復活の世界 Faile(27)「犬の遠吠え考」

昨今は犬を連れて散歩する人がかなり多くて、びっくりしてしまいます。

ご主人に連れられて歩く彼らの姿を見ているうちに、ふと昔のことを思い出してしまいました。

そのきっかけとなったのは、昨年の夏、軽井沢の山荘で、犬の遠吠えを聞いたことでした。

日ごろ窮屈な思いをさせているので、せめて夏ぐらいは広々としたところで、開放してやりたいと思う気持ちからかもしれません。

都心に住んでいるわたしはもちろんのこと、あなたもきっと犬の遠吠えを聞くことは、ほとんどなくなってしまっているのではないでしょうか。

個の時代がそうさせるのでしょうか。マンション暮らしも多くなったり、隣り近所の人とも付き合いがなかった上に 、核家族化してしまって、みな孤独感にさいなまれてしまうのでしょう。ただ生きているだけでも辛く、疲れきってしまっています。

そんなところから、人に忠実で、時には卑屈なくらい従順な犬に、関心が集まった結果が、犬ブームなのではないでしょうか・・・。

老境に達した方が、止むを得ない事情で一人住まいをすることになったり、独立した子供達と離れて暮らしたりすることになって、孤独の谷間へ落ち込んでしまったりした時、犬という相棒を持つことは大変役立つし、格好の相棒だとは思うのですが、まだまだ若い女性が、お座敷犬の類である、小型の愛玩犬を引き連れて散歩させる姿を見かけると、単なる玩具を引き連れて歩いているようにしか見えません。

現代の犬ブームは、いささか人間のエゴだけが先行しているようにしか思えません。時には異常なものさえも感じてしまうのです。その一番気がかりなことというのは何かというと、あまりにも人間たちが、動物を自分たちの都合で、利用し過ぎているのではないだろうかということなのです。

かつてわたしは、「ワンサくん」というアニメーション番組を書いたことがあるのですが、犬の生活を人間社会とダブらせて書いていこうということになって、先ず犬の生態について知っておこうということになりました。そのために当時女子栄養大学の教授であった、動物学者の小原秀雄さん(現同大学名誉教授)から、犬の生態についてレクチャーを受けたことがありました。

彼らの生活を注視していると、人間の生活の未来を暗示しているようなことが多いという、大変貴重なお話を聞くことが出来たのです。その典型的な例の一つに、都会での住宅街では犬の遠吠えというものが、ほとんど聞けなくなってしまったということがあります。

昔は夜になると、あちこちから、さまざまな声を上げるのを聞きました。それが夜の雰囲気でもあったのでしたが、いつのころからか・・・犬を飼う家が多くなるに従って、そうした光景が消えていってしまいました。理由は簡単で、犬が鳴き声を上げるとうるさいということからだと思います。中には手術をして声を上げなくしたり、叫ぼうとするとブレーキがかかるような首輪をしたりといったことを、するようになったからでしょう。

この遠吠えというものは、犬社会の対話、情報交換の機会だったのです。それなのに人間たちは、うるさいからという理由で、そんな機会を無造作に失わせてしまいました。彼らは夜の遠吠えによって、それぞれの生活に関する情報交換をし合っていたはずなのです。その機会を失うということは 、それぞれが孤立して生きていくということにもなるわけで 、人間が隣人、友人との対話を失い、次第に孤独な生活をするようになったのと連動しているように思えてなりません。

犬達も本来の野生味を失ってしまって、すっかり温和になってしまって精悍さを失ってしまっています。気ままに走り回ることも出来ずに綱につながれて、ご主人と散歩に引っ張り出してもらうのを、唯一楽しみにするといった状態になってしまいました。

昨今はいろいろな条件を考えて、人間たちは大型、中型犬を飼うのを止めて、扱いやすい小型犬で・・・所謂愛玩犬のお座敷犬のようなものが中心になってきているのですが、傍観者であるわたしには、みな犬という玩具を手に入れて楽しんでいるとしか思えません。

野生味という本来の持ち味を失いながら、人間に忠実な面だけを求められて生きている犬を思うと、気の毒でなりません。

彼らのコミュニケーションの手段である遠吠えが、こうした避暑地だけで聞けるのではなく、再び夜の町で聞けるようになるのは、いつの頃になるのだろうかなと思ったり、彼らが本来の生気を取り戻して、生き生きとはしゃぎ回る機会は、もうないのかと暗い気持ちになったりしているのです。

無類の犬好きであるが故に、昨今の犬の置かれている立場というものに、嫌でも関心を持たざるを得ないのと同時に、同情する気持ちを持たざるを得ない昨今です☆



これはすでに公開した原稿に、加筆、訂正したものであることをお断りしておきます☆