笹ケ峰 1997年10月4日〜5日他
日本200名山「笹ヶ峰」へは、高知県側からだと寒風山経由が一般的だが、私と笹ヶ峰は「丸山荘」を抜きには語れないので、西条市下津池からのルートをご案内させていただきます。
なお、下津池からもルートは2通り有るが(詳細は文末の備考を参照)、ここでは最もポピュラーな沢沿いのルートを辿ります。
また、ここに紹介する山行き文の時、カメラを持参していなかったため、画像は別日のものを使用しました。
*丸山荘の管理人であられた伊藤さんは愛犬クロとともに2001年3月末をもって下山されました。現在は別の方が管理をされておられるようです。
(情報をお寄せくださいました愛媛県の星加様、ありがとうございました)
*現在の丸山荘について更に詳しい情報をお持ちの方はお知らせください。
笹ヶ峰への単独行はこの時が初めてというのに天候は下り坂らしい。しかも無線機材でたっぷり重くなったザックに多少の不安もあったが、風雨で設営できないなら山歩きだけで帰ってこようと意を決して自宅を出た。
遅い昼食を取った後、お弁当とインスタントラーメンを仕入れて、もちろん晩酌の飲み物も忘れずに買い求めてから、深いガスの中の登山口をゆっくりと歩き始めたのは15時半だった。標高差900m近い山行きの第一歩である。
渓谷ぞいのつづら折れを辛抱して歩くと思ったより早く「丸山荘」までの中間地点にあたる「宿(しゅく)」に辿り着いてザックを降ろし一息ついた。
かつてここは、住友別子銅山に供給する木炭を貯蔵していた場所で、一時は200名ほどが就業していたらしい。苔むした石垣が往時を偲ばせる。
真昼でもやや薄暗い「宿」付近。石垣跡や湿地様の池がある。ここは西山越しや上の登山口との合流点でもある。
「宿」から間もなくは気持ちの良いブナ林の緩い登りになる。ここまで来れば山小屋はもうすぐ。
過日の台風で流された丸木橋の代わりに、パンザマストで架けられた丈夫な橋を渡ると自然にペースも上がってくる。この頃にはガスの切れ間から陽射しも漏れてきたが、残念かな普段なら右手に見える瓶ヶ森や西黒森は相変わらず濃い霧の中にいた。
ガクアジサイや花弁の濃いリンドウやスマートなブナに励まされて最後の階段を登りきると1年振りの丸山荘と、この山小屋のかわいい住人「クロ」が私を出迎えてくれた。時計の表示は17時を過ぎていた。
懐かしい山の学校を思わせる2階建ての立派な山小屋「丸山荘」。毎年夏休みには麓の子供達が合宿に訪れる。左の電柱上のソーラーパネルはNTT。ここの公衆電話は無線電波で送受信されている。
ザックを背負ったまま玄関をくぐり声を掛けると、丸山荘のご主人「伊藤朝春さん」がすぐさま管理人室から出てこられた。一夜の宿をお願いしたら管理人室に一番近い3号室に案内された。内心はこのガスが晴れて夜景が見られるのなら、2階の奥の端の部屋が良いのだが(ここの2階から見る西条市の夜景は素晴らしいので)とちょっぴり残念には思ったが、それは贅沢というもの。さっそく6畳ほどの部屋を独り占めして荷を緩めた。
濡れたTシャツを軒先に吊し(1階はガラス戸を開けて窓をまたげばすぐに縁側なので)、ちょっと温もりかけた缶ビールを外気に当ててから広い庭のベンチでタバコをふかせた。ひとしきり足下で戯れる「クロ」と和んだ後、ふと眼を上げると魔法のように霧が晴れて思わず声にならない声をあげてしまった。
丸山荘の裏から頂にかけてはみごとな紅葉が始まっていた。しかも明日登るであろう笹原の登山道と稜線までもがはっきり見えた。もう太陽はすっかり石鎚山の向こうに隠れてしまっていたが、初秋の残り陽を贅沢に楽しませてもらった。
ちなみにこの時、丸山荘の2階の各室の雨戸が閉められていることに気づき、先ほど1階に案内されたのも「さもありなん」とうなずけた。
丸山荘の縁側。冬の備蓄の薪の脇で、クロとポーズをとる。後方には笹ヶ峰の笹のスロープが迫る。
アポ無し(実は数日来電話をしていたがつながらなかった)でもあり、今夜はここでの秘かな楽しみ五右衛門風呂も無理とわかっていたので、のんびりと日暮れを楽しんだ。
麓の喧噪の中と違い、ここで流れる時間は想像以上に緩やかだが、それでも秋の早い日暮れに追われて(急に下がった外気温に震えてが本当のところ)、部屋に戻ってからは宿帳(御芳名録)に記帳、どうやら今夜は私一人のようだ。更に前回お世話になった奥さんは所用で山を下りておいでとのことで広い山小屋(250名収容)に今夜は伊藤さんと二人きりだ。そこでちょっとご無理をお願いしようかと「朝食をお願いできませんか?」とおそるおそるきりだすと、「大したものは出せませんが・・・」と快く引き受けて下さった。翌日は朝も昼もインスタントでと覚悟していただけに心底嬉しい承諾だった。しかも「お弁当は?」と予想外の言葉にただただこれ以上ご無理はと辞退させてもらった。