交わる世界 Faile 3 「虎キチの弁」

「何で、阪神ファンなんですか」

大抵の人は、わたしがタイガースファンだということが判ると質問してきます。

わたしが東京も、下町出身で、熱狂的なジャイアンツファンが多いところなので、余計に不可思議な気分になるのでしょう。

わたしが阪神タイガースのファンになったのは、若い若い頃のことでした。

まだ「巨人、大鵬、玉子焼き」などということが言われる時代の大分前のことです。わたしが中学校へ入る頃のことですが、下町では、プロ野球と言えばほとんどが読売巨人軍のファンで、他のチームのファンという者は、ほとんどいませんでした。

その頃拙宅には、親族の者が同居していたことがあったのですが、キャッチボールの相手をしてくれたのですが、この男が大の巨人贔屓で、野球の話になると、夢中で巨人の話をしていました。ところがその度に、わたしの興味は、次第にそのライバルである阪神タイガースへと、向かっていってしまったのかもしれません。

へそ曲がりだったのでしょうね。

学校でも巨人贔屓が圧倒的で、猛虎の話は付録でした。それでも、ますますわたしはひっそりと、しかし熱烈な阪神贔屓になっていったのでした。それはひとえに、当時、阪神の選手で、活躍した人がかなりいたからだったのです。

1930〜50年代には、優勝などというものには縁がありませんでしたが、阪神には、御園生崇男、若林忠志、金田正泰、梶岡忠義、呉昌征、本堂保次、門前真佐人、土井垣武、藤村富美雄、別当薫、吉田義男、小山正明、渡辺省三、真田重男、田宮謙次郎、藤本勝巳等々、球史に残る、個性的な名選手が現役で活躍している時代だったのです。

少年が惹きつけられるのももっともだと思います。 

しかしその後も次々と名選手が現れてきてファンを沸き立たせるのですが、毎年のようにお家騒動が勃発しまい、その度にしようがないなと呆れながらも応援してしまうという状態でした。常に阪神タイガースの動向には、無関心ではいられないという日々で、他のチームについては、ほとんど興味は持ったとしても、応援する気にはなりませんでした。

ところがついに、待ちに待った80年代の優勝という大騒ぎを向かえることになったのでした。

この時は、わたしが虎キチであることを知っているファンが、貴重な阪神グッズを送って下さいました。それは今でも大事に保存してあります。中でも圧巻は、あの主力バッターであったランディ・バースのサインボールでしょう。その後も中村監督と縁のある方から頂いた、阪神の選手がほとんどサインしたボールがあります。

現在でも、また新しい関西の純正虎キチの方から、阪神グッズをいろいろと贈って頂くのですが、まだ甲子園球場で阪神、巨人戦を観ていないので、そのうち一度は足を運びたいと思っているところです。

所要で関西へ出かける時も、まずスポーツ新聞を買って、阪神関係の記事を読んでしまう有様なのですが、負けた試合の記事を読むのは、どうも気分が悪いですね。

ところで拙宅からそれほど遠くない、神宮球場で行われる阪神、ヤクルト戦には、何度も応援に行ってはいるのですが、あの応援の熱気はいいですね。しかもヤクルト戦の場合は、ビジターのはずなのに、ホームチームのヤクルト席を圧倒するタイガースファンで埋まるのです。昨今は、すっかり虎ファンも、東京に浸透してきたようですね。

思えば中学時代から今日まで、呆れながらも、見捨てることが出来ずに、ついつい応援させてしまうよさがあるのでしょう。これからも、阪神タイガースの動向には、無関心ではいられないわたしです☆