交わる世界 Faile 5 「今時の若い奴は・・・」

この二十年間ぐらいは、時代が激しく変革しつづけて、あれよあれよと言う間もなく、すっかり振り回されてしまっていますが、そんな中で一番変化が激しかったことといえば、世代が細分化されて、その価値観がまるで違い、ライフスタイルまでもまったく変ってしまったということです。

そんな中で旧世代と新世代の間に生まれた、顕著なひずみを象徴する言葉があります。昔から高齢者が後輩の言動に不満を感じて話す時、大抵の場合は「今時の若い者は・・・」といった表現をしました。しかしこんな言い方が通用していたのは、まだ時代がゆったりとして進んでいた頃のことです。

まさか現代を生きる方が、こんな言い方をして若者を見つめていらっしゃる方はないでしょうね。それこそ化石のように言われて、無視されてしまう羽目に落ち入ってしまいます。

少なくとも今から二十年ほど前あたりからは、時代の様相が目まぐるしく変っていくだけでなく、それにつれて人々の感性もライフスタイルも、価値観も変っていくようになりました。当然のことですが、それに従って思考のほうも変わっていきました。

年配者の口癖であった、「今時の若い奴らは・・・」という表現が通用していたのは、70年代から80年代の前半までだったのではないでしょうか・・・。ところが或る時、ふと気がついたら、十代の若い子までが、「今時の若い子は・・・」などということを口走るようになっていました。

一体誰に向かっていっているのかと確かめてみると、中学生になったばかりの若い学生が、何と一、二年下の後輩に対して愚痴をこぼしているのです。思わず「そんな馬鹿な・・・」などと言ってしまいそうなのですが、決して絵空事をお話しているのではありません。まるで笑い話にしかならないようなことを、あちこちで聞きました。それほど感性の違った世代が、時代の変化に伴って生まれてきていたのです。

ちょうどそのようなことが広がって生きつつあった頃、社会的な問題になってきたのが、親子の断絶ということでした。

ちょうどその頃、ある新聞社の月刊誌のエッセイを頼まれた機会に、わたしは「説得力を持とう」というテーマで、親に対して訴えたことがありました。

それまでの習慣で、親の権威を振り回したり、力ずくで押さえ込んでしまったりしても、決して子供は納得していないということなのです。果たして子供はどんな気持ちで、何を求めているのだろうかということを、まったく理解しないで、頭ごなしに押さえつけたり無視したりすれば、「親はまったく判ってくれない」といってそっぽをむいてしまうでしょう。断絶は間違いなく起こってしまいます。

わたしが若い人の支持を得ていたこともあって、親に相談しないようなことを、直接訴えてくる者もいましたし、手紙で相談してくる者もかなりいました。

「気味はどうして親に訴えないのですか」

大抵の場合、そんな問いかけをするのですが、

「どうせそんなことを言えば、親は頭から反対するだけで、話を聞いてくれません」

そんな返答がほとんどだったと思うのです。

どうやらほとんどの場合、親の皆さんは、生活に追われていたこともあって、子供が何を考え、何を求めているのかということも、じっくりと考えてやる余裕もなかったかもしれませんが、そのために、まったく子供の求めているものについての知識もないまま、頭から否定、反対を強引に押し付けるだけだったのです。子供からすれば、時代の変化にも理解を示さず、その中で影響を受けて育っていく子供たちの苦しみにも、ただただ無理解な親を、話しても無理な相手として無視するようになっていったのでした。

親子の断絶の根源でした。

かなり若い人と接触があったわたしは、どんなことが原因になっていたかということが判っていましたので、親にあたる人々に対して、子供の求めている世界・・・あの頃はアニメーションとかゲームのことがほとんどでしたが、それについて、その長所、短所ぐらいは知る努力をしましょうと呼びかけました。その上で子供に忠告するのではないと、ただ「駄目、駄目」と連発しているだけでは、子供が納得できるわけはないと訴えたのです。そしてこれからの時代は、親も子供を説得するための技術というものを、真剣に学ばなくてはならないと訴えたのです。

お陰さまで次号の雑誌では、わたしの説に賛同して頂いた教育評論家が援護射撃のエッセイを書いて下さったことがありました。

しかしそんなことが通じたのも、親子関係なども昔のままに守られてきていた時代から、多少変化が現れてきた頃のことだったから通じたのです。しかしそれから後の時代の変化は、想像がつかないほど急速で激しいものになってしまいました。そしてかつての連帯する人間関係とは違って、まったくの個の時代に変化していったのです。

そのあたりから、「今時の若い者は・・・」などという大雑把な言い方では済まされない時代がきてしまったのです。

つまりあまり時代が激変するので、生まれた時代の様子によっては、違った価値観を持った子供が生まれるので、ほんのちょっと年齢が違うだけでも、理解し難い言動を弄するということになるわけです。こんな時代を表現するのに、わたしはかつて、「バウムクーヘン世代」ということを言ったことがありました。つまり世代が狭い範囲で、幾重にも重なっているということなのです。

ライフスタイルも価値観もまるで違う世代が、幾重にも重なって誕生していたのでした。それだけに実に大雑把な表現として、「今時の若い奴は・・・」などと言っても、みな自分のことではないといった表情で、無関心でいるに違いありません。

そんなことにまったく気がついていない旧世代の人は、忠告に対してまったく反応してこない若者を見て、また腹を立てるに違いありません。しかしそれでは、あまりにも時代の変化を無視しすぎています。

これからは「○○年代の若者は・・・」などと、世代を指摘した上で苦言を呈しないと、まったく意味がなくなってしまうのです。

そしてそのためには、それぞれの時代の特色と言うものについて、年配者はある程度知っておかなくてはなりません。その上で、その時代に育った若者たちがどんな弱点を持っているのかを指摘してやらなくてはなりませんし、どう変革しなければならないのかを示唆してやらなくてはなりません。

世代の細分化が進み、その結果、説得の技術にもかなり難しい時代がやってきました。

報道されるさまざまな事件が、そういった問題点をまったく考えないところから起こっているのだと思うと、実に暗澹たる気持ちになってしまいます。相手が何年代の若者なのかを知ったところで、その彼らの特性から説得のきっかけを掴まなくてはなりません。

かつてわたしがエッセイで、いささか若者の心情というものを理解しない親たちへ訴えた、説得の技術というものも、時代が進むと同時に、更に複雑さを増していて大変な時代になってきたなと思います。

これからは更に説得するということが、ますます困難な時代になってきているように思えてなりません。そしてますます親が、先輩が、賢明になって、相談してくる者がいたら、適切なアドバイスをしてやれるようにならなくてはならないように思います。

昨今は、問答無用といった状態で、直ちに暴力に訴えてきますし、有無を言わせずに命まで奪ってしまいます。たとえそれが親であろうが、恋人であろうが、夫婦であろうが、友人であろうが、自分の目障りになるものは、すべて抹殺してしまいます。

心の内側に、潤いのない、砂漠化が進んできてしまったのでしょうか。何とかそれを食い止めなくてはなりませんが、その前に、年配者がふと漏らしてしまう、「今時の若い奴は・・・」という非難の言葉だけは、とにかく控えてもらわなくてはなりませんね☆