社中山 2002年11月17日
社中山は伊野町と鏡村と吾北村にまたがる境界の山で、吾北村では「かがりの森」とか「打木山(うつぎやま)」と呼ばれ、鏡村では「杜仲山(とちゅうやま)」とも言われる。
杜仲とは山頂にかつて杜仲の木(*1)があったことからこう呼ばれるようになったもので、社中の名は杜仲から転じたとも考えられる。
「かがりの森」は三角点のある吾北村の字(あざ)名で、鏡村での字は「岩やがさこ」である。
この山は某ガイドブックには篝山(かがりやま)として紹介されているが、残念ながら私が調べた限りではそのような山名には行き当たらなかった。
今回、山名を特定する難しさを感じたことのひとつに、登山道中に立てられている道標があった。そこに書かれてある山名について或る役場が某議員から「とある指摘」を受けたという。ここで詳しくは触れないが、それはこの山が三町村においてそれぞれの呼称で愛されてきたことの裏返しでもあろう。
実はその指摘を受けた山名というのが「社中山」である。
もちろん私としては悪戯に混乱させるつもりなど毛頭無いのだが、しかしこうして紹介するには山名を特定せざるを得ないこともあり、ともかくもここでは山頂にある三角点の点名から「社中山」としたことを敢えて附しておきたい。
さて、冒頭から何かとややこしい話題でうんざりされたかも知れないが、肝心の社中山に登るにも三町村から様々なコースがある。
例えば伊野町中追渓谷から北谷林道を使用するコースや、北の吾北村上八川から登るコース、あるいは鏡村坂口から林道を尾根近くまで詰めてから歩き始めるコースなど多種多様であり、特に鏡村坂口の林道から四国電力の送電鉄塔巡視路を歩けば半時間もかからず山頂に立てる手軽さである。もちろんピークハントだけならそちらの方が当然手っ取り早い。
しかし、私は峠にある地蔵の存在を肌で感じてみたくなり、敢えて昔ながらの往還に挑戦してみることにした。つまり破線の山歩きである。
ところが、いつもすんなりと事が運ぶ訳ではなく、往路は無難だったコース取りも下山に使用したコースでは後わずかの所で猛ブッシュに阻まれ撤退を余儀なくされたのだった。
今回私の歩くコースの登山口は鏡村坂口の集落にある。
高知市からだと塚ノ原から鏡村に入り、県道33号線(南国伊野線)を西に向かい、横矢からは「平家の滝(備考を参照)」への案内板に従い的淵川(まとぶちがわ)を遡り北に向かう。「平家の滝」の入り口に架かる六畳大橋を過ぎると間もなく柿ノ又公民館が左下に見えてきて、そのまま道なりに車道を奥に向かうと、やがて坂口橋を渡り、すぐにT字路と出会う。
T字路を左に坂口(八代)農道を行くと焼野森林公園に向かうので、ここは右にとって「坂口上渡瀬」に向かう。T字路から右に200mほど行くと、小さな橋(*2)を渡る手前で左手に折り返す脇道に乗り入れる。するとすぐに、右手に一軒の民家を過ぎて左手に電信柱が見えてくる。山手にはマイカー1台分程度の駐車スペースがあり、ここが登山口である。なお、駐車する場合は必ず付近の民家に声をかけていただきたい。
(*1)杜仲(トチュウ科トチュウ属)は中国四川省原産の落葉高木で、樹皮を乾燥させて強壮薬に用いる。有名な「杜仲茶」はこの木の葉をお茶にしたもの。
(*2)この橋を渡り、さらに車道を行くと鏡村と伊野町の境界尾根の近くまで一気に車で行くことができる。尾根近くにある送電鉄塔巡視路までは距離にして約3.5Km、車で約15分ほどである。詳細はコース案内図を参照。
坂口の集落にある登山口。矢印のように登って行く。車道はこの先の民家で行き止まりである。
登山口からはすぐに茶畑の縁を通り、上方の林に向かう。
よく手入れされた茶畑の縁を登って行くと足元にはヤマラッキョウの紅紫色の花が咲いている。
振り返ると下方には坂口の集落が見えており、対岸にも点在する茶畑と棚田が集落の営みを物語っている。
柿ノ又川の下流に目を向けると正面奥には敷ノ山がでんと座している。
登山口から茶畑へ。後方を振り返り、坂口の集落を見下ろす。奥に見えるのは敷ノ山。
登山口から3分ほどでヒノキやスギの植林に入ると墓地の前を左に迂回し道なりに進む。
この道は今でこそ通る人は疎らだが、かつては吾北村下八川からお城下(高知市)に向かう往還としてよく踏まれていたため迷うような場面はまず無い。
しかし、年月に洗われて根を張るにまかせられ枯れ枝の散乱する荒れかけた道にはうら淋しい思いがする。
全般に薄暗い植林がますますその思いを強くするのだが、時たま林床で出会うユズリハの鮮やかな緑やカエデ(ウラゲエンコウカエデなど)の紅葉にはちょっぴり救われる。
深く掘れこんだ道。間もなく林道に出る。
登山口から10分あまり登ってくると大きなマツの元で右手に広い水田跡が見えてきて、上方には社中山山頂に向かう送電鉄塔が見えてくる。
正面の山腹にはホウレンソウの栽培が行われている連棟ハウスが見えており、今回の私の帰途は不本意ながらそのハウスの傍に下りてくることになる。
そうして道はすぐに未舗装の林道に飛び出す。
この林道は坂口の集落から延びてきたもので、前述のように鏡村と伊野町の境である社中山の南尾根近くまで延びている。
登山道はここから林道を1分足らずで、右カーブを曲がるとすぐに山手に向かう小道へと踏み込む。
林道から再び往還へ。矢印のように駆け上がる。
再び地図通りの破線を辿るが、往還に降り積もった植林の枯れ枝などに、ここでもやはり忘れ去られようとする峠道への一抹の淋しさは拭いきれなかった。
植林の中、三又のスギの株元に鎮座する小さな祠もそうである。これは観音様だといわれるが久しく祀られた様子は見受けられなかった。
祠の前を通り上に向かうと、道はやがてジグザグの急坂になり、石塊(いしくれ)がごろごろしたガレ道を登ると伐採跡に出る。
ワイヤーが張り巡らされた一本の木が立つ伐採跡からは後方(東方向)に雪光山(国見山)がよく目立っている。
その手前には坂口集落の真裏に聳える岩峰「高森(792m)」が見えており、その肌を鮮やかな秋色が染めている。
伐採地から東の展望。雪光山が正面に見える。
伐採跡からはブッシュや倒木で少々歩き辛くなる。
あくまで破線を辿ってもよいのだが、ここまで来れば少々のエスケープもどうと言うことはない。破線を逸れ、無難に植林の中の踏み跡を辿って左上方に向かうと、間もなく広々とした鉄塔巡視路に出る。すぐ近くにはNo.44の送電鉄塔が立っている。ここまで林道から約20分。
ここからは落ち葉を踏みながら鉄塔巡視路を北に向かい、2分程度で前述の林道に再び飛び出す。
切り通しの林道を横断し山手の法面(のりめん)につけられた巡視路を登って林に向かう。
町村界の尾根近くで再び林道に出る。左上へと鉄塔巡視路は続く。