「鉢巻おとし」を過ぎると登山道は尾根に出て、辺りには直径1m前後の杉が林立し、まさしく一目千本の千本山らしい雰囲気になる。
千本山の魚梁瀬杉は「千本山林木遺伝資源保存林(ヤナセスギ保護林)」として保護され、登山口から山頂に到るまで約180ヘクタールもの広い面積が保存林の指定を受けている。
これは四国の「林木遺伝資源保存林」としては、年輪間隔1mmといわれる良質のヒノキを産する本山町白髪山の「白髪山林木遺伝資源保存林(ヒノキ保護林)」に次いで広大なものである。
ところで、千本山の杉の樹齢はおよそ250年から350年で、主に樹齢270年前後の木が多いといわれている(*)。
目立った木には胸高直径や樹高のほか、幹材積(幹の体積)が記されたプレートが下げられており、幹材積が13立方メートルもある木はさすがに迫力がある。
ちなみに、少し古いデータだが昭和54年調査時点では、代表林における2400本の杉のうち7割以上が平均直径90cm、平均樹高40mあったそうである。
(*)参考:林班地図で現在の林齢(森林の年齢)を読めば約227年になる。
魚梁瀬杉が林立する幻想風景。
千本山の杉は年間雨量4000mmを越す魚梁瀬の温暖多雨な気候に育まれ、元禄3年(1690年)の「山林大定目」には「名上」と記され、藩政時代に数有った御留山の中でも最も優れたものとして土佐十宝山の随一とされた。
それに先立つ天正14年(1586年)には豊臣秀吉が京都方光寺に大仏殿を建立する際、用材の供出を命ぜられた長宗我部元親は自ら現地で伐採搬出の指揮をとったといわれる。
その後も寛永年間をはじめ度々切り出された用材は事あるごとに困窮した時の財政を補ってきたのである。
ところでこれだけの宝の山ゆえに驚くべき白羽の矢が当たったこともあった。
それは、土佐藩最後の藩主山内容堂が熱意を燃やした開成館と自由民権運動の指導者板垣退助の立志社であった。共に資金調達のために千本山の「宝」に狙いを定めたのである。
しかし、千本山と魚梁瀬杉とこうして山を歩く私たちにとっては幸いにも両計画は潰えてついに実現されることはなかった。
こうして豊富な用材を産する馬路村には村内に2箇所の営林署を持つという全国でも類のない森林行政が築かれたのである。
また、用材の搬出に際しては魚梁瀬を流れる幾つもの川を用いた川流しから森林鉄道による搬出へと移行したのだが、魚梁瀬の人々の足ともなった客車を引き村の歴史と共に歩んだ森林鉄道については特筆すべきものがある。
千本山登山の帰途には所々に残るその森林軌道跡を辿るのも楽しい。
例えば石仙橋の下には流れの中に石積みが認められたりする。いずれ機会があれば森林鉄道のことも書いてみたいと思う。
さて、「鉢巻おとし」から10分足らずで標高約900mに位置する「傘杉堂」に着く。
看板には「ようこそ千本山へ、ごくろうさまでした」の記入があり、一般にはここが千本山ハイキングの終点と見なされている。
大きな傘状の杉の袂には杉の皮で屋根を葺いた東屋(休憩所)があり、ベンチなどが整備されている。
ここには中野良子さんが命名した「真優美杉(まゆみすぎ)」があり、その樹皮には見事な自然の幾何学模様が描かれている。
中央に休憩所が立つ傘杉堂。
傘杉堂の一角には立派な展望台がある。展望の開けている方向は限られるがいかにも奥深い魚梁瀬らしく幾重にも重なるやまなみと魚梁瀬貯水池を遠望することが出来る。遠くには野根山街道の一角にある装束無線中継所も見えている。
なお、この展望台下から中川に下りる道にある杉の人工林は大正11年に植栽されたもので、「千本山植物群落保護林(魚梁瀬人工スギ保護林)」として保護され、天然杉に対してその推移が見守られている。
さて、傘杉堂からは一般ハイカーと別れて、登山道を更に奥へと千本山三角点をめざす。
三角点に向かう道は比較的明瞭だが、さすがに雑草や倒木などが道を覆い始める。
付近には優秀な遺伝子を持つ精英樹林が広がっており、この精英樹の種子や挿し木から優れた遺伝形質を受け継いだヤナセスギが育てられるのである。
傘杉堂から10分あまり北に歩くと登山道は少し下ってから再び登り坂になる。ほぼ忠実に尾根を行く道には魚梁瀬営林署の名残の山界標石や赤いプラスチック標柱が列んでいる。
木立の間から左にはかすかに宝蔵山と稗己屋山を結ぶ稜線が覗き、山腹には見覚えのある林道が見えている。
間もなく登山道は、1035mのピークを手前にして尾根を離れ山腹の右側をトラバースして行くことになる。
道の両側には照葉樹林が目立ち始め、ザレ場を横切るあたりで左上に小さな建物が見えてくる。
これは電発(電源開発)が建てた雨量観測所で、「借受地標識」には「千本山ロボット雨量計」との表記が見てとれる。
「ロボット雨量計(*)」という命名にはほのぼのとした愉快さがある。「扉を開けるとロボットが座っていたら楽しいね」などと二人で思わず和んでしまった。
(*)ロボット雨量計は高知地方気象台だと、鳥形山や成山や堂ケ森などにも無線ロボット雨量計が設置されている。
左上に「千本山ロボット雨量計」の施設が見える。
「千本山ロボット雨量計」の下方を通過すると間もなく登山道は杉の人工林になり、ここでは索道を通すために一直線に伐採された辺りで右手(北東方向)に甚吉森の稜線を眺めることができる。
索道跡から甚吉森の稜線を眺める。
ここを過ぎると、大きな魚梁瀬杉のもとに立てられた「特別母樹林(*)」の看板と出会い、やがてホウの木などの林でザレ場やガレ場をトラバースする。
この時、ニホンジカが警戒して発する鳴き声が聞こえたので頭上を見上げると一頭のシカが振り向きもせず逃げ去る姿を見かけた。
なお、野生動物といえばガイドブックにも紹介されているカモシカを思い浮かべるが、カモシカに出逢うにはもう少し静かな山をお奨めしたい。
さて、登山道にフタリシズカの花を見ながら、傘杉堂から30分あまり来て登山道は再び尾根に出る。
両側が切れ落ちたヤセ尾根を登って行くと自然林の美しさに疲れも忘れる。
(*)四国の特別母樹林は他に古屋山のアカマツ、白髪山のヒノキがある。
ヤセ尾根を北に向かう。