交わる世界 Faile 6 「早寝早起きのこと」

今回は睡眠時間のお話をしようと思います。

かつてわたしは、一日三時間〜四時間が睡眠時間で、休息もほとんど取らずに原稿を書きつづけていたことがありました。わたしの周辺の人や、友人やたちからは、「不死身」などと冗談めかして感心されたりしたことがありましたが、そのほとんどの人から、呆れ顔で、「一体いつ寝るのですか?」と訊かれたものでした。

実は昔から、睡眠は極度に少なかったのです。完全熟睡型だったのでしょう。深く眠っていたので、短時間ではありましたが、充分に睡眠はとっていたので、起きる時には、すっきりとして起きられたのです。不自由はまったくありませんでした。もちろん、途中で起きるなどということも、まったくありませんでした。これでは夢など見ている時間は、ほとんどありませんでした。いや、その気がないだけなのかもしれません。

とにかく若い時からそんなペースでしたから、脚本家になって忙しくなってからも、短時間睡眠が常になっても、まったく変った生活をしているとは思いませんでしたし、苦しいとも思いませんでした。

一日三時間〜四時間という睡眠で書きつづけるというペースは、脚本家から活字の世界での作家に変っても、まったく変りませんでしたから、確かに傍から見たら、過激な作業をしていると思われたのでしょう。

大体作家は昔から、気分が乗ってくるまでじっと待っていたので、その気にならなければ何日でもぶらぶらしながらその時を待っていたと言われていましたし、そんな話を雑誌で読んだりもしていました。一人で酒を飲んだり、仲間を誘って宴会をしたり、好きな女性と遊びに行ったりしながら、気分が乗ると、数枚の原稿を書くといった調子でした。

こんなことができたのも、まだ作家という職業が限られた人だけの占有物であったのと、そういう人達に頼らなくては、出版もできないという時代でしたから、悠然と作業をしていても許されていたのです。まさによき時代の作家像というものでしょう。しかしわたしが作家・・・先ず放送作家になった頃は、まったく過去の文人たちには想像のつかない時代になっていましたから、とてものんびりとした作業などは許されませんでした。とにかくラジオしかない時代と、テレビが開発された時代の差というものかもしれません。

昔とはまったく作業をする環境が違ってきました。

毎日、友人たちと宴会など開いて、のんびりと原稿を執筆しているなどということをしていたら、「あいつは当てにならない」ということになって、結局仕事はこなくなってしまったでしょう。そんな時代に作家になったのですから、昔の作家とは同じようにはなりません。

そんな時代であったからこそ、一冊四百八十枚〜五百二十枚にもなる「宇宙皇子(うつのみこ)」の出版を、三ヶ月に一冊という驚異的なペースで進めることができたのかもしれません。

その代わり布団へ入って寝た時は、寸時に寝込んでしまって、ぐずぐずとしている時間はまったくありませんでした。疲れ切ってそのままぐっすりと寝入ってしまったのです。そして夢もほとんど見たことがありませんでした。

そのくらい深く寝入ってしまっているということなのでしょう。実際は、みな夢は見ているそうで、それがなかったらストレスが溜まってしまって、おかしくなると言われていますね。結局夢は不満の捌け口であり、その代償行為なんですが、その頃わたしは、かなり厳しくセルフコントロールをしていまして、一日の仕事を体調に合わせて配分することにしていたのです。

Aタイムは早朝の作業です。Bタイムは午後の作業です。Cタイムは夜の作業です。

大雑把に、その時間配分の意味や雰囲気は、想像していただけるでしょう。つまり頭の切れが必要な作品で、もっとも重要なものは、なるべく邪魔の入らない静かな時間・・・つまり早朝に作業をすることにしていましたが、まぁ、それほど重い作品ではないけれども、早朝に順ずる仕事は、心身ともに活性化している昼うちにこなすようにしていました。それでも所謂早朝と違う点は、来客や、仕事の打ち合わせなどといった雑務がかなり入ってきましたから、そう落ち着いて書いているわけにもいきません。そしていよいよ仕事をするには一番コンディションのよくない夜の時間です。疲れもきているし、頭の切れもそれほどいいわけではなくなります。そんな訳であまり重い作品の作業はできません。できるだけ軽い作品を書くことにしていました。それがAタイム、Bタイム、Cタイムという、仕事の振り分けのための目安を作っておいたのでした。

これはその後、かなり理に叶ったことであることが、医学的にはっきりとしました。夜の十時を過ぎると、脳の働きは完全に落ちてきて、眠りに入ろうとするそうなので、それから後まで起きているということは、かなり無理をして、脳を叩き起こして働かせる訳で、それだけ無理をしているということになるわけです。健康にいい訳はありません。しかしとにかくわたしは、一日を三等分して、頭の働きがいい状態からA、B、Cに分けて作業をしていたというわけなのです。

驚異的な作業がこなせたこと、かなりヒット作品が多かったことは、そういったペース配分がうまくこなせたからだと思っているんです。生活が出鱈目な人は、それなりの仕事しかできないでしょうね。とにかく自らを律する仕事を四十年もやってきたのですが、それは書くという仕事が、たまらなく好きであったからだとは思っているのですが・・・。しかし流石に還暦を越えた頃は、映像の作業のリーダーとして、後輩を指導しながら進めなくてはならないこともあって、ストレスは溜まるし、苛々をかわそうとするために、チェーンスモーカーとなってしまいました。大変セルフコントロールには自信をもっていたのですが、どうもタバコだけは止められなくなっていたのでした。それだけでなく、仕事との兼ね合いで、ますます喫煙の量が増えていってしまったのです。

そんな或る日の朝、突然脳梗塞に見舞われて倒れ、緊急入院する羽目になったのでした。

お陰さまで他に心配されるところがまったくないということでしたから、たちまち健康状態を、取り戻すことができました。それだからといって、もう前のように無茶はいたしません。

確かに本来人間は、自然と共にあるべきです。日の出と共に働き、日の入りと共に寝るべきなのです。しかし現代人はそれに逆らうようなことばかりで、無理をして生きています。

体にいい訳はありません。

わたしは思いがけないことで倒れたことで、本来の人間のあるべき姿を取り戻したといっていいのかもしれません。しかし時代は急ピッチで流れていきます。現役バリバリの人は、そんな中で生活していかなくてはなりません。それだけに、今こそセルフコントロールを厳しくしていかなくてはならない時代なのかも知れません。とにかく睡眠を充分に取って、活躍して下さることをお勧めしたいと思います☆