復活の世界 Faile 6 「世代交代を学ぶ」

世代交代と言うと、昨今の人間界では、さまざまな摩擦が多くて、なかなか厄介なことのようです。

早く身を退いてもらいたいと攻勢をかける若者に対して、老いたとはいっても、まだまだ元気な先人は、簡単に引っ込むとも思えません。そうかと言って、年齢だけでリストラのように、無理矢理引き下がらせてしまうというのは、どうも釈然としないものがあります。

そういうことは、摩擦を避けてごく自然でありたいと思う昨日今日なのですが、去年のゴールデンウイーク中のことでした。ドライブを兼ねて軽井沢の山荘へ出かけました。

気分転換ということもありましたが、実は地元の建設会社に依頼してあった、敷地内の木々の整理を確認する目的もあったのです。

わたしがこうしたところに山荘を手に入れてから、早いものでもう20数年になりましたが、当時はまだ敷地内を埋めている栗や落葉松の木々も若く、まだそれほど成長してもいませんでしたから、目ざわりなほど繁茂もしておりませんでしたが、最近、改めて見つめてみると、ほとんどの木々が大きく成長して・・・と言うよりも、成長しすぎて、却って景観を阻害してしまう状態にまでになっていたのです。こうしたことは我が家だけではなく、ご近所の山荘でも起こっていて、そろそろ敷地内の木々を、整理しなくてはならなくなってしまった方が多く、情報交換などをしたりしたところでした。

わたしがこの山荘を手に入れたのは、多忙な作業の連続だったところから、たまには休養しないと、健康維持のためにも好ましくないという心配があって、せめて夏ぐらいは、避暑と休養を兼ねて、木々に囲まれた山荘で、英気を養い、新たな構想を練ったりもしようというつもりからでした。

そのために、ゆったりとした気分で、原稿も書きましたし、散策を楽しんだり、近くをドライブしたりもしていました。ベランダから敷地内を見つめるといっても、漠然と眺めておりました。しかしその一つ一つを、丹念に観察していたわけではありませんでした。そのためもあって、木々の生長については、特別意識するようなこともないままでいました。ところがそれが、年々景観を遮るようになってきたなと、感じるようになってきたのです。遥か彼方の山波を見つめる楽しみも阻害されるようになってきてしまったのです。改めてその成長の様子を知って、びっくりしてしまいましたが、地元の人のアドバイスによると、何本かは伐採しておかないと、そのうち倒れるかもしれないというのです。

原因は敷地内の木立は唐松はかなり老齢に達していて、そろそろ世代交代をしようとしているというのでした。よく見てみると、繁茂したそれらの唐松の梢には、かなりの松ぼっくりがついていました。あれは種だそうで、これが出来るようになるとそろそろ世代交代を知らせているのだそうです。前述のように、ちょっと大きな環境の変化が起こった時には大きく成長した木が山荘などへ倒れてきて、被害が広がることになるようで、放置しておくわけにはいかなくなりました。そのようなことが、同じ頃に山荘を買い求めたご近所の方々の問題になっていたというわけです。

しかしこの話を聞くまで、自然界で密かに行われている世代交代というものには、ほとんど気がつかないままで暮らしてきてしまっていたことに気がつきました。

生命の輝きを発揮して、その生存の意味を無言のうちに知らしめた老木は、その命の終りを感知して、密かに未来を担う種を生み、育て、頃合いを見て、それを大地に撒き散らして、その成長を託して去っていくのだそうです。

(人間も同じように、ごく自然に、穏やかに、若い種に期待しながら、引くべき者は引いていけないものだろうか)

これまでまるで関心を持って見つめたこともなかった、唐松の世帯交代劇を目撃して、改めて自然の美しさや、潔さに気づいたのでした。

ああ、それにしては、人間界の、何と生々しくも、騒々しい世代交代劇を見せ付けられることだろうか。

自然に教えられたGWの一こまでした。

精一杯美しく老いて、務めを果たして、邪魔にならないようにして生き長らえながら、次代に希望を託して去って行くという、気持ちのいい世代交代をしたいものですが・・・☆

ベランダからみた木立の写真
ガスった庭の木立の写真