高研山 2002年8月3日
普段ならアプローチの長い山に、仲間たちと一泊して登るのが、私達の夏休みのささやかな贅沢だった。
そこで今年は大正町の民宿をベースに梼原町や十和村など県境の山をめざすことにして、初日は梼原町の西で愛媛県日吉村との県境に位置する高研山に登ることにした。
高研山は、昭和12年発行の「四國山岳」にも登場するように、大野ケ原方面の好展望地として古くから知られ登られてきた山である。
その頃までは採草地として一面の草原が残されていたようだが、第2次大戦後にはほとんどが植林され、現在は一部伐採跡からのみ大野ケ原方面を眺めることができる。
したがって、現在はすっかり忘れ去られたような存在なのだが、その非火山性孤峰としての山地景観は国内の貴重な自然景観として忘れてはならない存在でもある。
高研山へは須崎市から国道197号線を延々愛媛県境近くまで走り、県境を貫く高研山トンネルの手前で右折してかつての旧道に乗り入れる。
道なりに高度を稼いでゆくと標高約600mで大きな右カーブになり、カーブの左手には広場がある。1/25000地形図にはこの辺りから歩道が高研山の頂に向かって延びているのだが、どうも取り付きが芳しくない。夏草が繁茂して踏み跡らしきものも定かではない。
良くあることだが下りてきて初めて登り口が分かるという類であろう、帰途に余裕があればここに下ってきても良いだろうと考えて仲間の車を1台ここに駐車してから残り1台で更に先へと向かった。
やがてジグザグに折り返して高研隧道が近くなると山手に未舗装の林業作業道が現れる。ここは高知県側の登山口のひとつであり、今回の私たちの下山地点でもある。従ってこの道については後ほど詳しく述べることになる。
さて、更に進んで高研隧道を愛媛県側に抜けるとすぐに右手に大野ケ原に向かう広々とした公団幹線林道東津野城川線(西線)が現れるが、ここは無視して真っ直ぐに旧道(林道日向谷線)を約200mほど行くと左手に「おまん姫の墓」のいわれを紹介した看板がある。ここから山手に登る登山道が私たちの第一歩であり、ここまで国道197号線を分かれて約4Kmの道のりだった。
愛媛県日吉村にある登山口。土佐伊予大街道跡と書かれた立派な標柱が目印。
登山口の辺りは幅員が広いので車は道路の脇に駐車する。
登山口には日吉村公民館日向谷分館が建てた「おまん姫の墓」の由来文の他、土佐伊予大街道跡と大書された標柱などがある。
また、登山口の左上には寺院跡らしき一角も認められる。
まず登山口からは「おまん姫の墓所、ここより約250m」(標柱の案内書き)に従い、よく手入れされた登山道をなだらかに登る。
足元には紫色の星を散りばめたヤマジノホトトギスが花を咲かせ、傍らではアキノタムラソウが可憐な花を着け始めている。
伐採されたスギ林の中に樋状に掘れ込んだ道を行くと5分ほどで道は植林に入る。薄暗い植林もこの時期なら夏の陽射しを遮ってくれる。
やがて、登山口から10分ほど来ると登山道の周囲は雑木林に変わり、所々で立派なアカマツの木が久しぶりの旅人を迎えてくれる。
尾根が近づくと雑木林の中を登る。
かつて伊予吉田藩と土佐藩とを結んだ往還だけあって道はよく踏まれており、道幅やコース取りにその名残を感じることができる。
昭和2年、山腹に高研隧道が貫通するまでは、多くの人や物がここを越えていたのであろう。
くねくねと山肌を縫って登山口から15分足らず、登山道は土予県境の稜線に出て再び「土佐伊予大街道跡」と大書された標柱に出会う。
ここは標高719mに位置する土予大街道の峠であり、傾いたアカマツが関所のように登山道脇に立っている。
峠の手前右手には立派なシキビの木があり、その株元にはひっそりと「おまん姫の墓」がある。
おまん姫の墓といわれる一石五輪塔(*)には「おまん姫塔、七月五日」と刻まれている。
おまん姫は平清盛の曾孫である平資盛(たいらのすけもり)の愛妾だったといわれる。
壇ノ浦の戦いで伊予の国に落ち延びたと伝えられた平資盛を捜して伊予の日向村(現在は日吉村)まで来たおまん姫は、ここで源氏の追っ手に発見され殺害されたという。
(また、一説によればおまん姫は平家の美しい娘であったともいわれる。源氏の追手を逃れ高研山まで落ち延びてきたおまん姫は、道端の石に腰を掛けて疲れた身体を休めていたら、そばの川面に木屑が流れているのを見て上流に人が住んでいるに違いないと更に川上へ向かったという。
その道中、木こりと出会ったおまん姫は「私がここを通ったことはくれぐれも内緒にしておいてくれるよう」頼んだが、金に目のくらんだ木こりは追っ手の源氏におまん姫の行方を告げてしまい、ついにおまん姫は斬り殺されてしまったという。
そんな姫を哀れんで、村人はおまん姫が腰掛けた石を墓石として、高砥山の中腹にその御霊を祀ったともいわれる。)
五輪塔のある、ここがその悲劇の場所であると伝えられている。
(*)一石五輪塔=五輪塔は、上から空輪(キャ)、風輪(カ)、火輪(ラ)、水輪(バ)、地輪(ア)を現すそれぞれ5個の石を積み上げたもので、それを一つの石で象ったものを一石五輪塔という。
土予県境の峠に立つ。中央に標柱があり、右手のシキビの元には「おまんの墓(右の写真)」がある。
ところで、土佐伊予大街道跡と書かれた標柱には「更に上に登るとおまん姫ゆかりの祠あり(ハイキングコース整備計画中)」の文字が見えるが、ハイキングコースはあくまで計画中でありここから祠まではとてもハイキング気分では登れない。
さて、おまん姫の墓所からは県境の稜線を右(南)に向かい登って行くと、食いしん坊の私にはウドやタラなどの山菜がやたら目に付くが、残念ながら今の季節は夏。かわりに、カヤ原には純白のオカトラノオが群生し、ところどころにヤマジノホトトギスが咲いて、触れさえしなければサオトメカズラ(別名"ヘクソカズラ")の花だって美しい。
猫じゃらしのような花穂をつけたオカトラノオが登山道に点在する。
右手にヒノキの若木林が見えてくると小さなコブを越えてから少しだけ下って、再びなだらかに登って行く。
登山道はここから尾根を左に逸れて、左手の伐採跡とアカマツ混じりの林や植林の際に沿って南へと向かう。
峠から小さなコブを越え、林の縁を辿り土予県境を南に進む。
伐採跡を辿る登山道からは眼下に梼原町西の川集落が覗き、東には太郎川の北に聳える東谷山(1103.0m)が見えて、その左肩には不入山界隈の稜線も覗いている。一方、振り返ると北の彼方には源氏ケ駄馬(薊野山)など大野ケ原連峰を遠望することができる。更に、私たちの下方には林業作業道や造林作業小屋らしき建物が見えており、帰路にはその作業道を辿ることになる。
ここからしばらく伐採跡を歩きながら望む展望がこの山の唯一の展望である。
登山道から東の展望。中央奥に東谷山。眼下に見える作業道が下山ルートになる。
画面奥に大野ヶ原の峰々を遠望する。