交わる世界 Faile 9 「不可思議な出会い」

巡り合わせというものは不思議なものですね。

今回はそんなお話をしたいと思います。

わたしと不動明王との、不可思議な出会いのお話です。

わたしが「宇宙皇子(うつのみこ)」という、古代史を素材にした小説を書いていた頃のことです。すでに承知していらっしゃる方も多いと思うのですが、その主人公の精神的な支柱になっていったのが役小角(えんのおづぬ)という優婆塞(うばそく)・・・つまり在家の山岳宗教家でした。

話の都合上、もうちょっとそのへんのお話をつづけますが、役小角とその弟子たちは、信仰する原始的な超自然的な神仏の力を厳しい修行によって体得して、その驚異的な呪術によって、農民を驚かせるばかりでなく、苦しむ農民を救い、虐げる権力者と戦って、底辺を生きる人々の希望の星となって働いていたわけですが、もうちょっとそのへんのお話をつづけさせて頂きます。

この宇宙皇子という少年は、飛鳥の大乱といわれる壬申の乱の兵士として駆り出された、農民の子として生まれるのですが、その父は戦死してしまった上に、彼が頭に角が突出していたところから、周囲の者から「鬼」と呼ばれて差別されてしまいました。不倫の子を産んだといって非難され、迫害された母は、その辛さに耐えかねて小子辺(ちいさこべ)・・・宇宙皇子の幼名ですが、彼を山に捨てて、自殺してしまったのです。

その彼を拾い上げたのが小角の母でした。

そんな関係から、宇宙皇子はやがて小角の弟子として厳しく育てられ、やがて彼も超能力を発揮して活躍するようになるのですが、次第に彼も神仏とのかかわりを持つようになっていき、やがて大日如来の化身と言われる不動明王との縁を深めていったのです。そんな話を古代の歴史を縫いながら書きつづけていたのですが、その頃からある不可思議なことを考えるようになりました。

実はこの物語の基本的なことを発想するようになったのは、わたしが東京赤坂一ツ木通りにある、一ツ木不動尊の境内に隣接したアパートだったのです。しかもその玄関前には 、お不動様の墓地があるというところでした。

しかし・・・。

ここは不動産屋の女性に案内されるがまま、気に入って入居したので、決してお不動様のあるところを目指して探して引っ越したわけではありませんし、まだこの頃小説を書く予定もありませんでした。とにかくこの頃は、脚本を書くのが目的だったし、必死だった頃だったのですから、お不動様を意識して小説を書こうとは、思ってもみませんでした。たまたまお不動様の境内に建つマンションだったのです。しかしやがて結婚して子供も生まれ、40代になった頃のことです。ちょっと緊張感が薄れてしまって、精神的にぴりっとしなくなってしまった時があったのです。所謂厄年と言うことなのでしょうか、まったく理由(わけ)が判りません。とにかく創作に気が乗らない時がやってきてしまったのです。

そんな時のことでした。

ぶらぶらとしながら古典を乱読している内に、「宇宙皇子」の基本的な設定となる古代史のヒントを得たのです。しかし直ぐに小説を書き出したわけではありません。まだまだテレビの仕事に乗っていくころだったので、古代史小説については、メモを取りながら、ぼちぼちと構想を固めていくようにしていきました。テレビを書きながら、時間がある時にメモに書き込みをしながら、あっという間に八年がたってしまったのです。

後になって考えてみると、とにかく「宇宙皇子」の物語の発想は、この赤坂不動尊に接したアパートへ住むようになってからなのですが、物語上主人公の宇宙皇子は、やがて不動明王と縁を深めていくようになるのです。決して意図的に赤坂時代と結び付けようとしてそうした訳ではありません。小説を書く時はまったくそのようなことは意識しませんでした。

あくまでも後になって、「ああ、そんなことがあったな」と思っただけでした。そしてひょっとしたら、あのようなお不動様の境内へ住んだこととかかわりがあったのであろうかと、時々思ったりするようになっただけだったのでした。

ところがその後、長年住み慣れた赤坂のマンションを引き払って、世田谷の現住所へ引っ越したのですが、そこで更に何年もしてから「宇宙皇子」を書き始めたのですが、それから何巻か書き進めていくうちに、主人公はお不動様と縁が出来ていったのですが、ふと考えると、現在住んでいるところも深沢不動尊が至近距離にあるのに気がついたのです。それでもここは、新聞広告で見つけた不動産広告の土地だったので、意図的に選んで来たところではなかったのです。

「どうしてなんだろう?!またお不動さんのところへ引っ越してきてしまったではないか・・・!」

「宇宙皇子」をかなり書き進めてから、これまでの不可思議なかかわりを、時々考えるようになったのです。

すると時々気分転換の散策に利用している、近くの等々力渓谷(とどろきけいこく)・・・都会で渓谷というのは大変珍しいと思うのですが、近隣の人だけではなく、かなりあちこちからも散策にやって来られる人も多いところがあるのですが、この渓谷への入口にあるのが、何と「等々力不動尊」なのです。その境内を通って渓谷へ下りて行くのですが、「またもお不動様・・・!」と思いました。

ここには「神変大菩薩」・・・役小角(えんのおずぬ)が修行したと伝えられる祠もあって、古来滝も流れ落ちていたことから、そこで修行する人達も多かったようです。そのことは、大分前にお話しましたので割愛いたします。

「宇宙皇子」という小説を書いている時には、ファンクラブの者たちと地方へ出かけて行った時に、道に迷って入り込んで行ったところが不動明王の元の姿であると言われている、大日如来のお堂の前に出てしまったりと、如何にも不可思議なことが次々と起こっていました。

その後わたしは先輩の紹介で、京都の名刹である大覚寺・・・嵯峨天皇の菩提寺の高僧とご縁があり、よく出入りするようになったのですが、ここはもともと天皇の仙洞御所(せんとうごしょ)・・・天皇を退位した後生活なさったところを寺としたところで、空海とつながりがあるところだったところから、宗旨は密教で不動明王とも深い縁のあるところで、五大堂という五大不動像を祭ったお堂があるほどなのです。

振り返ってみると、なぜか不動明王とのご縁を感じざるを得ないようなことが多くて、いつからか密かにそんなことを意識するようになりました。しかしそれでも、それ以上特別なかかわりを求めたり、特別な意味を探ったりするようなことはせずに、ごく自然に受け止めるようにしているのですが、とにかくまったく意識はしなくても、ふと気がつくと不可思議な縁が生まれていたりするものですね。

古代史を素材にする小説を書いていたためか、わたしは素直にその超自然的なものが存在していたと思いつづけていたし、その象徴として心の内には神仏が存在していて、決して粗末にはできないものがあるのです☆

赤坂不動の写真 その1
赤坂不動の写真 その2
深沢不動の写真 その1
深沢不動の写真 その2
等々力不動の写真 その1
等々力不動の写真 その2