交わる世界 Faile 4 「粗食のすすめ」

わたしと同年代の、所謂昭和ひとけた族のほとんどの人は、戦時中に欠食した経験を、持った人たちだと思うのですが、実に大雑把な言い方ですが、その時がむしゃらに食い物を探して食らいついた者と、あるものだけでじっと欠食に耐えた者とがいます。作家の中でも空腹に耐えられずに、鼠までを食ったと告白する人もいましたが、わたしなどはとてもそんなことまではできずに、じっと耐え忍んできた類でした。

縁故疎開したところが岐阜の山奥だったので、食べるものはほとんど、野菜で、時々、川魚を食べるくらいでしたが、当時村には東京などの都会の者を毛嫌いする風習があって、親戚であっても、遠い血筋の者は、主食の米さえも思うように手に入らない状態にありました。そのためにわたしは、とうとう栄養失調になってしまって、全身に湿疹が出てしまい、痒くて仕方がなかった経験があります。

ところで今日は、戦時中・・・第二次世界大戦・太平洋戦争のお話を書くのが目的ではありません。粗食の勧めをアピールしたいのですが、どうしても戦時中の体験を引きずっているような気がするので、こんなことになったわけです。

わたしなどは、前述のような体験をしていることから、食物に関しての貪欲な欲求はないといったほうがいいのかもしれません。とにかく手に入るもので我慢する・・・いえ、我慢ではなくても、満足できるのです。特に加齢の所為でしょうか、殊更贅沢をしなくても不満はありません。

現代のように、さまざまな食材が揃った上に、これでもか、これでもかと言うように、廉価で、変わった料理が提供されたり、質の良さを競ったりするようになってくると、わたしなどは、いささかうんざりしてしまうほどです。

食文化が爛熟して、日本には世界でも屈指の、美味いものが食える国という評価を得るようになることについては、まったく異議を唱えるつもりはありません。しかし・・・それはあくまでも食文化の発展という意味でのことです。ところが昨今は、作り手はもちろんのこと、その提供者が、競って喧伝するので、どうしても我慢できずに誘われて、それほど空腹状態でもないのに、つい手を出してしまう人が多いのではないでしょうか。その結果、昨今、あちこちで体調を崩している人に出会ったり、こぼし話をされたりいたします。

時にはそれを自慢して、まるで自分は食通であるかのように言っている人もいますが、そのために体調を崩してしまっているという話を聞くこともよくあります。

しかもかなりの年齢の方が、夢中で食材を追いかけましている光景は、見苦しいとさえ思います。

飽食の時代の負の代表というべきでしょう。

こんなに満たされた時代に生きているのですから、本当に食べたい時に、食べたいものを、少しでも廉価で食べられればいいので、とにかく美味いものがあると聞くと、じっとしていられなくて飛んで行くような、無茶苦茶は如何なものかと思います。

本物の食通は、そんな無茶な食し方をするものではないでしょう。少量のものを美しく食べたいものです。それで体調を崩しては何もなりませんから・・・。

話はちょっと変わりますが、わたしなどは若い時から、あまり肉食をしませんでしたから、それでは執筆活動をするのに必要なエネルギーが取れないぞとか、体が持たないと言われつづけてきましたが、もっぱら粗食を貫いてきたわたしは、ほとんど病院へ駆け込んだこともないし、体調を崩して活動に支障をきたしたといった経験がありませんでした。

友人のほとんどの人は肉食派だったのですが、みなコレストロールの数値が高くて、さまざまな病気を発症して苦しんでいます。そんな中でわたしは、そういったこともまったくなく、実に快適な生活を楽しんでいるところではあります。  どちらかというとベジタリアンのわたしは、馬力を発揮することができないかというと、決してそんなことはありません。自分で言うのもおかしいのですが、編集者も驚愕するような馬力を維持して、作業しつづけてきました。たとえどんな過酷な条件の下でも、原稿は間違いなく書きつづけましたし、その間に体調を崩して、「病気休載」などと読者に言い訳をしなくてもすんできました。

そんなわけで特に昭和世代の方は、食料の豊かな時代に成長期を過ごさなかった反動で、思い切り贅沢がしたいかも知れませんが、ここでぐっと堪えて、粗食に徹してみませんか。却って体が軽くて、気持ちはいいですよ。

飽食の時代はさらばです。

みなさん。粗食を楽しみましょう。その合間に美味しい物を食べるから、余計に喜びが味わえるのです。

今回は精一杯、自分流の健康法をアピールしてみました☆