復活の世界 Faile(26)「葵祭り」

五月十五日、高校時代の友人から打診があって、京都葵祭の路頭の儀へご招待されているけれども、行ってみなかということでした。もちろんわたしは妻を誘って出かけることにしたのでした。

それまでの不順な天候の具合から、果たして無事に行われるかどうかと心配していたのですが、当日は五月晴れの最高の日となりました。私事ですが、この日がたまたまわたしの結婚記念日でして、思わぬ贈り物となってしまったわけです。

前日から京都へ入って、久し振りに昔歩いたところを散策する機会に恵まれましたが、いささか張り切りすぎて疲れました。

ところで「葵祭」というのは、歴史に興味のある方ならば、知らない人はいないくらい有名な祭りです。今は、「祇園祭」「時代祭」と並んで京都の三大祭と言われていますが、本来の祭という点から言えば、「時代祭」は除くべきでしょう。あれはあくまでも観光客のためのイベントとして企画されたもので、歴史的に何か意味を持ったものではないからです。まぁ、時代ファッションショウとでも言ったほうがいいかもしれません。

さて葵祭というのは、京都の安穏を祈願するために行われるものなのですが、日本書紀によれば、欽明天皇五年、西暦五百四十四年に、風水害、飢饉、疫病が蔓延してしまったことから、占ったところ賀茂神の祟りという結果が出たので、馬に鈴をつけて賀茂社の境内を走り祭祀を行うと治まるという指示に従って、帝は勅使を遣わしてその通りにしたところ、五穀が実り天下泰平になったというので、その後毎年国を挙げての祭りとなり、厄除けの葵を社殿に飾り、それに奉仕するものは全員身につけるということから、葵祭と呼ばれるようになったものでした。これは上賀茂神社、下鴨神社の合同祭礼で、御所から出た後、両神社では社頭の儀という儀式が行われるわけです。

今回は御所から出発する行列を見物したわけです。

華麗な行列ではありましたが、それに参加している人のほとんどのひとはアルバイトであるということは残念なことですが、それは時節柄無理もないかなと思いながら、往時の盛儀の一端を想像しながら楽しんだのでした。

平安時代などでは、源氏の母である桐壺の局と女御の六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)が、この葵祭を見物するのに、いい場所を取ろうとして大変ないさかいをしたというような話が残っているくらいで、往時は現代とは比べようもなく荘重なものだったに違いありません。

写真にあるように、この祭りにはその中心となる斎王(さいおう)が立つのですが、都を中心とした国家の安穏を祈る大きな行事であったことから、未婚の皇女などがその任に当たっていましたが、現代はそういうわけにもいかないので、斎王代(さいおうだい)と呼んでおります。つまり正式な斎王の代わりということです。

早朝からかなりの人が詰めかけていて、いましたが、幸いこの日は五月晴れで、華麗な行列を見物しました。

ここでの見物は、つまり下鴨神社、上賀茂神社での儀式を行うために出発するところですから、たしかに王朝ファッションを楽しむということにしかならないかもしれません。これまで古代史を背景にした小説を書いてきたということもあって、わたしはこの行列よりも、その行き先である下鴨神社での、社頭の儀を見ることが本旨なので、これはまた来年の楽しみになりました。

外国人の見物客も多いようで、わたしの知り合いのヨーロッパの大学教授も、日本の伝統行事の研究論文を書くために、この日の行事を見物に来ていらっしゃったようで、彼女は更にこのあと、浅草の三社祭を取材する予定だと聞きました。そういう点では、この御所からの行列も意味があるのかもしれません。

まもなく京都の三大行事である祇園祭も行われます。

まさに京都は歴史の町で、楽しみ多いところです。

幸いわたしは来年から、京都嵯峨芸術大学の客員教授として、若い人の指導にあたることになりましたので、その折々に史跡を訪ね歩きたいとも思っているところです☆



これは旧HPから転載したものです。写真だけは新しいものに変えました。

葵祭りの写真 その1
葵祭りの写真 その2
葵祭りの写真 その3
葵祭りの写真 その4
葵祭りの写真 その5