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社会人勉強帳

[013] フォーチュン500企業へ転職 (2002/12/27)


「ファイナンシャル・アカウンティング」

コーニング・グラス・ワークス社

マース社

マッチボックス社

ケンブリッジ・リサーチ研究所

3週間の北米研修

青山学院社会人修士コース閉鎖!

学校放浪

日本電子専門学院

4月からの学期では、「ファイナンシャル・アカウンティング」を取った。「マーケティング」と並んで、財務経理はビジネス・スクールでの2大専攻であり、外資の場合、キャリアを始めてからの方向付けに実は決定的なこととなる。

僕の場合、この頃そんなことまで考えずにとりあえず代表的な科目からカバーしようと思ったに過ぎない。

このクラスを取っていた期間に僕は転職を果たした。

次の会社は、コーニング・グラス・ワークス社というところで、当時は特殊ガラスで、現在では光ファイバーで世界的大手として知られている。いわゆるフォーチュン500企業(アメリカで売上大手500社)で、東部の名門企業だった。

コーニングに入社し、北米での着任研修が終わり、事業部の仕事が始まりだした。青山学院での僕のクラスは、三学期目を迎えていた。

今度の期では「インターナショナル・マーケティング」のクラスを取った。この頃から、僕は自分の業務と関連してクラス選択を始めたように思う。一学期に一つのクラスの履修だけでは、一体いつ修士学位が取れるのか、気の遠くなるような気もしたが、その時の気持ちとしては、必ずしも卒業して修士学位までとるつもりは無かった。

自分のビジネスに関係するような知識をとにかく少しでも積み上げて行ければよいというような気持ちだった。それから、実際問題として、ハワイ大学からのビジティング・プロフェッサーにあちらと同じ基準でしごかれてしまう授業は僕にはきつすぎて、一科目を付いていくのが精一杯というのが現状でもあったのだ。

ところが、この秋学期にこのコース全体の閉鎖が突然発表され、クラスは騒然となってしまった。ハワイ大学と提携をしていた青学側の主要メンバーであった、山根先生という経営学部長がその夏急逝され、青山学院大学院としては提携コースを維持運営していく後継者がいないとのことだったのである。

クラスでは署名が集められ、代表が文部省まで行ってコース存続を訴えたが、決定が覆ることは無かった。

僕の、「英語による学習」は、この閉鎖劇で一休みすることになる。

というのは、この機会にというか、コーニング社で新しい仕事に付いたタイミングで、僕は自分の業務に関連して足らざるところを補わなければならないと思ったのだ。

まず、電子部品事業部の仕事といえば、エレクトロニクス産業に他ならない。僕はそこでマーケターの仕事をし始めた。ところが、僕にはエレクトロニクスの知識などありはしない。

これではいけない。

青山学院のコースが閉鎖された秋に僕が今度通い始めたのは、大久保にあった日本電子専門学院というところだった。


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