復活の世界 Faile 7 「皇帝の演出」

かつてわたしは取材のために、数回中国を旅しました。

担当編集と現地の通訳とで、主に北京と西安中心に、大雑把に歴史の跡を訪ねて来たのです。

日本と比べたら、歴史的、文化的にかなり先進の国ではあるのですが、いろいろな点で、現代とは比較にならないほど未発達の時代であった頃の、古い中国の時代の姿を見てみたいと思って行ったのでした。そんな中でそれぞれの歴史的な遺跡が、一見して大変な労力を要して造られたものだということが判りました。それだけ当時の権力者が絶大な力を持っていて、人民を動員して成し遂げた遺跡が何と多いことか・・・。

そんな中で目についたのは、何と言っても万里の長城でした。中国の北辺の山稜・・・八達嶺(はったつれい)に、2400キロにわたって作られた城壁です。春秋戦国時代から秦の始皇帝時代に大増築して明時代まで、その建設がつづいていくのですが、どうしてこんなとてつもないものを造ったのかと、不可思議に思いますが、しかし当時の権力者にとっては、自分の支配している国を統治していくために、どうしても必要だったのが辺境の警備、治安だったわけです。あの頃は匈奴(きょうど)と言われる民族が、度々襲撃してきて権力者を不安がらせていたのです。それを防ぐためにも、どうしても欠かせなかったのがこの万里の長城でした。広大な高原を、土煙を上げて襲って来る強敵を撃退するのに苦心していた支配者が、防衛のために知恵を絞った結果造り上げたものですが、次第にその城壁は延びていってしまったに違いありません。

現地へ行ってみると判るのですが、広大な高原を疾駆して迫って来る匈奴の騎馬軍団の姿が目に浮かんできます。駆り出された兵士たちは、怒涛のように攻め上がって来る敵へ、あの城壁の射撃穴から弓を射て立ち向かったのでしょう。

それにしてもあのような広大な建造物を作ってしまうというエネルギーというものは、想像がつかないほどのものだと思います。とても現代人には出来ない発想だし、結集できそうもないエネルギーのようにも思えます。しかもそれぞれの時代に、それぞれの努力を積み重ね、継続していかなくては、とてもあのようなものはできるわけがありません。

現在は世界遺産にも指定されるような文化遺産になっていますが、これは辺境からの執拗な襲撃に、日夜腐心していた権力者の、異様なほどのエネルギーを感じさせる、歴史遺産でもあると思います。それにしても当時の人民はどんな気持ちでそれに従いそれにしても当時の人民はどんな気持ちで働いていたのでしょうか・・・。支配者の感じている危機意識とはまったく関係なく、暮らしのために働くことができずに、動員されてきたことを恨んでいたかもしれません。現代人のわたしは、そんなことを考えてしまうのでした。

古代中国では、天子になると言うことはもちろん天命なのだが、それには徳を積んで人民の支持を得なくてはならないと考えていたので、彼らは権力の行使にはかなり強引なところもありましたが、如何にして人民を操縦していくかということが、非常に重大な課題であったように思えます。

行く先々で、感じさせられることはいろいろとあったのですが、今回は当時の権力者たちが、如何に人民の操縦に知恵を絞っていたかというお話をすることにいたします。中国にはそれを考えさせられる遺跡がかなりあるのです。

何といっても目立つのは、天子たる皇帝の尊厳を示すための演出です。

その一つが、天壇公園の中の円丘壇という大理石の円壇の中心に立って小声で囁いても、その声はこだまして、本人だけに聞こえてきたというのです。

まさに皇帝にとっては恍惚の瞬間だったでしょう。

その説明を聞いた時、わたしは直ぐにある疑問を感じてしまいました。皇帝はいいとして、階下に控えている臣下たちには、いい迷惑だっただろうなということです。それにしても毎年、どうしてこんなところへわざわざ出て来て、年頭の挨拶などするのだろうかと考えると、自らを天子として自覚する、不可思議な場であったのでしょう。臣下の知恵者が考えた、地形の特殊性を活かした、実に見事な設計です。如何にして人民の支持を繋ぎとめるかということに腐心していた、皇帝も、皇帝なら、臣下も臣下で、如何にして皇帝に気に入られるかを考えて、作り出したところだったに違いありません。

間もなく通訳はわたしに、その円壇の中央あたりへ立って、「宇宙皇子」と言って見ろというのです。もちろんそのあたりには、上の写真のように中国人観光客が群がってしまっていて、とても皇帝が味わったような恍惚の瞬間は味わえませんでした。

果たしてそれには、どんな構造的な計算が行われていたものか、はたまたどんなからくりが潜んでいたのか、まったく突き止めることはできませんでした。とにかく権力者は、自分を如何に高貴な人物であるかを臣下に植えつけるために、腐心していたかを考えさせられましたが、臣下も皇帝に気に入れられて出世できるように、さまざまな演出をして気に入ってもらうために苦心していたものだなと思ったものでした。

中国では、そんな演出を考えさせるようなことに何度も出会いましたが、そんなお話を次回もしようと思います☆




(旧HPからの復活した原稿ですが、一部加筆、訂正いたしました)

山を巡る長城の写真
万里の長城攻撃壁の写真
香炉が置かれた階段の写真
宮殿から見た庭の写真