私のなれそめ(2000-2002年)

2002年までにいただいた「私のなれそめ」です。

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かすみさんの場合

エッ!私ってかなりのオバサンになっちゃってんのね! かれこれもう20年やそこら経っちゃって・・。悲しい。 よく聴いていました。生ボーイ・ジョージも聴きに行きましたよ。イギリスに行ったときにはボーイ・ジョージのお顔が全面にプリントされたレコード買ったりして。
今聴いても古臭くなくってとってもいいよね。そして胸キュン。素敵なHP見つけた!また覗きにきます。

そうなんです。カルチャー・クラブは今年でデビュー20年だそうです。おかしいですね。80年代なんて、ついこの間だと思ってたんですけど。


マルメラ(仮名)さんの場合

ゆか坊さんはじめまして!今日はじめてこのHPに遊びに来ました。
私がカルチャークラブに興味を持ったのは(知ったのは)、なんと…

ついおととい(2002.11.7)です!
あ、もちろん、聞いたことありましたよ、曲は。なんかよく流れてるじゃないですか。
でも、誰が歌ってるとかぜんぜん知りませんでした。(私は25歳ですが)

私は今TV番組系の仕事をしてるんですが、最近は番組中で、昔ヒットした洋楽とかを紹介するコーナーがありまして、今度取り上げる洋楽の候補の曲が入ったテープを見ていました。
そしたら、「あ!聞いたことある!」と思って(Do you really want to hurt me?でした)、画面を見たら、すんげー髪型ですんげー化粧した男が裁判所で歌ってて。
「なんなんですかこの人ー!!」とか言って、最初かなり笑ってました。でも、改めてよく聞くと、なんか不思議なメロディーなんだけど、切ない曲だな〜って思えて、ADに「この人たち誰ですか」って聞いたら、「カルチャークラブです」と。
なんかグループ名も、おばちゃんたちが趣味で通うスクールみたいな名前だな、と思いました。
そのあとも、あ、これも知ってる、と思って画面見たら、やっぱりカルチャークラブで(今度はKarma Chameleonでした)、Miss me blindのPVはジャパネスクって感じで斬新だし、一気に興味を持ちまして、調べてみよーと思って一発目に来たのがこのHPなので、まだ全然カルチャークラブを知りません。上に挙げた曲名もこのHPで知りましたし。
特に、Karma Chameleonは、なんて歌ってるのか分からなかったのでスッキリしました。(カマカマカマカマ カマカミーディーアーだと思ってました。)
そんなわけで、これからハマるかもしれません。応援してください。

マルメラ(仮名)

これからハマる予定の方からのメールでした。とても現在進行形な「なれそめ」ですね。もしよろしかったら、テレビでカルチャー・クラブを取り上げることがあったら放送予定など教えてください。気合を入れて見ます。


まりもさんの場合

こんばんは。今年3月から台湾に住み始めて、今日ようやく自宅のパソコンにケーブルをつないでみたら、素敵なHPを発見してしまい感動しました、、

私がうっかりカルチャークラブを好きになったのは、かれこれ15年位前。SONY MTVのリクエストスペシャルでTIMEを歌ってるGEORGEに一目惚れしてから。
気づかなかったのですが私はどうやらホモ好きの傾向があったみたいです。(今は三島由起夫と三上博史、あ’藤井隆君の追っかけもしていました←これは気の迷い)若気の至りというか、それから日本社会に溶け込めない青春時代を送ってしまいました…ドレッドロックを真似したり。体中に蛍光ペンで模様を書いて登校したり。(そら、おかんも怒るっちゅうねん!)

20歳を過ぎて分別がついた頃、もう別れようかと思ったら姫路のライブ(ホテルで一緒に写真を撮った)、偶然行ったNYでCCのRADIOCITYのライブ(何故か2席だけ空席があった)、とご縁があって、今でもやっぱり好きなのです。(大きな声では言えません)

最近きゅんと来たのは、GEORGEの自宅の暖炉の上の映像を何かで見たのですが、私が作ったBOY GEORGE人形がちょこんと座ってたことです。GEORGEには愛される才能がありますよね。毛むくじゃらのごっつい手と胴回りを除けば、乙女の中の乙女だなーと思います。あの愛らしさは見習わなければなりません。

私の1番の夢はGEORGEになること。
2番目はGEORGE邸のお手伝いさんになることでした。
1番目は無理でも2番目の夢はいつか叶うでしょうか?

ではおやすみなさい。

まりも

別れようと思っても、姫路にジョージが来たり、NYで偶然ライブをがあったりってことはもうこれは別れられないってことですね。


パルパノドンさんの場合
掲示板で少しだけ書き込みをしたパルパノドンです。
皆さんの文章を読んでいたら自分も送りたいと思い、早速投稿!

<好きになったキッカケ>
・・・といっても、かなり好きになったのは遅いのです。
最近発売した、双子の姉が買った「ミレニアム(英語タイトル)」という、ヒットした洋楽達が二枚組みで収録されているサウンドトラックを聴いたのがキッカケなのです。その中に、「カルチャー・クラブ」の「カーマカメレオン」がありました。

それを聴いて、「ああ!この人がカマカマの人(笑)だったのかぁー!」って。

私は、アップテンポの良いリズムというか、聴いていると足をふみならしてリズムをとりたくなってしまう音楽が好きで、それから、当時のその人達のパワー、旋風を巻き起こしたという勢い、大勢のファンの前で歌い、演奏する人達の姿が「想像出来るもの」が好きです。(それが、マイケル・ジャクソンであったり、ジャニス・ジョプリンであったり)「カルチャー・クラブ」にも、大きなパワーを感じたのです。

<はまるキッカケ>
それから、ヒットアルバム「カラー・バイ・ナンバーズ」を買い、聴きました。驚くほど全体的に良い曲ばかりで、本当に良いアルバムだと思いました。全曲とても良いなんて、めったにありませんよね。すごく感激でした。リードボーカルだけでなく、「カルチャークラブ」そのものがすごいと感じました。あのメンバーだからこそだと思います。

長女から、「(カマ=オカマというイメージから)
この人、本当に女装してるんだよねー。」と聞いていたので、女性的な方が歌っているというのは知っているつもりでしたが、ボーイ・ジョージは美少年とかそういうのよりも、まるで・・・少女のようにかわいい方だなという印象を受けました。
(今はきれいなお兄さんというイメージです。)

<そして今・・・>
持っている洋楽アルバムの中で、一番数が多いのが「カルチャー・クラブ」(ソロも含め)アルバムとなりました。

今まで化粧、ファッションに興味のなかった私が、ボーイ・ジョージの生き生きとした姿を見ていく事で、きれいになれたらなという願望が生まれるようになりました。

それに・・もともと、きれいな女性よりも、男らしい男性よりも、どこか女性的な男性のほうに惹かれるということに気がつきました。
女形の方とか好みだったようです。笑。

「カルチャー・クラブ」が好きになってから、どうしても叶ってほしい願いがあります。
それは・・・
「まだ一度も、憧れの人に会ったことがないので、
いつかかならず、彼らに会ってみたい・・。」


パルパノドン

確かにデビュー当時のボーイ・ジョージってきれいというか、かわいかったですよね。(何人の男が彼を女と勘違いしたことか…)先日のライブのジョージは思いっきりぶっ飛んだ衣装で「あんた面白いよ」と口走ってしまいました。


カンタさんの場合

はじめまして。イギリス版ヤフーでボーイ・ジョージ関連をみてたら、日本版ファンサイトがあるというではないですか。前はみつからなかったのに・・・

私はリアルタイムで聴いてたファンです。
ラジオから流れてきた「君は完璧さ」をきいて、なんて美しい曲なんだろうと。ボーイ・ジョージの姿をみてそのルックスにもはまってしまいました。

最初の来日公演で名古屋公会堂に行ったんだけど、いまいちのもりあがりで、それはなぜかというと、みんな英語がわかんないので あとでメンバーのインタビュー記事を読んだら「どーしちゃったんだろう」と戸惑ったとか。

その翌年 私はイギリスまで行ってバージンレコードのオフィスを訪ね、日本から持っていったジョージを描いた絵を 見てもらえるかどうかもわかんないのに事務をやってたお姉さんに手渡して来たのだった。そしたらその年のワールドツアーのパンフレットで、ロイ・ヘイ(ジョージでなかったのはちょっと残念だけど)の後ろにその絵が・・・狂喜乱舞したのは言うまでもないでしょう。ああ、なつかしい。


YUKARIさんの場合

ゆか坊さん、はじめまして。
「Love Love Culture Club」見ました。YUKARIといいます。

「カルチャークラブ」の情報を探していたらここにたどりつきました。すごい情報が充実しててうれしいです。
(ありがとうございます!)

残念ながら私はリアルタイムでは聞いていませんでした。80年代前半はまだ小学校低学年だったので・・・(^_^;

そんなわけでまともに聞くようになったのはここ数年です。好きな曲は「Move Away」「I'll tumble 4 ya」かな。

カルチャークラブの曲の印象ですが、あの濃いルックス(笑)とはうらはらにとってもさわやかな感じで聞きやすいと思いました。夏のリゾート地のBGMなんかにぴったりでは?

さて、10年くらい前に、ある映画雑誌にスター(主に海外の)のゴシップクイズ(3択)が掲載されてたんですが、そのクイズにボーイ・ジョージのネタがありました。
これは今でもハッキリ覚えてます。

ボーイはある男優さんのファンだったらしいのですが、どういう方法でその男優さんとお近づきになりたいと思っているのか、というもの。

1:その男優さんとミュージカルで共演したい
2:その男優さんの家の隣にアパートを買うことを考えている
3:某宗教の信者であるボーイは、その男優さんの下着に生まれ変わりたい

どれだと思います?

答えは3。
どういう宗教なのかよく分かりませんが、本当に本人が語ったことなのかしら? (^_^;

ちなみに私の新婚旅行はイギリスだったのですが、ここぞとばかりにカルチャークラブのCDを買ってきました。さすが本国、日本よりは品物が豊富にありましたよ。アルバム「12"Mixes Plus・Collect」「Kissing to be Clever」シングル 「cold shoulder・starman」を買いました。
 
 私はカルチャークラブの他にビートルズなどが好きですが、だんなはペットショップボーイズやフィル・コリンズなどが好きなようです。うーん、夫婦してイギリスの音楽に傾倒しているな。(笑)

# 結婚披露宴のBGMでも、カルチャークラブの曲を使いました。 「VH1 Storytellers」に収録されていた「I Just Wanna Be Loved」です。

今度イギリスに行くことがあったら、ロンドンのピカデリーサーカスのロウ人形館にあるらしいボーイの人形も見たいです。(爆)

それではまた。m(__)m

このクイズのネタになった役者さん、それらしい名前を見たことがあるんですが、誰だか思い出せません。かなり有名な人だったはずです。しばらく眠れなくなりそう!


NIKUさんの場合

NIKUです

それは私が小6の時だったと思う。中1かも・・・ちょっとさだかではないのですが・・

たしかコカコーラのリングプル(当時はまだプルトップではない)を幾つか集めて応募するとLPか、カセットテープが当たるというキャンペーンがありました。
友達はチェッカーズなどに応募しました。私はなぜか男だか女だかわかんない人が写っているジャケットが気になり、どんなグループかも知らないカルチャークラブに応募したのです。5.6人の友達の中でなぜか私だけ当選して届いたのがkissing to be cleverです。

正直言って邦楽しか興味のない、田舎の子供が、みんなの手前、格好つけて応募したというとこもありました。そして、多分女の人なんだろうな…って聞いてみました…

えー!!!こんなに綺麗なのに男の人!!!!(声はどう考えても男…〕大ショック!!!!
そして素敵な乗りのいい曲!しっとり聞かせる曲!アルバム一枚で完全にとりこになりました。

田舎ゆえ、(今のようにPC使えるような時代でもないし)情報の少なさは買えるだけの雑誌を買い、エアチェックをし、お小使いだけでは足らず、バイトをしていろいろな物を買いあさりました…来日コンサートに行きたいと言って親と大喧嘩しましたが大阪、東京はあまりにも遠く、行けずじまい。かなり、泣きました。

去年大阪でコンサート見れたのは、14年の恋が実ったようで行きの飛行機で泣き、会場で泣き、終わって泣き、感動してHOTELで泣き・・・・・・でした。

チケットが取れなくて結局ダフ屋にたのんで、交通費含めると結構な金額になりましたが、ヘソクリをはたいて、仕事を休み、子供もダンナもほっといて行ったかいがありました。

子育てに一杯一杯でちょっとブランクはありますがCCの曲を聞かない日はこの20年近く一日もありません。今は毎日かかるCCで息子を洗脳中!カラオケでもカーマを歌う子供になりました。ちなみにダンナは、ほぼジョージと同じような体型。顔は全く似てないですが。

これからもCCのFANでいます。
いつの日か本人に会える日を夢見て!

NIKUでした・・・・

抽選でアルバムを引き当てるとはすごいですね。まさに運命のめぐり合わせですね。この気合の入り方はハンパじゃないです。私の100倍くらいすごいでしょう。


ゆうひさんの場合

 私は、今、22歳の大学生です。ゆうひと言います。
 私が、なぜ、カルチャー・クラブを好きになったかと言いますと、友ダチが貸してくれた、CDがきっかけです。

中学生のころ、洋楽が好きで、ビートルズを良く聴いていたら、友達が、「これ、いいよ。」と貸してくれました。

それは、友達のお兄さんのだったんですけど。。。そのCDのボーイ・ジョージがあまりにも強烈だったんで、私は、自分の好みじゃないと思って、しばらく聴けないでいました。ある日、勇気?を出して聴いてみたところ、すっかり好きになりました。音が綺麗だし、歌も上手いし、ヴォーカルの声はいいし。。。歌詞も好きです。
 私は、邦楽だと、福山雅治や、Gacktが好きです。Gacktって、ボーイ・ジョージに似てると思いません?

Gacktとボーイ・ジョージですか。意外な視点でした。


モスさんの場合

初めまして、モスです。

私の”なれそめ”は中学1年の時になりますから、今から17年も前の事になります。

当時、音楽に興味を持ち始めていた頃で、オフコースなんかを聞いてました。当時は田舎の広島で暮らしていましたので、情報が少なく、毎年夏休みに大阪から遊びにきていた親戚がくれるいろいろな”都会”の情報が衝撃だった事を思い出します。
そこで、親戚に「今流行っている音楽って何?」と聞いたところ、「そやな、僕は邦楽は聴かへんな、洋楽やな。」との答え。なるほど、洋楽か。
「具体的には何?」と聞くと紙にお薦めのアーティストとアルバムを書いてくれました。ビリージョエル、デビットボウイ、ワム!、もちろんその中にはカルチャークラブも、、、

そして、親戚が帰ったあとそれらのレコード探しが始まる事になったのです。その中でなぜカルチャークラブにはまったのかといいますと、偶然中学で好きだった娘がカルチャークラブのファンだったのです。その娘と話がしたい為にレコードを借りたり、テープに落としてもらったり、、、、、。
そうして聴くようになったんです。最初に借りたのはカラーバイナンバーズでした。

始めは英語だし、さっぱりわからなかったのですが、だんだんその美しいメロディに魅了され、完璧にはまってしまいました。

その後85年に来日した時に、大阪の親戚に頼んで大阪城ホールのチケットをとってもらい一緒に行ったのは感動的でした、、、、。初めてのコンサートがカルチャークラブ、、、。ロイの生ギター、モスの16ビート、、

それからはバンドを組んで(パートはベース)コピーやりました。
カーマカメレオン、ミスミー、タイム、、、
私の青春はまさにカルチャークラブなのです。

最近はカルチャークラブが復活したというのを聞いて、NHKホールに足を運びました。みんな、さすがに年をとっていたけれど、綺麗なメロディは私を14歳に戻してくれました。

ほんと、今でも好きです。

LOVE LOVE CULTURE CLUB!

私も「カーマは気まぐれ」が聞きたくてカラー・バイ・ナンバーズを買ったけど、他にもいい曲がいっぱいあってはまっちゃいました。「ロイの生ギター、モスの16ビート、、」ああっ、ファンにはたまらない響きだあっ!


洋子さんの場合

はじめまして。洋子と申します。私のカルチャークラブの馴れ初めは中学1年の初夏、その頃ちょっと恥ずかしいんですけど家にテレビのない時期がちょっとあってラジオを聞いていたんですけどなんかの番組でたぶん野村義男さんっていますよね(たまに浜崎あゆみの後ろでギター弾いてる)あの人がカルチャークラブの話をしてたんだと思うんだけど、化粧してるんだけど綺麗で・・・。って言う話だったと思います。

それからの私はまだ実物は見たことなかったんだけど勝手に想像して盛り上がってたかなぁ。もともと洋楽に興味があったので何とかカルチャークラブの曲を聴こうと必死でしたね。FENを聞きまくりました。あと、ラジオ日本で土曜日の深夜にアメリカントップ40(だったっけ)を聞いたりその後に放映してた全英トップ20(だったかな)をきいたりしてました。記憶にある曲はI’LL TUMBLE 4 YA とか CHURCH OF THE POISON MIND  そして冬だったかな?Karma Chameleonが全米第一位をとったのは・・・。ラジオの前で拍手して喜んでたの覚えてます。

それと、はじめて本人の顔を見た時はちょっと想像してたのと違うなあという印象でした。でも確かジョンとキスしてたよな記憶があるんだけどそれが凄いショックだったような・・・。でもやっぱり凄く好きになってたので本が出たと言えば買ったりしてましたね。あとROCK SHOWと言う雑誌を買いあさってましたね。でその当時つっぱってた子もカルチャークラブすきだったみたいで本を貸してあげたらなかなか返してくれなくて勝手に切り抜かれてたり当時の私としては高かったカルチャークラブの自伝的な本を取られちゃったりなんてこともあったけどめげずにファンやってましたね。

そのおかげで私は大切な友達を見つける事が出来ました。ジョージのおかげなんですよ。その子のことは挨拶をするぐらいでしかなかったんだけど彼女の机にジョージの似顔絵があって、それをきっかけに仲良くなりました。今でも大事な友達です。中2のときには“戦争の歌”がヒットして他の友達も好きになってくれたので嬉しかったの覚えてますよ。

そして去年17年の思いが実ってやっと本物のカルチャークラブに会えて嬉しかったです。もちろん彼女と会いに行きました。失神する人の気持ちがわかりました。でも、失神したら見れないので何とかがんばってみてました。でもほんと最初の曲の間中は涙が止まりませんでしたね。

なんだかとても長い文章になってしまってすみませんでした。このホームページを発見できてとてもうれしいです。
これからもがんばってください。


ジョンとジョージがキスしてる写真はネットでも出てますね。どこだったかな…当時の中学生には刺激が強すぎたんじゃないでしょうか?たのきんのヨッちゃんもコメントしてたなんて、時代を感じてしまいますね。






リオさんの場合

はじめまして、リオともうします。

みなさんと同じように、ボクもなれそめを思い起こしてみました。
一番最初に、カルチャークラブを知るきっかけになったのは、中学一年生の頃、近所の本屋で雑誌を立ち読みしていたときのこと。ふとした偶然で手に取った雑誌は、今はなき(たぶん)少女向け耽美系雑誌「ALAN」でした。その雑誌の折り込みポスターが、そう、ジョージだったのです。その、ビジュアルのインパクトの強さに、しばし呆然、なんでかわからないのですが、つい買って帰ってしまいました。その雑誌の特集は「新宿二丁目」だったので、たまたま遊びに来ていた従姉に「あんた、ホモ?」などとからかわれつつも、この美しい人は誰だろう?と、必死で記事を目を皿のようにして読みふけりました。彼(当時はいまいち性別不明、小学校を卒業したばかりの男の子には刺激強すぎ)が、どうも、カルチャークラブというバンドのボーカルらしいと知ったボクは、その後必死でミュージックライフ等音楽系雑誌を買いあさり情報収集にいそしむのでした。

初めて、ジョージの歌声を聞いたのは、たぶん、その後まもなくして見た「ベストヒットUSA」じゃないかな、と思います。もうあまりに昔のことで、記憶が定かではないのですが。一番最初に聴いた曲は「カーマは気まぐれ」でした。想像と全くかけ離れたジョージの野太い声に、多少違和感を覚えたのですが、すぐに、彼らの音楽のすばらしさのとりこになりました。その後、上野のABABというファッションビルのレコード屋で、「カラー・バイ・ナンバーズ」を見つけ、当時おこづかいの少なかったボクにとっては、かなりの出費だったのですが、思い切って買いました。あれが、自らの意志で買った最初のレコードでした。それからは毎日毎日、そのアルバムを聴いていました。

それまで、洋楽というものに全く関心のなかったボクでしたが、カルチャークラブにのめりこむようになって初めて、クラスにも自分と同じように彼らのとりこになっている子たちがいることに気づき、同好のよしみか、その子たちと急激に仲良くなり、休み時間になるとその話題で盛り上がる始末。もっとも、彼女らは(三分の二は女の子でした)デュランデュランやカジャグーグーのファンでもあったのですが。あるとき、冗談で中学の学生帽を前後逆さまにして深めにかぶり、ジョージのまねをしてみたところ、返ってきた反応が、意外にも「似てるー!」。今思うと、多少雰囲気があったぐらいだと思うのですが、そこが中学生、あっというまにジョージのそっくりさんにまつりあげられ、本人もかなりその気。今思うとかなり恥ずかしい。若気の至りですね。「笑っていいとも」のそっくりさんコンテスト(たしか)に出ろとの声もあったのですが、今思うと出なくてよかった。

自分ではかなりディープに彼らのことを愛していた、という自負があるのですが、当時の彼らの来日公演には行きませんでした。今、思うと、何で?と思うのですが、当時中学生のボクにとって値段がいまいち高かったのと、それまで、コンサートというものに行ったことのなかったボクにとって、いまいち恐怖感があったのではと思います。でも今思えば、親に借金してでも行っておけばよかった、クヤシー!事情があって今は日本国外に住んでいるボクは、最近の日本の事情にも疎く、去年彼らの来日公演があったことも知りませんでした。つくづく彼らのコンサートとは縁がないのでしょうか。

どうも、長々と書いてすみません。
抜粋して使っていただけたら光栄です。

リオでした。

抜粋していただけたら…ということでしたが、遠慮なく全部載せさせていただきました。でも、日本に住んでても彼らの来日を知らなかったって人は結構多いんですよ。もっと宣伝して欲しいですね。


yoshikoさんの場合

初めましてyoshikoと申します。
私がカルチャークラブを知ったきっかけは、スーパーでGive me time〜♪と流れた、素敵な声に耳をすませたことからです。
それから洋楽の番組を見てみようと夜遅くまで待ちました。プロモーションビデオでカルチャークラブの「君は完璧さ」です、と見たところ、プールからあの定番のシルクハットを被ったロングヘアー、女装、に衝撃でした。歌は上手いし個性ある!
それからは毎月雑誌を買ったり、夜は必ず「ベストヒットUSA」。土曜の午後はFMでチャートをチェックしてました。もちろん録音録画に夢中でした。そしてコンサートはカラーバイナンバーズの頃とハウスオンファイアーの頃と2回行きました。たしか、武道館と横浜スタジアムだったと思います。
うっとりと、しかもなけなしの小遣いをはたいてパンフを買ったりお小遣いをほとんどカルチャークラブに使ったのでした。

大人になった今、HMVで当時のアルバム、カラーバイナンバーズが、たったの1700円ぐらいで安く売られてました。私はレコード盤しかもっていなかったので、さっそく買ったのがつい最近のことです。
ボーイジョージの声に魅了された私は、声フェチになってしまい、ジョージに似た優しくちょっと高い声の男性にひかれ、その人を旦那サマにしました。今は幸せな専業主婦です。

そういえば、私の手元にあるカルチャー・クラブのCDもほとんどが再結成後に買ったものでした。ビデオも買ってしまいました。再販されたものって80s当時より安くなってて結構手が出しやすいんですよね。
あと最後はノロケですね。ごちそうさまです。


カコさんの場合

はじめまして、カコと申します。私はジョージと同い年です。が、ジョージと同じく(しかし太りはしなかった・・・)今も派手にかっこよく可愛くしてます、というのも私のなれそめは・・・、

カルチャークラブ初来日の際、ジョージと間違えられた、ということだったのです。

大体私は身長も161cmで、ジョージとどうやったら間違うんだか、それにその時点では殆ど興味がなかったのでジョージのこともよく知らなかったんです。ところがあまりにもいろいろな場所であまりにもいろいろなタイプの人から「あれ?ボーイジョージ?」「ボーイジョージにそっくりですねえ!」と言われた私は、TVにゲスト出演する彼を初めて見ました。どんな奴なのか見てみたい、と思って。すると、態度なんかが物凄〜くかわいいんじゃありませんか!ナルな私はいい気分になってしまい、翌日、ジョージと同じヘアスタイルにして仕事に行ってみました。すると、通りすがりの女の子が、「キャー!ミステリーボーイ!!」(!?)と絶叫。来日中だったせいもあって本当に間違えられた私は、すっかり気を良くして、ファンになったのであります。

 うそ臭い話だと思われそうだけど、実際私の顔は全然似てません。多分、当時のジョージの日本風メイク(?)の顔がたまたま似ていたんだと思います。でも私にとって、そっくりさんの日々はとても素敵な日々でした。自分に自信が持てるようになったし。それからずっと、私にとってジョージはなんだか兄弟みたいな感じの人なのです。何をしても、どんなに変わっても、ジョージを嫌いになんかなりません。

 私はまだジョージと会ったことはありません。でも「もうすぐ地球が滅亡するってわかったら何をする?」と聞かれると、「ジョージに会いに行く!」と答えてます。
う〜ん、死ぬまでには一度会いたいなあ。私も。

私、英会話で「あと1日で死ぬとわかったらどうする?」って聞かれたとき、「イギリスに行って、ボーイ・ジョージにあって『私のために歌って』って頼む。」と答えたことがあります。そしたら、「そりゃ1日じゃ無理。」って言われました。全く身も蓋もないです…


ひろポンさんの場合

こんにちは、私のなれそめですが・・・
忘れもしない小学校6年生、マッチこと近藤真彦が好きだった私は゛夜のヒットスタジオ″を観ていたとき、司会者(芳村真理ともう一人)が今日の外国のお客様はカルチャークラブのメンバーですと出て来て会話を聞くと男、顔を見ると女どっちなの?頭の中が混乱してました。12歳の私にはキツすぎました。

それから月日がたちある時゛カマカマ〜″の曲がどうも解からないですがすごく好きになり歌っている人が夜ヒットに出ていた人と知りましたが、その時ばかりは違和感もなくボーイジョージの魅力にどんどんはまってしまいました。

それからはコンサートに行き、ホテルまで押しかけて・・・メンバーにはご迷惑をかけましたがファンがいない所で全メンバーと会い、次の日にはジョージとジョンと会いサインと握手をしてもらいました。その時嬉しくて泣いてしまってジョンが゛泣いたらだめだよ!″とほっぺにキスをしてくれました。(ジョージやきもち妬いたかな?14歳の女の子だから大丈夫かな・・・)

今では最高の思い出です。これからも身体に気をつけて頑張ってほしいです。
又日本に来てくれますように・・・・

実は私、どういうわけか、化粧のジョージに大ショックを受けた記憶も、彼を女と間違えた記憶もないんです。化粧をする男は沢田研二で免疫がついちゃってたんです。
にしても、ジョンも14歳の女の子をからかっちゃだめだよ。


かさピーさんの場合

はじめまして、ゆか坊さん。
Culture ClubとBoy Georgeに関するサイト、いつもみさせてもらってます。他にも彼らのサイトあるけれど、ゆか坊さんのサイトが一番充実していて、しかも見やすいですねー。

さて、私のなれそめですが・・・
あれは、小学6年あるいは中学1年のことです。
私は、大阪に住んでいるんですが当時、神戸放送(サンTV)に「POPミュージックTV」(そういうような番組名でした・・・忘れたけれど)で、クッキーという金髪女性がDJしていた番組です。その番組でCulture Clubの「ミス・ミー」がMTVで流れ・・・その衝撃はすごかった!!
女が歌ってるのに男の声!!!でも、日本人の姿した外人・・・でも、日本人もいる・・・(この日本人はGeorgeの友人であり、雑誌記者の女性と後に知りました)この、ミックスされた世界は何?

しかし、なによりGeorgeの声に惹かれました。彼の声から、世界が広がりました。彼らが歌っている歌詞が知りたくて、翻訳したり、日本語の歌詞カードが当時LPに入ってたんですけど、自分で訳したいと思うじゃないですか。自己流で翻訳していたんですけどね。
曲とは対照的に歌詞は悲しいものばかり・・・
どうして、なんだろうと当時思いました。
彼らが載っている雑誌は全て買い揃え切り抜きしてたり、インタビューも読んでいくうちに私は、Georgeに惹かれました。彼の生き方、性格、考え方・・・一人の人間としてすてきだな、と尊敬してます。

約10年前のドラッグ事件があったとき、きっと復活すると願ってました。当時、ハムステッドの自宅に手紙を送ると返事が返ってくるというので、半信半疑で送ってみるとな・な・なんと!!返事が返ってきた!きっと直筆・・・だと思う・・・そう信じている。いまでも。写真にマジックでサインしてクリスマス・カードにもサインが!!プラスノー・メイクのGeorgeのインスタント写真!!もう、これは一生もんの宝物です。

昨年、彼らが来日したときライブでおもわず涙があふれてきました。「よかった、来日できて・・・」本当は、Georgeは2度目なんですよね。
復活してからは、姫路で、イベントで来日してたけど、用事でいけなかった。
昨年は、何も知らなくて友達からTELがあって、急いでチケットを取りました。
あとから聞くと、大阪は取りにくかったらしいです。本当によかった!!

また、来日してくれるといいですね。

そういえば、私も昔、彼らの歌を訳そうとノートを買いました。気合を入れて歌詞を書き写しました。写した歌詞は「カーマは気まぐれ」。「さあ訳そう!」と歌詞を見ました。"Desert loving in your eyes all the way..."「あなたの目の中ではるばる愛してる砂漠???」…こうして私の和訳プロジェクトは1行も出来ずに終わったのでした。情けない…


さちさんの場合

私がカルチャークラブに取り憑かれることになったきっかけを、お話します。
それは、小学6年のときでした。周囲ではマドンナや、シンディローパー等を、聞く子供がけっこういたんですが、私はまだあまり興味がありませんでした。
ジョージを初めて見たのは、多分に雑誌。一体この人はどういう声をしているのだろう、と思ったことを覚えています。そしてこれも記憶違いでなければ、テレビ東京の、朝の子供の番組で、小学校に行く前に見たジョージの歌う姿、「君は完璧さ」のビデオだったかもしれません。私は、その姿に衝撃を受け、一体この額の広い髪の長い人は何者なのだろう。と気になってしかたがありませんでした。
 中学に入ってから本格的に聴くようになりましたね。最初は友人から借りたのだと思います。学校ではこんなことがありました。私は絵を描くのが好きだったんですが、美術の授業で使う、大きなスケッチブックに、ジョージの似顔絵をデカデカとデッサンしていたんですよ。隠していたのに、何故か悪ガキの男子生徒に見つかり、勝手に教室の黒板のところに飾られて、すごく恥ずかしかった。(でも我ながら、そのジョージ様は美しかったと思います。)
それを見た、英語の教師が、
「おまえ、カルチャークラブが好きなのか?カマ、カマ、カーマカミリオン」と歌ってくれたのが記憶にあります。
 
 ジョージの、初期の頃の作詞の仕方としては、「書いている本人にも意味が分からない」という、多くはインスピレーションによるところがあったと、当時彼らの本の中で読みました。それは、私にはとても印象的で、そのおかげで私は当時、突然に詩を書いたりし始めたのです。私が詩を書くきっかけとなったのは、ジョージのお陰と言えるでしょう。
私が丁度思春期の頃に出会ったのも良かったと思います。彼の、自分らしさを大切にというメッセージは、周囲に流されやすい年齢の私にとっては大切なものでした。そして、矛盾する人間の複雑さや、愛の複雑さも見せてもらったんだと思う。
 また私はわりと、日本の伝統文化である、歌舞伎や能にも興味がありますが、そのように日本の文化の素晴らしさに気づかせてもらえたのも、英国人で日本びいきのジョージのお陰でした。私の周囲の友人は、部屋にバドワイザーのビールの缶を並べたり、アメリカ好みが多かったですから。部屋に古着の着物を飾ったりするのは私ぐらいなもので。
ともかく私が、今までの人生の中で一番多く聞いた英語はジョージのものだと思います。 さちでした。

そういえば、私も文化祭のポスターにボーイ・ジョージを書いた記憶があります。でも、文化祭とボーイ・ジョージはまるっきり関係なくて、ただただ私がジョージを描きたかっただけでした。


九龍さんの場合

 僕が「カルチャークラブ」をこよなく愛するきっかけをお話ししたいと思います。 当時、自分は中学1年生。それまで邦楽(歌謡曲)しか興味なかった自分は、中学生になり、洋楽に少し興味を持ち始めました。興味をもったのは、あのマイケル・ジャクソンの「スリラー」。そう、ゾンビと一緒に踊りながら唄うマイケルが見たくて、深夜の洋楽TV番組を見るようになったのです。(^_^;)
 最初はマイケル目当てで、「今夜もビートHIT(確かこんな名前だったような)」や「ベストヒットUSA」を見てたのですが、そのうち、いつもランキング上位にいる、興味を持つプロモーションビデオがいつも流れるようになりました。
 それは、カルチャークラブの「ミス・ミー・ブラインド」!!

 最初は、「この日本風みたいなアジア風?なのは何だろう・・」って思い(笑)、興味を持ち始めました。ボーイジョージのことを「この人は女性?」って思ってみてるうちに、「綺麗でかっこいいな」と思うようになりました。ミス・ミーのビデオもめちゃくちゃ「傾いて(かぶいて)」いて、すごいなあ!かっこいいなあ!と思うようになりました。お城とか、ムエタイとか、舞妓さんとか、すごく斬新で、また曲も覚えやすくて、すっかり夢中になってしまいました。(^O^)

 その後、あの「イッツ・ア・ミラクル」で自分の中で不動の物となりました。

 嬉しそうに楽しそうに、ゲーム盤の上をくるくる廻りながら、唄ったり、踊ったり、曲もかっこよくて、他の外国人アーティストに較べると、明らかに質の違う魅力をもってました。そういうところに強く惹かれたのです!
 続いて、「カーマは気まぐれ」「チャーチ・オブ・ザ・ポイズン・マインド」「ヴィクティムス」etcなどなど、数え上げりゃキリもなく、ホントに大好きな歌たちを覚えるにつれ、どんどんのめりこみました。当時、カセットテープで曲を擦り切れるほど聞いたり、ビデオでカルチャークラブの特集やってれば、必ず撮って、何度も何度も繰り返し見ました!
 こんなに魅力的なカルチャークラブが自分の中で「特別」になったのは、これがきっかけでした。今でも、一番大好きでこだわってるバンドです。   九龍でした。

"BEAT HIT"や"ベストヒットUSA"は私も見てました。"BEAT HIT"はセーラと言うお姉さんと、デンプシーと言うお兄さんがやってる30分番組でした。


チャーリーさんの場合

 中学2年生の時にとある深夜番組にハマってしまい(なぜかその番組の事は覚えてないの)、その日も必死になって見ていたのですが、CMの合間に何気なく他のチャンネルに変えたとき出てきたのがクイーンのプロモーション・ビデオでした。 何だろうと思い、新聞をチェックすると「SONY MTV]の番組名があったのです。すごく気になって見ていた番組も忘れてみている内に流れてきたのがカルチャークラブの「君は完璧さ」でした。 当時洋楽の存在自体知らなかった私には曲の良さはもちろんだったのですが、それ以上にジョージの姿に強烈な印象を受け、その日はとりあえずビデオの最後に左下に紹介される曲名と歌手名を覚えてメモし、(あの綺麗な女の人は誰なんだろう?)と興奮のうちに眠りについたのでした。 それからはレコード店・FMラジオをチェックしまくって何とか情報を手に入れたのですが、ジョージが男だとわかったのはそれから3ヶ月位後の事で、その日の衝撃はいまだ忘れられません。  でもその衝撃以来すっかりカルチャークラブが好きになり、当時小林克也の洋楽番組や金・土・日に放送されてたMTV、ラジオ関西の全米TOP40のなどを見聞きしながら、お小遣いをほとんどレコードや音楽雑誌に使ったのでした。
 さすがにコンサートは行けなかったのですが、それでも来日した時に出演した番組は必ず見ていたと思います。  今だったらお化粧したアーティストって結構当たり前だけど、あの頃ではかなり珍しかったと思うのですが・・・。  あれから10何年、今年のコンサートに行く事が出来ました。やっとみれた生カルチャークラブでした。 涙・涙でした。 あの時他のチャンネルに変えなかったらどうなってたのかなあ? カルチャークラブのお陰で英語大好きになれました。   チャーリーより


のんぶーさんの場合

そのころ、中学生でレンタルレコードの会員になって浮かれてた。最初に、(何で洋楽を聴こうとしたのかは判らんけど)デビッド・ボウイ「レッツ・ダンス」を借りてハマリまくっとたんですよ(今でも聞くし)。そんならやっぱりそこからどんどん俺の何々貸したるから、それかしてって、そんなこんなで「カラー・バイ・・・・」が手に入ったんでしょうね。で、何人かの友達でいつもいれば役割分担というか少々の主体性も生まれ、各々ワムだのデュランだので私がこうなったんですね。
 ここまで、追ってきてしまったのは何なんでしょうね?やはり悲しいかなライブに一回も行った事ないことからかな。解散もあるけど。今年も仕事で行けんかったしね。それと誰か「セクシュアリティー(ロングバージョン)」お持ちの方、連絡くれません?全然欲しいのにみあたんないので。


じゅんじゅんちんさんの場合

あれは私が中学1年生の頃でした。大好きな先輩がいて、先輩をおっかけているうちにその先輩がカルチャークラブのファンだと知りました。机にはたくさんの英語。調べるとそれは全てカルチャークラブの歌。気になって必死で探しました。ボーイジョージの顔をみて??見たことあるぞ!歌を聴いて??聞いたことあるぞ!そうです。小学生の頃見たことのあるMTVであまりにも印象的だったので覚えていたのです!!それからというもの私と先輩をつなぐ掛け橋となったのはカルチャークラブでした。たくさんのグッズを集めてその話題で盛り上がったものです。

中学を卒業した頃にはその先輩とは連絡を取る機会も減り自然消滅してしまいました。それからジョージのドラッグ騒ぎで10年間来日できないと知りカルチャークラブの事も頭の片隅にある程度でした。それからある日日本に来日するといううわさを耳にし、再熱!!姫路でのコンサートは雨の中感動しました。これが大大好きな生ジョージかー!!と思っているうちに終わってしまいました。

そしてこの春再び生ジョージを大阪で見る事ができました。私はコギャル風のいでたちで友達を強引に連れて行きました。周りは落ち着いた30代ぐらいの人たち。ちょっと浮いていました。が、こんなにもファンがいるなんて!!と感動しました。こうやってHPを開いてくださる人がいてとってもうれしく思います。またジョージが日本に来るようみんなで祈りましょう。

p.s.しかし今回のコンサート早く終わりすぎじゃない?8:30に終わるコンサートって初めてだった・・・。皆さんどう思いました?

じゅんじゅんちん  でした。


ブリブリザエモンさんの場合

私が高校ニ年頃、イギリスでニューロマンティクスが大ブレイクしていました。化粧をしてフリフリのブラウスを着たいわゆる美少年系のミュージシャンが続々とデビューしていたあの頃。私は「Panache」という新人バンドの追っかけをしていました。
 「Panache」に飽き始めていた時、「Culture Club」を知ったのでした。衝撃的な出会いとでも言うのでしょうか。すべてが新鮮で素晴らしいバンドでした。東京でのコンサートはダフ屋からチケットを買って、見に行きました。派手な化粧でボロファション、帽子、ボクシングブーツで Boy Georgeになりきっていた自分が懐かしいです。
 Boy Georgeを超美形と思ったことはないけれど、彼の歌声と曲は本当に美しいと思い続けています。あと一歩というところで、ドラッグですべてを失ったものの、奇跡の復活、残念ながら当時のようなヒット曲には恵まれないにしても、最近ではオリジナルメンバーと活動を再開できたことを古いファンの一人として誇らしく思って、影ながら応援しております。
 ところで、First albumの「Love Twist」に参加したドレッドヘアの美少年Amos Pizzey(ベースのMickyの元奥さんの弟)と、Boy Georgeの元ボーイフレンドと噂されていたKirk Brandonのその後(近況)をご存知のマニアな方、是非教えてくださいませ。
 Culture Clubがんばれ!Boy George万歳!by ブリブリザエモンでした。


しゅうさんの場合

俺のなれそめはやっぱり中学生の二年生くらいだったと思う。家に早めに帰った俺はなにもする事がなく、(当時部活で毎日遅く、昼に帰ってもやる事がなかった。勉強もしとらんかったし。)姉の部屋にもぐりこみ雑誌を読んでいた。

そこで、”セブンティーン”(多分)があり、ぱらぱらめくっていくとグラビアに今をときめくロンドンの玉三郎!!!とジョージのアップ顔が。今思えば、あれはイギリス盤のタイム12”のジャケット写でした。それを見て”ガーン”と来た俺。ミンナとは違って?俺、ルックスから彼にはまったんです・・・。そう、(彼)とは知らずに。それからはもう資料集め。ヘビーコレクター?はこの頃から?

当時、学校のサークル、でAM局のラジオランキングの集計をしていたのですが、俺の知らないところですでに「君のためなら」がランキング入りしており、(因みに最高位は16位)その彼とカルチャークラブって言うバンドが俺のなかでシンクロしてくるのはその後半年位して、「君は完璧さ」がチャートインしてからのことでした。はじめて彼が「彼」と知ったときの衝撃は今でも忘れません。(笑)

それから1回目の来日がありTVなんかでもバンバン見れて、自分も高校生になって毎年来ていたので来年も!と期待して、コンサート行くぞ貯金始めて・・・。でもそのトシの俺の誕生日前日に彼は逮捕されちゃった。

だから、俺にとっての今回の来日はまじでマジで18年間の思いが沸いてきて号泣状態でした。(周りのお客さん危ない人と、思っただろうな!)これからもいい歌歌ってくれよ!ジョージ&カルクラ!


LLCCさんの場合

僕がカルチャークラブを知ったのは中学1年生になるかならないかぐらいのときだった。
 当時"MTV"とか"プロモーションビデオ"とか聞き慣れない言葉をよく耳にするようになり、マイケルジャクソンというスーパースターを知った。回りの連中はビデオに録画してはマイケルばかりを繰り返し観ていたが、あるとき友人がビデオ操作をあやまったはずみにカルチャクラブのプロモが流れた。個人的に、ぴったりとくるヴォーカルの良さに聞き入っていた僕は友人に「これ、だれ?」と尋ねると、友人は「オカマ!」と返答してきた。それにちょっとカチンときた僕は「オカマは見りゃ、分かんだよ!こいつの名前だよ!?」って叫ぶと友人は「カルチャークラブってバンドじゃなかったっけ?」とのことだった。僕の頭の中では"カルチャクラブって日本語で文化倶楽部だよね?どうしてオカマが文化倶楽部なの?"と真剣に考えていたが、いま回想するとバカである。
 それをきっかけにカルチャクラブにはまり、はや30才。よくも長いあいだ聴いたものと感心する。そのひとつの理由としてボーイジョージのヴォーカルの良さだと思う。僕は黒人ヴォーカリストと比べて遜色を感じさせない白人ヴォーカリストはボーイジョージしかいないと思うし、黒人にまけないヴォーカリストとしての資質・テクニック・共感性を兼ね備えた白人ヴォーカリストもジョージしかいないと思っている。そしてジョージが言った「女のように感じ、男のように行動する」という言葉は、今でも僕の心のなかでいきている。


ゆか坊の場合

私がカルチャークラブにはまったのは、84年の6月か7月のことだった。その当時、カルチャークラブは世界中でブレイクしまくっていた。そのころは「カーマは気まぐれ」がよくかかっていた。あのノリがよくノー天気にさえ聞こえる「かま、かま、かま、かま、かまかみ〜りぃ〜お〜ん♪」のメロディーは、数を聞いていくほどに、私を捕らえて放さないものになっていくのであった。
そんなある日のことだった。クラスメートのお兄さんがカルチャークラブの来日名古屋公演のチケットを持っているのだが、行けなくなったので買ってくれる人を探しているという話が入ってきた。そのときの私は「カルチャークラブかー。『カーマは気まぐれ』は好きだけどー」くらいだった。が、そのクラスメートが熱心に頼むので、「じゃ、うちで聞いてくる」と返事をした。結局、母の反対で(実家から名古屋は遠かった。)その話は断ることになってしまった。
しかし、人間反対されると気になるのが人情であろうか。「カーマは気まぐれ」のエアチェックテープは持っていたが、私はその「カーマは気まぐれ」聞きたさに「カラー・バイ・ナンバーズ」を買ってしまうのである。地元のイトー・ヨーカドーのレコード屋で。それもカセットテープで。月のお小遣いが3000円だった田舎の高校生には2800円の出費は結構痛かったはずである。
しかし、私は彼らの華やかで甘くて楽しいサウンドにすっかり魅せられてしまうのであった。2800円のカセットテープはその後くる日もくる日も流されつづけ、1年もする頃には音がおかしくなっていた。きっと元は取れただろう。