The Story Of Culture Club


英文サイトを見ていましたら、表題のサイトを見つけました。内容はズバリ、ジョンとジョージの関係についてのものでした。原文を読む限り、VH1での本人へのインタビューを元に作られているようで、おそらく事実とそれほど違わないのでは、と判断したため和訳をアップしました。原文は、序文・本文・要約と3つの構成でできていますが、ここでは一番内容の濃い本文を載せておきます。

The Story of Culture Club(オリジナルのページ)

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「ボクたちの関係はバンドだった。(カルチャークラブの)音楽はその関係にとってサウンドトラックだったんだ」--ジョージ

「ボクは本当に気になる人と関係を持ったから、誰にも知らせられなかったんだ。」--ジョージ

「苦痛を与える行為は、人が内に感じている転落へと移っていくことである。」--哲学者の格言


ジョージがロックグループを結成しようとしているときに、ジョージとジョンは出会った。ジョージはベーシストのマイキー・クレイグと組んでいた。彼らはまもなくジョンを見出した。彼は20代前半で、クラッシュやダムドでもドラムをたたいていたことのある経験豊富な男だった。1981年ジョージとジョンは出会った。ジョージは二十歳でジョンは23だった。

ほとんどすぐにジョンとジョージは恋に落ちた。ジョンは自信にあふれて、オーラを放っていたとジョージは記憶している。「ボクはすぐに彼を気に入ったんだ。僕たちが出会った瞬間ほんとに不思議な力があったんだ。」マイキーは二人が瞬時に恋に落ちたのに気がついたのを、覚えている。「ぼくたちは過激なカップルだったよ。ぼくたちは本当に好きだったんだ。」とジョージは確証している。

ジョンはそれまで男とデートしたことなどなかったと言った。ジョージはジョンが自分のことを好きだと考えた。「彼はほんとのボクがどんなかわからなかったから。」それからジョージは加えた。女性に見えるためにできることは何でもやったと。

カルチャークラブのギタリスト兼キーボーディストのロイ・ヘイは、「ジョンとジョージが付き合っていることは誰もが知っていた。でも触れずにいたんだ。それが自分にはよかったんだ。そこには入っていきたくなかったね。」と、言った。彼はふざけてこう付け加えた。彼はロックンロールバンドに入りたかったのであって、「ゲイ・ドラマ」の中に入る気はなかったと。

カルチャークラブのファースト・アルバムのタイトル、"Kissing To Be Clever"はジョンに向けられたものである。「君は何者なんだ?君は誰なんだ?自分が何者かでひどく混乱しているのに、なぜボクと一緒に眠ってるんだ?」ジョージは不思議がった。

しかし、後にジョージは、ジョンが自分をある程度利用したかのように感じたのだ。「ジョンはあきらかにボクのことをビッグ・チャンスだと見てたんだ。彼はボクを使いつくしたかったんだ。彼は全てが欲しかったんだ。そしてやがてそのほとんどを手に入れたんだ。」

1982年までにカルチャークラブは世界的な成功をおさめていた。しかしジョージは自叙伝の中でジョンは女性との浮気、ジョージが言うにはその後数多く起こる浮気の一つ目、を起こしたと書いている。彼はいつも戻ってきては謝った。しかし、それは自分たちの関係を続けるための「お約束」だったとジョージは言う。

ジョージは二人の関係を「深く傷つく」と同時に、「喜ばしい」ものとして述べている。彼らはすばらしいときを一緒に過ごしたが、昼も夜もけんかをしていたとジョージは言った。

ジョージの伝記を読むとカルチャークラブが成功するにつれて関係が悪くなっていったという感覚にとらわれる。二人は絶えずけんかをし、時には暴力的であった。ジョンはジョージを殴っているうちに指を2回怪我し、ジョージは自分の恋人に瓶を投げつけたこともあった。「ぜんぜん素晴らしくなんかなかった。」と、ジョージは記憶している。名声のストレス、絶え間ないツアー、チャートでナンバー1に居つづけようとするプレッシャーは何の助けにもならなかった。

カルチャークラブの時代にジョージが書いた詩のほとんどは、ジョンとの関係で彼が感じた混乱、愛、怒りについてのものだったと、ジョージ自ら言ったことがある。1997年のVH-1スペシャルで、ジョンはカルチャークラブの詩は自分のことを言っているのではない、と否定した。それらは誰にもあてはまるようなあいまいなものだ、と彼は言った。ジョージはこれに答えている。「ジョンは本当にうそつきだよ…ぼくたちは歌がジョンについてのものだってことを話してきたんだから、彼は知ってるくせにね。ぼくたちはベッドに座って、彼がボクに聞くんだ、何を意味してるかをね。」

ジョージはそのロマンスが気まずくなりだしたとき、カルチャークラブは「自分にとってその魅力を失ってしまった」ことを認めている。

1984年後半までに、ジョンは逃げ出していたこと、それもおそらくは永遠に去ってしまったことをジョージはわかっていた。悲嘆にくれ、彼はドラッグに手を出し、短期間のうちに大量に服用してしまったのだ。VH-1ではジョンとジョージがパリでディナーを食べながら、自分達のふらふらしたロマンスをどんな風に再燃させたかを描いている。だが、ジョンはジョージがドラッグでぼうっとしていることに気づいてしまったのだ。

カルチャークラブはもうしばらくの間活動したが、グループとしてはもう末期であった。「ジョンは行ってしまった。関係は終わってしまった。そしてボクはドラッグに走ってしまった。」と、ジョージは説明した。彼はヘロインで危うく命を落とすところであった。そして中毒克服に数年を要したのであった。

ジョンは1997年にVH-1のBehind the Musicでインタビューを受けて、ジョージとの関係を論じたくないと言った。ジョンは「そのことは話したくないんだ。済んだことだよ。ほんとに素晴らしかったよ。」と言った。また彼は、自分の両親、彼女、友人の全てがその関係について知っており、「みんな気にしてないよ」とも言った。

カルチャークラブの解散後は、90年代初頭に曲を共同制作するが、ジョンとジョージはそんなにお互いにあってはいなかった。ジョンはその後結婚し、一児をもうけている。

しかし、その関係はジョージにとってとても激しいものだった。ジョージは言う。「ボクはおそらく、今でもジョンについての曲を書いているんだよ。人が誰かとそんな感じの関係を持ってしまったら、それが本当に終わってしまうことはないからね。ボクはいつもその経験をもとに、曲を書いていくんだ。ボクが憂鬱なときは、彼がボクの心に入り込んできているんだよ。」

1998年までに、カルチャークラブ再結成ツアーの話はあった。80年代へのノスタルジーが大いに盛り上がっていた。ジョージは言った。「自分とジョンは3年も口をきいてないんだ。それに、お互いにとって、もしくは自分達のロマンスが終わったことにとっての、自分達の気持ちを整理してないんだ。彼らは一緒に仕事ができるかどうかについては、大きな疑問符がついていた。再結成の話が最初にあったとき、ジョージはひざをぐいと引いて、「ジョンはドラムをたたいてはくれないだろうね。」

しかしジョンとジョージは再結成がうまくいくように、事態をきちんと収集つけたのである。ジョンは非常に長い間「悪人を演じてきた」と感じていたので、ツアーの前にきれいにしておきたい、つまり汚名を晴らしたいと思っていた。

先のVH-1 Behind The Musicでジョージはこのように述懐していた。「ジョンが『そう、ぼくは本当にジョージを愛してたよ。』ってさえ言ってくれれば、どんなにいいだろうね。」彼はジョンに二人の関係の質問を避けてしまうのではなく、それを認めて欲しかったのだ。だが、ジョンは最終的には認めたのだった。1998年のカルチャークラブの再結成スペシャルで、ジョンはカメラに向かってこう言った。「ジョージ、これからカメラに向かって言うからな。ジョージを愛してたよ。ジョージと恋に落ちたんだ。他の男とはそんなことなかったよ。ジョージを好きになったのは、性的関心があったとか、ゲイだからとか、そうじゃないからとかじゃないんだ。ジョージと恋に落ちたんだ。ぼくはあいつに会って恋に落ちたし、彼もぼくに恋したんだ。」

ジョンは自分が浮気をしたことでジョージが責めてきたことを「ばかげたこと」だと言ったが、二人が付き合っていた間自分は「天使なんかじゃなかった」とも認めた。

ジョンは続けてこういった。「もう隠してることはないよ。二人の関係は素晴らしかった。」

ジョージはジョンが自分達の関係をやっと公に話してくれて、喜んだ。こうしてカルチャークラブの再結成は続行されたのである。ジョージはこういった。「お互いにとっていろんな愛があることを、ぼくたちはみんな理解していると思うんだ。この前ジョンはボクに花を送ってくれたんだ。素晴らしかったよ。そんなこと10年前は絶対したことなかったね!」ジョンは自分とジョージとの関係がカルチャークラブにおいて中心をなしていたことも認めた。「ぼくは中心になっていたものが、音楽じゃなかったとか、バンド全体じゃなかったと言ってるわけじゃないんだ。でも、核になっていたのは二人の関係だったよ。それはバンドを確かに動かしていたマシンだったね。」

再び一緒に活動すると、当初そのエネルギーは「奇妙な」ものだったが、自分たちが活動を続けていくうちに事態はだんだんと良くなっていったのだと、ジョージは認めた。カルチャークラブがまとまって再び一緒に活動していく限り、そのエネルギーは「ほんとに不思議なものだよ」とジョージは言った。

再びカルチャークラブで演奏すると、「昔からの友達みたいなものだね。ぼくはジョージに関してそう感じてるし、彼も同じように感じてると思うんだ。個人的レベルではまだお互いに本当にいらいらさせられるけどね。」と、ジョンは言っている。

カルチャークラブにおける関心、--このグループのバックボーンである二人の関係における関心--は今や高いものである。ジョージは「人々がロマンスじゃなくて、音楽に関心を持つだろうと考えることは、子供っぽいことだって自分でもわかってるんだ」と言っている。

VH-1のコンサートの間、ジョージはカルチャークラブがスーパースターだった80年代には決してできなかったことを楽しんでいた。彼は歌の意味についてオープンに語った。"Church of the Poison Mind"のあと、彼は観客向かって、この歌はジョンに関する数ある曲のひとつだと言った。「彼は注目されるのが大好きなんだ。」とジョージはジョークを飛ばした。