茶臼山  2004年7月

昨日、天狗森(1295m)に登った友人が「猛暑でバテた」と漏らしていたが、今日もずいぶん暑くなりそうである。
こんな時はいくら高い山でも四国ならどこも暑さに喘ぐに違いない。
それならいっそのこと「風」を求めて里山に遊ぼうと目論んだ。海の近くで、出来れば凪を外して午後が良いかなと、昼食を済ませてから茶臼山に向かった。

登山口のある塚地峠の南口界隈は道が狭い。
しかしそうと分かっていながら、小回りの利く軽四で詰まるところまで突き進んでしまっては身動きできなくなるのがいつもの私の悪い癖である。ここでもやはり登山口のそばの山口さん宅まで乗り込んでしまい、家主を驚かせてしまった。
それでも愚痴のひとつも言わないでマイカーの駐車を快諾してくれたのはありがたかった。言葉に甘えて車を置くと何度も頭を下げながら登山口に向かった。


登山口から奥に向かう。右手には道標が見える。

民家の奥に見える墓地の横を通り抜けると、登山道の入り口に思いがけず道標が見えてきた。
茶臼山保存会が設置したらしい看板からはこの山が遠足の山だったことも伺われる。ここにもふるさとの里山を愛する人たちがいることを知ると、とたんに嬉しさが込み上げてきた。
そして嬉しさはこんな暑い夏に里山へ向かうエネルギーへと変わった。

石垣に沿って回り込み、小さな谷に沿って歩いて行く。
夏草の繁る山道に、小鳥のさえずりやちょろちょろと細い谷音が慰めのように聞こえる。
手を広げて歩けるほどに広い山道は、竹藪や林を抜けヒノキの植林に向かう頃から少し登り坂になる。ヒヨドリバナの葉に羽を休めるムラサキツバメを横目に、額の汗を拭いながら坂を登る。


植林された里山を登ってゆく。

高知県の標石を過ぎ、大きな砂防堰堤を右後ろにして、再び竹藪に入ると分岐に道標が現れた。正面には耕作放棄された農耕地の面影を留める石垣が見え、足もとには細い溝がある。
道標に従って谷を渡ると石垣に沿って上をめざす。とたんに道は頼りなく細り、植林までが竹に駆逐され、苔生す石がガレた谷は干上がって、殺風景な林になる。暑苦しさに息までつまりそうになる。


道標に導かれて涸れ谷を遡る。

しかしそれも少し行くといつもの照葉樹林になり幾分なごむが、暑さは相変わらずである。顔中から汗雫をたらせながらひたすら歩き続ける。
まもなく、帰途に迷わないようにと付けられた指導標を通過し、涸れた谷を離れて少しだけきつい坂を登ると、また少しなだらかになる。ここにも石垣の跡が見える。その古(いにしえ)の人の営みを追いかけて根を伸ばし続けた竹が再び林を覆い始めると、山道は先ほど別れた谷の源頭部に近づく。一挙に増した傾斜に喘ぐように息を切らせ、涸れ谷の源頭部を横切ると、荒れるがままの孟宗竹の林で山頂から東に派生した支尾根に取りつく。


支尾根に取り付くと方向を変えて山頂をめざす。

親切な指導標はここにもある。「右へ進む」と書かれた通りに支尾根を右にとると、窪まった堀切の道を登る。ほどなく肩に出ると山道はなだらかになり、雑木林を北に進むとクライマックスの登り坂にさしかかる。

頂きも近い頃、坂の途中で分岐に出会った。ここには自然石に刻まれた標石と二本の指導標が立っていた。昭和六年の銘がある自然石には「宇佐石鎚権現組合先達用地」と刻まれている。思いがけず石鎚信仰の聖地に踏み入れたようである。見ればどちらも山頂に向かうのだが、そうと分かれば石鎚講の石造物を辿りながら「石段を経て頂上」に向かうべくなだらかに右へ向かった。


分岐には「石鎚権現組合」の石柱(左)がある。