、ヒノキの大木やマツが立ち並ぶ参道をなだらかに行くと正面に石段が見えてくる。
この石段の手前の山肌に最大の行場である鎖場がある。しかし、鎖場まで明確な道はなく、石段の手前を右手にヤブを漕いで行かなければならない。
役行者の格好を真似して、石段に腰掛ける浜田氏。