本日のカルチャー・クラブなもの(2003年4月分)


2003/04/30
4/27のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

アメリカがタブーを気に入ってくれるといいな
ミュージカルであり、ドラマであり、ドーランのにおいのするタブーが昨日まで、もうなくなってしまうことを悲しく思ってるって認めないといけない。何ヶ月か前に4/25を持って終了という通知を受けたんだ。そして全キャストは自分たちにとっての大冒険であったものを終わらせる準備をしてきた。
窮屈な控え室を共有して同じプロジェクトで5ヶ月間働くことは仕事を持つみたいで、そのことがぼくを鍛えてくれたと言えればいいと思うんだ。でも、もうぼくはパイプやスリッパには近づかないよ。
ぼくは自分が劇場で演じることを楽しんでるなんて想像もしなかったし、こういう仕事が出来て、タブーに密着してきた鍛えられた役者の人からたくさんのことを学べて光栄に思う。1年のうちで唯一大きなけんかと言えば詐欺が行われているって事ではなく、ただたまたまキャストがぼくが金儲け主義のやつが何を計画してるかわかってるって誤解して起こったんだ。
タブーがぼくが思った以上に続いたっていうのはフェアだよね。ぼくのさまざまなテレビやプレスのインタビューを除くと、プロデューサーの継続的な宣伝活動はほとんどなかったんだよ。我々のプロダクションのAKAがOur House(ただ今ロンドンで公演中のミュージカル)っていうオリヴァー・アワードのベスト・ニューミュージカルでぼくらを負かした狂ったミュージカルの宣伝に乗り出すって知ってぼくがどんなにショックだったか想像してよ。「それはビジネスだ」っていう議論はひどい目にあったって気分を和らげてはくれなかったね。
タブーはいろんなお客さんをひきつけてきたし、ぼくが想定してたのとは違うタイプの人まで興味を示してきてくれた。タブーをブロードウェイに持っていくという計画は最終的にはきちんとするだろう。NY側のプロデューサーのロージー・オドネルの訪問を受けたときはうれしかったよ。彼女はすばらしいことには千秋楽のためにロンドンまで飛んできてくれたんだ。
いくつかの点では、厳しいスケジュールからはなれて休養を取るってのはいいことだろう。だから、次の停車駅ビッグ・アップルで、またいらいらしたり心配したりするんだ。評論家やアメリカのお客さんがどのくらい気に入ってくれるだろうかってね。プリマス・シアターってところで11/13に開演になるんだ。その日はぼくの古くからの悪友のフィリップ・サロンの誕生日なんだ。彼は今のところ縁起がいいんだよ。ポール・ベイカー、フィリップに大衆の注目を集めた役者、がオリヴァーでベスト・アクターを取ってるし、13はぼくのラッキー・ナンバーだし、フィリップの掘っ立て小屋のペントハウスのドアの番号もね。ぼくはカルチャー・クラブがよく知られるようになるまでの間、そこに何ヶ月か住んでたんだ。
それまでは、音楽製作とレコード回しに戻るよ。それから、神のみぞ知るだけど、6月にはイビザにも旅行するんだ。もう撤退気分だよ。

(続く)


2003/04/27
4/26に「タブー」が千秋楽を迎えました。笑いあり涙ありの盛り上がりだったようです。当日の様子をgodfieldさんからメールでいただきました。「適当に拾ってアップして」ということでしたので、適当に編集させていただきます。

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昨夜のTABOO千秋楽ですが、キャストたちの壊れぶりはどうやらマチネの方がすごかったそうです。ビリーのパパ役のDAVIDは動物の鳴き声が出せるリモート・コントローラーを隠し持ち、シリアスな場面の度に鳴らしてほかのキャストを笑いの渦に巻き込んでいたとか。夜はプロデューサー陣が一同に介してたからかな、壊れぶりは80%くらい。来場してたのは、GEORGEのママ(めっきり老け込んで初めはわからなかったくらい)、GEORGEのお兄ちゃん、DRAGNAさん(Karma Cook Bookの著者)と旦那さん位しかわかりませんでした。ちなみに金曜日にはROSIE(NY公演のプロデューサー)が来てたそうです。

夜の部ですが、観客の気合は相当入ってました。キムのかつら(スージー・スー風)をしてる人多数。インド風メイクしてるちらほら。圧巻は、普段のGEORGEメイク(帽子+リーメイク+黒ジャケット)の人1人、ものすごい巨漢のお兄ちゃんが何を思ったのかMUD MAY QUEENコンテストの時のリーの衣装を、その友達の女性がセルフリッジに向かう着物姿のGEORGEに、もう一人の男性の友達がMALTESE(?赤い袋のチョコ)つきのジャケットに悪魔ヘアで来てました。私もロングのかつらをしていったけど、あんなのカウントされませんね。(注:当日godfieldさんは、思いっきりカールの入ったロングのかつらで来てました。どう見ても気合が入ってましたのでカウントしておきたいと思います。)

舞台はアドリブ続出で、GEORGEのICH BIN KUNSTはやたら長くなり(GEORGEが客をいじり倒していたので)バンドとして参加していたKEVAN(注:KEVAN FROST:CCのコンサートなどでも演奏してます)は何度となくあくびをしていたのを私は見逃しませんでした。(KEVANの言い訳としては「見えた?だってすんごく疲れてたんだよぉ」とのこと。少ししたらNYに音楽の打ち合わせに出かけるそうです)。GEROGEもPHILLIP役のPAUL(でも賞を取ったPAUL BAKERではない)ももちろんJ&D(注:ジュリー&ドーンのこと。ジョージのイベントではどこに行っても現れるとても気合の入ったファンの二人。)をいじりました。なんと2人は合計211回鑑賞したそうです。PAULは初め彼女たちに感謝した後「WELL,GET A LIFE!THERE ARE SO MANY THINGS OUT THERE! NOT TABOO!(訳:「楽しい人生を過ごせ。外にはいろんなものがあるんだから。タブーじゃなくてね。」の意味。つまり「いい加減にしなさい」ってことらしい。)」とか言われてました。

前半は快調でしたが、休憩後の2部ともなると、キャストも観客もだんだん感極まってきて、キャスト同士で抱き合ったりキスしあったり。ついに「BOW DOWN MISTER」になった時は、私もちょっとじーんしてしまいました。
「KARMA」でEUANは泣き出し、観客もうるうる。EUANにとって初のWESTENDそしてキャリア・ブレイクにもなった作品だし、「思うところあるんだろうなぁ」と私もしみじみ。でも、EUANはいい俳優だと思います。役柄のディテールもきちんと表現するし、無垢にもBITCHにもなれるし、ちょっと背の低いのが難点だけど、いい役者さんになって欲しいなぁ。GEORGE役以外の彼も見たいものです。と、これは個人的な感想ですが。「KARMA」は結局2回演奏しました。BILLYのパパ役のDAVIDもすかさず私の所に来て、鞭で打って去っていきました。
そして最後にGEORGEがキャストやスタッフへお礼を言い、「自分が演技できるなんて思ってもいなかったけど、このすばらしくそしてBITCHYなキャストたちと演技の楽しさを学んだよ。」と一言。あ、「本当は泣きたくてしょうがないんだけど、泣くとメイクが台無しになるからねぇ。」その瞬間EUANが赤ちゃんのように「びえーん」と泣き出し、MAMA GEORGEがぐわっと抱きしめ、EUANは一瞬見えなくなりました。でかすぎるよ、GEORGE!

終演後のバーは、大混雑。私はBILLYのパパにつかまり、ちょっとナンパされかかり。次の舞台(GUILFORD)を見に行くことを約束させられました(一緒に行ってくれませんか?)。そしてEUAN!一生懸命笑おうとしてるんだけど、そうとう疲れてる風。あんまりファンサービスもせずに地下に向かおうとしてたのですが、写真だけ撮ってもらいました。でも「NYで会おうね!」と言ってたので、心はもうNYかも。

御大GEORGEは案の丈、姿を見せず。私は知り合いとタクシーを捕まえようと歩いてたら、劇場裏口から静かにタクシーに乗り込むGEORGEを偶然発見。「せっかくの千秋楽なのに、顔くらい見せればいいのになぁ」と永遠に待ち続けるであろうファンのことを思うとかわいそうになりました。

というわけで、昨日は感動的な一夜でした。


2003/04/26
100% Boyに4/24の深夜に行われたCafe de Parisの様子がアップされてます。Live Reviewに書いてあるボーイ・ジョージのメイクや衣装はこんな感じということが実感できます。


2003/04/21
4/20のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

平和の声をかき消すな
ぼくは熱心なTVウォッチャーではない。ぼくは大体早い時間に放送されてるものを見てるんだ。ナイトクラブに行ったあとやギグのあと、ぼくの頭が超過勤務してるときにね。ここ何週間かはイラクの紛争のニュース報道やティム・セバスチャンのハード・トーク(彼には質問攻めにされたっけ)を見てきた。ぼくは彼のスタイルは好きだけど、近頃彼は戦争に対していささか一面的だし、やる気満々なんだ。ジョージ・マイケルや俳優のダニエル・レイ・ルイスへのインタビュー個人攻撃みたいだったし、ティムはエンターテイナーは政治に干渉すべきでないと思ってるんじゃないかな。もしそうならなぜ彼らをゲストとして呼ぶんだろう。単に馬鹿にしてポップ・スターや役者は深くは考えてないことを証明しようと試みてるんじゃないだろうか。最近のフランスやドイツの首相とのインタビューでは、ティムは実質的には彼らを臆病者と責めていた。おそらくは、ドイツが他の多くの国より明らかな理由があって、戦争に対して好意的でないことを忘れてるよね。どの国でも個人でも世界最大の虚無的な超大国のアメリカの動機をあえて問うことは、メディアの活性化にうってつけに思われる。
紛争から抜けた国は、彼らは財政的に慎むことによって、得るものが多くなるからそうしたのだと、議論してくるかもしれない。でなかったら、あらゆる政府が戦争を必ずしも賢明な選択であるとみなしてるとは限らないってことじゃない?
フランス人は紛争が盛り上がってる間、イラクに武器を売ってると伝えられている。でも、地球上に武装したことがない独裁者の国なんてないし、サダムによって備蓄された大量破壊兵器は明らかにされてない。
我々は(ほとんど驚きもしないけど)サダムがたくさんの装備された拷問部屋を持っているのを発見した。でも、そのときイラクの人々は肉体的暴力をよろこんで受けていたように思われる。だって16歳の男の子の略奪者は市民の群れに引き裂かれていたし、銃は運転免許証のように振られていたんだから。

ぼくたちは中東を見て、公開鞭打ちや、手が切り落とされたり、姦淫した女性が石打ちにあうのを怖いと思い、文明化されてないと言う。我々自身の犯罪を扱う方法は比較的洗練されていると考えられている。だからって、ティーンエイジャーをフェルトバム留置所(そこでは仲間の収容者に精神的肉体的に虐待され、5年間に5件の自殺があった)みたいな場所に送ることは洗練されている?
さらに、我々は子供の家や宗教施設でたくさんの幼児虐待例があることを考えるべきだし、高齢者が彼らを世話するために給料をもらってる人たちから虐待されてるという恐ろしい話も加えないといけない。我々自身の道徳を守るのは大変だ。我々みんなが、こういう犯罪は我々自身のいわゆる文明的、民主主義的文化のなかで当たり前であり続けることが、わかってるときにはね。
ジョージ・ブッシュはテキサス州知事として死刑にしたたくさんの囚人の家族と面と向き合ったなら、おそらく居心地悪そうに席を移しただろうね。でも、彼はこれらの死をイラクでの不幸な死を正しいものと主張したのと同じ方法で、正しいものと主張すると思うんだ。
「変化をもたらしたい」なら投票することを奨励する今のTV広告はタイムリーだし刺激的だよ。だって我々の多くが投票の結果がパワーを失うことになるってよくわかってるからね。ひとたびGidを信じれたら、科学がそれらの基礎を揺るがしてしまったからね。我々が答えを求めて政治に頼ったら、また幻滅させられてしまった。ある意味、我々ができるもっとも価値あることは、我々の心に従うことだ。たとえ、さらに多くの人がよりいっそう打ち込むべき平和的解決より、血を求めて吠えているようでもね。多数派が大きな声を持つだろうけれど、彼らは間違いとわかる傾向にある。何度も何度もね。歴史が証明しているよ。アーメン!


2003/04/20
掲示板にもすでに出ていますが、The Devil In...100% Boyによると4/22にはWorld DJ Fundというチャリティー・イベントにボーイ・ジョージは出演する模様です。今回はDJというよりもライブ・パフォーマンスって書いてあるので歌うようです。このイベントは9:00pm-4:00amですが、ジョージの出演時間帯は12:30-12:45ごろだそうです。

日時と場所の詳細は以下のとおり
日時:4/22(火) 9:00pm-4:00am
場所:The Fridge, Brixton
入場料:10ポンド(会場にて販売もしくはTicketWeb(直リンク)にて)


2003/04/18
The Devil In...100% Boyに4/24のCafe de ParisのKitsch Loungeでのボーイ・ジョージのライブの情報がアップされていました。新曲やリリースされていない曲をやるとのことです。

場所や日時等は以下のとおり
日時:4/24(木) 開場8:00 (ジョージの出演は11:00pmごろ)
場所:Cafe de Paris 3-4 Coventry Street, Piccadilly Tube
チケット:会場入り口にて販売(15ポンド)一人2枚まで購入可

会場のサイト


2003/04/17
4/16の6:50pmからBBC2でTop of the Pops2という番組がありました。Top of the PopsはBBCの老舗歌番組らしいのですが、Top of the Pops2は昔のビデオを流すというもののようです。今回は1983年のヒット曲でした。ワム!やポリス、エルトン・ジョンなどなどのメンツに続いて、この年の9月のヒット曲ということで、カルチャー・クラブの「カーマは気まぐれ」が流れました。歌自体は口パクだったようですが、ボーイ・ジョージの衣装がきらびやかでかつキュートでした。金色でつばだけ黒い帽子をかぶり、髪はおなじみのドレッド。黄色地のスモックで襟には金色のリボンまでついてて、まさに「きゃーかわいい!」でした。
で、他の3人の衣装が何かというとそろってアメフトのユニフォームでした。マイキーはヘルメットまでかぶった上に、顔には横に白い線を入れてました。そしてロイもマイキーもちゃんと自分のギターやベースを持ってるのに、ジョンはドラムが一つだけ。おいおい、それじゃ満足な演奏はできないでしょ?ってもろにツッコミを入れたくなってしまいました。
残念だったのは、家にビデオがなくて録画ができなかったことでしょうか。でも当時の映像が堪能できました。


2003/04/14
4/13のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

ときに我々ができることは気にすることだけ
イラクでの戦争はほとんど終わっているけど、罪のないイラクの人々が日々の暮らしをどうにかしていく一方で、殺されたことで計り知れない悲しみを感じないようにするのは大変だ。ひとたび戦争が始まると、政治家たちはぼくたちに脅迫状を送ることに感情的にベストを尽くした。戦争に反対することは現地にいるイギリスやアメリカの兵士を侮辱することになるってね。だからってイラクの人の命は連合軍のそれより大事じゃないって意味なのかな?そんなこと考える必要ないよ。あらゆる命が尊いんだ。
政治家たちは自分たちはより大きな絵をかかないといけないという。数千人が死ぬのは100万人が死ぬよりましだってね。でも、地球上には我々がかかわってない紛争もあるよ。
だから、肝心なのは石油だと提案してしまうのは公平だ。サダム・フセインが疑いなくイラクを恐怖と拷問で支配したとしてもね。
西側にいる我々は本当に情け深いのだろうか?テキサス州知事として、ジョージ・ブッシュは死刑を待つ囚人の訴えを決して許さなかったことで有名だった。人に致死薬の注射をして死に至らしめるのは彼らを苦しめるのと明らかに同じではない。でも、囚人を死刑囚監房に10年、ときに20年入れておくのは感情的、心理的に拷問である。弁護士が訴えるのは時間を買うことかもしれない。でも、多くの場合ほとんど違いはないんだ。
西側の死刑のやり方はもう野蛮ではないと論じてくるかもしれない。でも、それはまだ神の役を果たしてるんだよ。一方、神のように振舞うとき、中絶に反対する人たちにとって、このことはときに哀れみ深い選択肢であると言えるかもしれない。もし、母親が自分の子供を惨めでつらい暮らしをさせてしまう可能性があるとわかっていても、ぼくは母親が子供をおろしてもつらい思いをしたり苦しんだりしないだろうなんて、考えられないんだ。
このトピックは終わりがないし、戦争は最終的に我々には政治家に対してもう力がないって教えてくれる。たとえ、我々が彼らを選出してようが、彼らがわが道を進んでいこうがね。彼らは我々がコントロールできない残酷な人間性を持ったタイプの人間なんだよ。ぼくたちはアフリカにいる飢えた子供たちを全部は救えない。そしてぼくたちに手を差し出すホームレスのすべてにお金を与えることはできない。
自分たちに気にかけることを許すってことは、残酷な判断をすることよりましだって感じるんだ。ぼくたちが止められる種類の残酷さってのはあるけどね。学校でのいじめ、人種への憎悪、仕事場での虐待、毛皮取引はほんとに少ないけれど、まだはびこってるものなんだ。

毛皮は長い間政治的に正しいと考えられていなかった。でも、最近はファッションショーの舞台にそっと戻ってきている。ナオミ・キャンベルや他のモデルたちがアンチ毛皮キャンペーンのポスターをやって「毛皮を着るくらいなら裸でいるわ」と伝説になったポーズをとったにもかかわらず、ナオミは同じ道を戻って、あつかましくも毛皮で舞台をすいすい歩いたんだよ。
反対派が抗議のために舞台に飛び乗ると、セキュリティーのガードに組み伏せられて毛皮のブランケットでくるんで引きずって行かれちゃうだ。最大の侮辱でありファッション業界のすごく思い上がった反応だね。危機に瀕した動物の毛皮を着る必要なんてないよ。本物っぽいフェイク・ファーで十分納得できるときにね。ステラ・マッカートニーのような若いデザイナーに感謝するよ。彼らは残酷性抜きにどうにかデザインするし、適切な原則を持ってるようだ。無防備な動物に残酷な一撃を与えなくても、素敵な服を提供できる証拠だよね。
モデルたちは大金に誘われて毛皮のモデルになってしまうと思う。でもナオミや他のモデルと同じくらい成功してて裕福なら、そんなに言い訳の余地はないよ。
ジョークを残しておくよ。なんでスーパーモデルがオレンジジュースのパックを見つめたか?だってそこに「concentrate(集中)」(consentrateには濃縮の意味もある)って書いてあったから。


2003/04/11
3/30のボーイ・ジョージのコラムから。こちらが本編でした。ネタ元は100% Boyから。

ロシアを愛で打ちのめすなんてできない
ぼくが先週やったようにロシア、正確にはモスクワを訪れることは、こういう戦争や戦争がらみのことが起こってると、なんか怖いと思うかもしれない。でも、これまでとほとんど同じだった。ちょっと商業主義になってたけど、まだまだとてもロシアっぽかった。
およそ争いごとに関心なんてもてないだろうけれど、ロシアは自己満足の感覚を持っていた。住民に国家は個人より偉大なんだと警告するタンスみたいな建物を住んでるにもかかわらずね。
ここ何年かで初めて、ぼくは自分のフライトを乗り過ごし、そのあとのアエロフロートに乗らなくちゃいけなくなった。で、ぼくのレコードボックスが2箱到着しなかったんだよ。ぼくはわざとなんじゃないかって思っちゃったよ。だって、ぼくが窓口で機嫌が悪かったからね。(マイケル・ウィンナーを考えて。)
モスクワ空港の職員はフレンドリーさは相も変わらずだったよ。はだしでイチジクの葉っぱだけ身に付けてアラスカにいるところを考えてごらん。どんなに彼らが冷たいかわかるはずだよ。レコードがフライトに積み込まれなかったことにお詫びもしないんだから。「明日引取りに来てください。」アーノルド・シュワルツェネッガーのロシア・バージョンのやつが、そうぴしゃりと言ってくれたよ。ぼくは心の中で冷笑したね。
運良く友人で仲間のDJの、ベル・ブラウンとデイヴ・デイビスがレコードを持っててぼくに使っていいって申し出てくれたんだ。こういうことは問題じゃないんだ。世界の他の国のように、ロシアがあるサウンドを選ぶようになったからね。
最初のギグは、ぼくの妖しげなメイクを見て困惑したティーン・エイジャーでいっぱいで、いいとこ取りのミックスをかけさせてもらえなかった。次の晩はちょっとゴージャスなお客で、彼らもそれがわかってるようだった。少なくとも彼らがどうあるべきか考えられるほどにはスタイリッシュだった。外国に行くと、とあるバーやVIPルームに引きずって行かれ、重要人物と目される人たちに見つめられるんだ。ぼくはそういうシャンパングラスでの乾杯や作り笑いを、本当に楽しんでるわけではないんだ。
でも、ぼくはロシアが大好きだよ。そう、人は男に楽しみの土台を置くべきではない。でも、ぼくはロシアの男に弱いんだ。実は、どこでも元東欧の街に向かうと、男がまさに魅力的に見えちゃうんだ。彼らはとりわけ不親切なんだ。でも、ぼくは変わってるから、無関心さが魅力になっちゃうんだよ。
週末ぼくと付き合ってくれたいい奴にがいた。彼には奥さんと二人の子供がいた。動き回ってるロシアの男は単に事務的でそういうことに鈍いんだよ。

その街はぼくの前回の訪問以来栄えてきてる。ぜいたくなワインやシャンペンのバーがたくさんある。でも街が西欧化することで住んでる人が快適になるかもしれない一方で、驚きの要素がなくなってきてる。MTVや新曲への簡単なアクセス、もしくは地元育ちのDJの増加といったもののおかげで、彼らは自分たち、もしくはぼくたちの、だるいやり方を定着させてしまってる。
(ストレートにとってのゲイ・ディスコである)トランス・ミュージックがモスクワでは人気である。ぼくはかけたりしないんだけどね。どこでも出かけていって、地元の人を乗せられないとすごくいらいらする。さらに、この国の多くの街でも同じことだよ。世界は均質化されてきてて、ディスコは清潔になってきてる。
さらに、この旅がインスピレーションになって、ぼくはSanitised(清潔にする)という曲を書いた。ぼくはまだラブリーなロシアの友人の曲は書いてないけど、パンク・グループのThe Electric ChairsがすでにI Fell In Love With A Russian Soldierって曲を書いてくれたよ。


2003/04/09
掲示板にemirinさんからタブーのDVD発売についての書き込みがありましたので、さっそくチェックしてみました。The Devil In...によると、今年の後半くらいにタブーのDVDが出るそうです。タブーの本編はもちろん、Nag, Nag, Nagというクラブでの様子や、´Ich Bin Kunst´のビデオ、舞台裏の様子も収録されるようです。詳細はまた後日とのことですが、なかなか盛りだくさんになりそうです。

さらにこのタブーを録ったMike Nicholls のもう一つのプロジェクトとしてはタブーの世界を見るというドキュメンタリーがあって、こちらもビデオかDVDで出す予定があるようです。そしてこの中には´Out of Fashion´のビデオ、さらにカメレオン電話の広告まで収録されるかもしれないという話も出ています。個人的にはこの電話の宣伝、すごく見たいので収録してもらいたいものです。


2003/04/08
4/6のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

有名人中毒を鍛えるサロン
ぼくは自分のパーソナル・アシスタントとザ・サロンというリアルなTV番組の有名人ゲスト・ブッカー(ゲストを手配する人?)との会話を聞いたらお金を払ったかもしれない。「ジョージはヘアカットをご希望?」とゲスト・ブッカーは聞いたんだ。「彼は今ミュージカル、タブーの役のために坊主なんです。」と答えた。
「マッサージとかサウナとかはどうなんでしょう?」
ぼくとずっと一緒に働いてきたから、ぼくのパーソナル・アシスタントのアイリーンはぼくがすること、しないことをわかってるんだ。テレビ番組のために脱ぐなんてことは、議論の対象にもならないよ。「うーん、この番組は注目されてない人にとっては実にいいものなんですよ。」と、ザ・サロンの色魔(ブッカーのことらしい)大胆にも言ってきた。アイリーンは絞め殺しかけたんだって。もしぼくが注目されてないんだったら、どうしてこんなに疲れてるんだろうね。
たいていのリアリティTVのように、ザ・サロンはいやになるほど強迫観念にとらわれてるよ。あるエピソードを見てる間、強烈な舌の持ち主のジョンという子に気づいた。彼はぼくの友人のヴァッソスという夜の性倒錯した女にかなり似ていたんだ。ぼくはその友人に電話して、彼と言うか彼女というか…はこのジョンを知っていて、ジョンはしばしば彼が影響された冗談を使っていたことが発覚した。
ぼくはジョンに会い、彼を気に入った。そしてぼくがザ・サロンでマニキュアをしてもらい、タブーのチケットを配ることが決められた。うるさいジョイントになるだろうと思うけど、それは実にトレンディなヘア・サロンにいるみたいだった。ぎこちなくて、明るすぎて、おまけに隠しカメラが言うことをいちいち記録してなければ、いささか病室みたいだった。
ぼくがドアを通り過ぎる前に、ものの配置に関して何もするなと頼まれた。でもタブーのチケットを2枚渡すのは大丈夫だったよ。そのチケットの値段たるや、ぼくはオフィシャル・ゲストになってくれと頼まれた値段よりずっとかかったよ。ぼくは爪をやってもらい、それから友人でメイクアップ・アーティストのクリスティンがぼくと合流できるか聞いたんだ。だって、ぼくが冗談でジョンとやりあってないと、刺激がほとんどなかったからなんだ。彼らはNoと言った。彼らはクリスティンがテレビに出たいと必死だと思ったからね。もしくはぼくが努力して彼女に出てもらったと思ったからね。でも、ぼくは単にボヘミアン・シックがどれほど効いてるかを、彼らに見せたかったからなんだけどね。

45分で人を判断できる人なんていない。でも、雰囲気ならわかる。ぼくの爪をやってくれた女の子は素敵だったけど、こんなことをつぶやいたよ。「あなたが80年代にAリストに載ってる有名人だったころ…」明らかに、彼女はそんなリストは90年代の悲しき文化の産物なんだって気づいてなかったし、ぼくのことをそんなものを気にする誰かと勘違いしたんだよ。
ひょろ長くて作り笑いの生き物がしばらくぼくたちと一緒に座ってて、番組ではシャイに見えた。けどちょっと飲んだら、ハツカネズミはドブネズミに変わったね。実は、大半のゲストはあんまり空っぽで個性も持ってないけど、名声の縁に立ってしまうと得意になってしまったというのは明らかなことだったよ。ぼくが舞台裏から彼らをやじってがっかりさせたというのは、驚くことではない。「2週間もすりゃ、お前なんかつまんない奴になっちゃうよ。」後になってこれも言っとけばよかったと思ったよ。「そうすりゃ、お前も現実がわかるだろうよ。」
彼らが水を入れただけの名声を得ているうちに特別なものを感じているなら、許してやらないといけないけどね。彼らへのジョークも、ぼくたち、単にチャンネルを合わせただけのばか者へのジョークも一緒じゃない?
ジョンは自分のサロンを持ってて、財産相談をするほかのくしゃくしゃ髪のマネージャーみたいに、にっこり笑って現実に戻れるんだ。他の悲しき惨めな奴らは名もない人として消えてしまうか、子供番組のプレゼンターとして現れるんだ。さらに悪いことは、記録を立てても、それを当てにはできないんだ。
彼らが受け入れているAとかBとかCリストの文化は、慈悲なんかない。そしてそれらはオゾン層を壊している人間の皮をかぶったボラにすぎない、もしくは今はトレンディと思われているのと同じ勢いで人を困惑させているヘアスタイルにすぎない。
ちょっとだけ髪を残しておくことの利点は気にしないといけないファッションのディテールが一つ減ったこと。でも、ぼくが昔仕事をしていた当時は、有利であり続ける唯一の方法は、自分で選んだイケてるものという目安にしてのアドヴァイスは無視することだった。クリスティン・ハミルトンに電話して「今年は水玉がいい?縞がいい?」って訊く方がずっと楽じゃない?


2003/04/05
The Devil In...の4月1日の情報ですが、ボーイ・ジョージの´Poverty´と ´Out Of Fashion´がHi-Gateという二人組のSplit Personalityというアルバムに収録されているそうです。ちなみにこのアルバムは4月14日に発売の予定になってます。THE BLITS KIDSのサイトにはOut Of Fashionからの写真も出てます。


2003/04/04
今日はmomoさんがメールで教えてくれたネタを紹介します(momoさん、ありがとうございます)。出所は不明なのですが、有名人もこんな会話をしてたのね〜ってお話です。

ローリングストーンズのキースリチャーズが、ボーイジョージを見て 「おい、いい女だな!」と言ったら、ロンウッドが「こいつは男だよ」と言ったそうです。男から見てもいい女なジョージ!美しいものに性別はいりません! 目の保養になるし。最近の写真を見ても美形は得だよなーと思います。(独特な色気を感じる)

一体、ボーイ・ジョージって何人の人に性別を間違われたんでしょうね。ちなみに私の友人のコメント。
「(ジョージは)そこらの女よりずっときれいだもん。そりゃジョンも惚れるわよ。」


2003/04/01
3/30のボーイ・ジョージのコラムから。ネタ元は100% Boyから。

ジョージ、エミネムの伝記を批評する

いかがわしい人物のシム・ヒストリー

The Dark Story of Eminem **
Nick Hasted
Omnibus Press, 」12.95

元追っかけのくずガキのエミネムは才能のある男だということは疑いようがない。彼の前にブラック&ホワイト・ミュージックの世界にまたがって人気があったのはエルヴィス・プレスリーだけだ。永遠に論争に没頭している青白い白人ラッパーにとって実に高い賞賛だ。
彼のひどい詩は、敵(前妻のキム、母親のデビー、ブッシュ大統領、女性やゲイを含む)を殺したり傷つけると脅した。ぞっとするし、たくさんの人を怒らせてきた。でも、彼のこの前のシングルのLose Yourselfは8Mileという映画のサントラとしてオスカーをとってるし、14週以上もトップ10に留まって、やっとそこから落ちたところだった。
ニック・ハステッドによるThe Dark Story of Eminemというラッパーの伝記は、本名マーシャル・マザーズというデトロイトの貧しい、ブラック・エリアで育った若い白人の男の子の「ごろつきからお金持ちへ」の典型的なお話だ。
ハステッドはエミネムが黒人の子供からいじめを受けていたこと、3ヶ月で父親に捨てられ、アル中の母親に育てられたことを明らかにしている。彼は、誰に聞いても、もろくて、恥ずかしがり屋で、いじめられっ子の子供で、後年は自分の妻と子供の面倒を見るために、金を稼がなくてはならない自暴自棄な父親なのだ。
もっとも興味深い暴露と言えば、彼の元妻キムとエミネムとの本当の関係についてのことなんだ。ハステッドによると、マーシャルの母親のデビーはキムをchildren’s home(養護施設?)から受け入れたんだよ。そのとき、彼女は12で彼は15だった。最初彼らは兄妹のように言い合いをした。でも、すぐに激しい恋愛が始まったんだ。
1995年にキムは彼らの娘のヘイリーを生んだ。無一文で家族を養うのに必死のエミネムは1997年にロサンゼルスで行われたラップ・オリンピックに参加した。賞金1500ドルに望みをかけてね。
彼は優勝はできなかったんだけど、インタースコープ・レコードのスカウトの目に留まったんだ。
もちろん、彼の子供時代は特異なものではない。たくさんのアーティストが、何も期待できないところで育てられたから、成功を求めてがんばっているんだ。エミネムが子供のころ苦しんだから、ブラック・コミュニティに感情移入してしまうのも驚くことではない。コミュニテイのひどい抑圧はしっかり証明されていて、決して変わることはないのだ。ラップ・ミュージックは黒人の子供たちにとって数少ないとりえで、彼らを犯罪に人生から救ってきたのだ。そうでなかったら!

ギャングスタ・ラップはポップスの主流にゲットーの声を持ち込んだものだ。NWAといったグループが現れた。Fight The Powerを含めて彼らの曲は落胆したハートで感情を揺さぶった。そのメンバーの一人のドクター・ドレはマーシャルにすごいインスピレーションを与え、エミネムを生み出し作り上げた人なんだ。
白人の子が怒れるブラック・アメリカの音楽を受け入れてたんだ。ドクター・ドレは自分のことをくすくす笑ったに違いないんだよ。彼がスリム・シェイディ(黒人の子と同じくらいうまくラップできるけど、怒りの声を持った白人のアメリカ人)にサインしたときにね。彼の声はストリートの言葉を言い表しているという彼の主張は、ハステッドによってバックアップされている。彼はエミネムの詩や過去のインタビューを引用してきてるんだ。
多くの点でエミネムの詩はそれ自体が物語で、この本を意味のないものにしてしまう。彼の実像を反映する歌は賞賛されるものだが、fag(ホモ)という単語を頻繁に使っていたり、「ゲイの男たちののどを切り裂け」なんて言ってる歌詞は許しがたいね。もう驚かないけど。好きであろうとなかろうと、ぼくたちは性的にも、文化的にも、宗教的にも多様な世界に住んでるんだから。
The Dark Story Of Eminemは彼の怒りに対する洞察を与えてくれる。傲慢な響きがあって、大金をもうけていれば何をやっても言ってもいいと示唆してるんだよね。もしそれに対抗するゲイの声があったら、彼のようなホモ嫌いの音楽もいやな感じは減るんだろうけれどさ。白人のアーティストはnigga(黒人を指す差別的な言葉?)なんて単語は使えないし、同じようにゲイの男はでしゃばらないようにするという唯一の権利は使わずに取っておくんだ。
権威や偽善者の団体を攻撃することは賞賛に値するけど、仲間のマイノリティを頼みもしないもの攻撃するのは卑怯だ。エミネムは意味のないパンチを繰り出す力強いステージをするアーティストとして責任がある。彼の莫大かつ完全には受けるに値しない成功で、彼の痛みは一人のものじゃないって気がついてくれることに期待しよう。このホモは学校をたたき出された日に言われたんだ。「お前なんか何者にもなりはしない」って。ベルが鳴ってない?本当のマーシャル・マザーズは立ち上がってくれるかな?


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