兵舎跡をジグザグに登ると、山道はようやく尾根に出る。ひどかった藪も幾分薄らいできた。
なだらかな尾根沿いをゆくと、今度は道の左手にコンクリート製の廃墟が見えてきた。かつての弾薬庫だろうか、コンクリートに覆われた四角い建物には狭い窓だけが横一列にいくつも並んでいる。それは異様な光景だった。ここだけがまるで当時から時間が止まっているかのような錯覚に襲われる。小さな窓からは今もふいに銃声や悲鳴が聞こえてきそうでとても中を覗く気にはなれなかった。彼女も私も押し黙ったままだった。
蔓におおわれた鵜来島砲台跡(弾薬庫)の戦争遺跡。
すぐにその場を立ち去ると、右手にも建物跡が見えてきた。覆い繁る樹木が廃墟を包み隠そうとしているが暗い過去は隠しきれるはずもない。戦争の傷跡に視線を背けると道の左手に階段を認めた。見上げると赤い鳥居が見える。整然とした階段を登り、鳥居をくぐると剣神社の境内にでた。
遷座されてもなお境内には社殿がふたつ残されていた。右がかつての剣さんで、左は権現さんの社だった。剣神社だった社の下には丸い浜石がたくさん敷かれている。実はこの石の中に梵字の書かれた石があるといわれている。
その昔、竜頭山には全身を鉄でおおった恐ろしい大男が住んでいたという。時折、鉄の桶をもって浜に潮を汲みに現れたが、その姿を見た物は毒気に当てられるというので島民に恐れられていた。ある時、島を訪れた一人の僧が大男を退治する祈祷を行ったところ、男は何処ともなく姿を消したという。その時、祈祷のために梵字を書きつけた小石が、この社殿の下から現れるのだという。しかし、そんな噂で持ち帰るものもあってか今は滅多に見つからないそうで、私たちもしばらく探してみたがお目にはかかれなかった。
竜頭山の頂に立つふたつの社。
ところで、社の裏手の小高い場所には戦時中に設置されていた砲台の跡がある。石垣をコンクリートで固めた円形の土台上に大砲が設置されていたのである。竜頭山には海軍の15センチ砲が3基設置されていたと記録にある。かつて、この砲台跡に立つと見事な眺望が得られたそうだが、今は木々が茂り見晴らしは利かない。
竜頭山の最高標高点にある海軍の砲台跡。
それにしても、念願だった竜頭山の頂に立ったというのに晴れやかな気持ちにはほど遠かった。今は祭神を移された社殿と幾つかの戦争遺跡が胸をついて私たちは相変わらず無口だった。寂寥感に苛まれながら、往時に植樹されたサクラやモミジに見送られて頂を後にした。
集落から続く横道を灯台に向けて歩く。
相変わらずの藪に辟易としながらも登山口まで下り立つと、気分を変えて灯台まで歩いてみることにした。
集落から続く横道を舗装の終わりまで歩くと、左カーブの外側から階段を下り、岬に向かってトラバースする。やがて運輸省の標石に導かれながら、長い階段を登り返すと灯台への道は尾根に出る。辺りは低木ばかりで遮る物は少なく、紺碧の海へ突き出した岬には真っ白な灯台が見えてくる。海原では大きな魚影がゆらめき、大小の船が行き交う先には西海鹿島が浮かんでいる。振り返ると竜頭山がやすらかな山容で私たちを見下ろし、その右肩には日向灘の遙か九州の地がはっきりと見えている。
細長い階段を登り灯台に向かう。
まるで海原に架けられた橋のように痩せた尾根道を辿ると、やがて乳白色のタイルを張り巡らしカンテラを掲げて青空に突き立つ灯台のもとに至る。第5管区海上保安本部が設置した鵜来島灯台には、「初点平成元年3月」と初めて点灯した年月が刻まれている。灯台のある岬は恋月岬と呼ばれる。昔、島の女たちが漁に出た男たちを待ちこがれたという岬に、今は代わりに白い灯台が立ち続けている。
恋月岬に立つ鵜来島灯台。
灯台に向かう道すがらの素晴らしい景観に先ほどまでの沈んだ気持ちも吹き飛んだ。すると現金なもので急にお腹が空いてきた。灯台から少し引き返した岩場で昼食休憩をとることにして荷を解いた。
紺碧の海を眺めながら昼食を楽しむ。