千本山  2002年6月1日

馬路村魚梁瀬(やなせ)の千本山といえば、日本三大美林(正確には日本三大杉美林)のひとつであり高知県の県木でもある「魚梁瀬杉」があまりにも有名である。
雨の多い高知県でも特に降水量の多い魚梁瀬がその気候と歴史で育んだ魚梁瀬杉の美林は、秋田杉や吉野杉に勝るとも劣らず人の手に触れられていない天然の美しさを誇っている。
今回は馬路村を、ひいては高知県東部を代表する名山「千本山」に足を運んでみる。

千本山の登山口は馬路村魚梁瀬の丸山台地から、西川林道を約20分ほど北上した所にあり、林道は登山口のすぐ上手から一般車の乗り入れが制限されゲートが設けられている。
著名な山だけに登山口までは道標が豊富で迷うことはないが、魚梁瀬から更に以遠だけに車でのアプローチには相当の時間を要する。

登山口には駐車場がありトイレも設置されていて、千本山遺伝資源保存林の案内板なども設置されている。


千本山登山はこの吊り橋から始まる。

さて、登山口から階段を数段下ると、まずは西川の渓谷に架かる吊り橋「千年橋」を渡る。
ゆらゆら揺れながら足元の美しい流れを眺めて千年橋を渡ると目の前にいきなり杉の大木があらわれる。
この杉の木は胸高直径2m超、樹高54m余で「橋の大杉」と呼ばれ、環境庁の「森の巨人100選」にも選ばれている。
登山道はこの大杉の根を踏まないように右に迂回して、ヤハズアジサイの傍を登り、樹木を保護するために近年設置された木の階段などをしばらく歩くことになる。
学生時代にこの山に登った時は杉の根がゴツゴツと露出した登山道を歩いて度々木の根に足をとられた記憶も今では遠い過去のことである。
変わって、今では雨などで濡れた木の階段に滑らないよう気を付けなければならない。

歩幅の合わない木製のスロープを慎重に歩いて上方をめざす。
歩道の周囲には照葉樹に混じって魚梁瀬杉がすらりと幹を延ばしており、ところどころ大きな杉の切り株にも出会う。
登山道の脇には多数の樹名板が整備されているので木の名前を覚えながら歩くと楽しい。
千本山には魚梁瀬杉や天然ヒノキなど俗に「魚梁瀬の6木(*)」と呼ばれる木々の他に四国では稀にみる大きさのサカキ(ヒサカキとは違う)などもあり、木の好きな人には堪えられないことだろう。
なお、木製の歩道の途中には数箇所の脇道があるが、付近は計画植樹がされてあったりするので不用意に立ち入らないよう注意しなければならない。

(*)トガサワラ、スギ、ヒノキ、モミ、ツガ、コウヤマキをまとめて俗に魚梁瀬の6木と呼ぶ。


延々と木製の歩道を登って行く。

橋の大杉から延々と続いた木製の歩道も標高差120mほど登って昔からの登山道になる。ここまで登山口から約15分あまり。
土の上に足を下ろすと、杉の木たちには申し訳ないがやはり土のやさしい感触が心地よい。
できるだけ木の根を避けながら山肌を登って行くと程なく古びた木のベンチが設えられた休憩所に着く。
小休止にはまだ少し早いのでそのまま上をめざす。
ここから傘杉堂までは見どころが次々とあらわれ飽きることがない。


道標が豊富なので安心。右上に巨大な杉の木。

間もなく出会う分岐は指標通りに右にとって、西川登山口に下る分岐(西川登山口へと書かれた道標がある)は左に向かい、杉の木立が増えてきたと感じ始めたら親子杉の立つ休憩所である。
ひと株から大小2本の幹がそろって立つ親子杉のそばには比較的新しいベンチや千本山代表林分の概況を示す看板などが設置されている。
ここで1回目の休憩にして、お茶で喉を潤す。


ベンチに腰掛けて親子杉(中央やや左)を見上げる。

簡単な休憩を終えた後再び登山道を登って行くと、親子杉の休憩所から10分ほどで登山道の周囲は耐陰性の強いツルシキミの群落におおわれる。
林床に見渡す限りのツルシキミは、同じく高知県東部の著名峰「五位ケ森」とならび、初冬の赤い実時は格別の美しさであろう。
ツルシキミの群落が現れる頃、ずっと上り坂だった登山道もやがてなだらかになり、正面に直線美の美しく林立した魚梁瀬杉の木立が現れる。
ここで出会う魚梁瀬杉の流麗さや風格は筆舌には語りがたいが、誰もがここに来ると感嘆の声を挙げ、カメラを取り出し何度もシャッターを切る。
いつの頃からか人はここをその名も「写真場」と名付けた。ここではベンチに腰掛けてあるいは寝ころんで空を突く杉の木にシャッターを切る人があとを絶たないが、なかなか自分で納得できる写真には出会えないようである。

高知県の山を代表する樹木といえば、シコクシラベやトガサワラなど特別な木を除けばやはりブナとスギが挙げられよう。
幻想的で奇妙な樹形だが四季折々の彩りを見せる曲線的なブナに対して、妥協を許さない威厳を持った直線的なスギは、四国の山を育む母と父である。
このふたつの木と語らずして、このふたつの木を育む宇宙とこの木が見下ろす私たちのフィールドを語ることはできないと思う。
写真場は、余計な先入観無しで見て欲しい自然の入り口でもある。


写真場でカメラを構える。

写真場で気が済むだけシャッターを押した後は、再び登山道を進んでゆく。
写真場から5分ほどで「鉢巻(はちまき)おとし」に着く。
「鉢巻おとし」はその名の通り、鉢巻をした人がここで杉の先端を見上げたら鉢巻が落ちるほど上を向かないと先が見えなかったところから名付けられたという。
試しに帽子が落ちるほど真上を見上げてみても、杉の先端は容易には見えないほど空に向かって伸びていた。
いくつもの幹が真っ直ぐに天に向かう姿は、宇宙(そら)を支える支柱にも、天の御柱にも見えた。


「鉢巻おとし」で杉の木を見上げる。

進む