交わる世界 Faile(41)「社名、屋号、名刺」

最近、町を歩いていて、ふと思い出すことがあります。

昔はいろいろな商店で、その主人の出身地から屋号を着けたところが大分ありました。「三河屋」「上総屋」「駿河屋」「上州屋」「越後屋」等々、東京近辺だけでもかなりあって、それぞれ商っている商品も直ぐに判りました。

町の雰囲気も変わってしまったのと、ライフスタイルが変わってしまったこともあって、それらの屋号を掲げている店はほとんど見かけなくなってしまいました。それとほとんど時を同じようにして、町の会社名が、かつてのそれとは大変わりしてしまいました。ほとんどの会社が横文字になってしまって、一体、何を扱っている会社なのかが、はっきりとしなくなってしまいました。かつては町を歩いていても、ここはこういう仕事をしているのだなと、確認しながらあるけたのですが、昨今はほとんど何を扱っているのか見当がつきません。時代の新店での目まぐるしい変化と言うことでしょう。

「屋号」「社名」というのは、それぞれ自分は如何なるものかということを、世間に示していく「名刺」のようなものです。

ところがそれがほとんど、何を商っているのかが、判らないものがほとんどになってしまいました。これは時代の進展と言うべきなのか、退化というべきなのか判りません。こんな時にはあそこへ駆け込めばいいという暮らしの中での目安がつけにくくなってしまいました。つくづく不便になったものだなと思うのですが、こんな状態になって行ったのも、インターネットによって、必要なら検索して探せばいいからなのかも知れませんが、それだけ商店、会社との関係は冷たいものになってしまっているように思えてなりません。

自分が何者かを紹介する手段として、ごく一般的に行われているもとと言えば、「名刺」というものが存在しています。これは今でも盛んに使われているのではないでしょうか。初対面の人たちは、お互いに名刺を交換して、以後よろしくというご挨拶をしたりしています。ところがこの「名刺」にもいろいろあって、こうした「名刺」を出さないで交際が出来るようになるのがステータスになっている場合があります。所謂「顔名刺」というものです。社会的によく知られるようになれば、その人が現われれば、名刺などは使わなくても知られているという場合に使われる言葉ですが、有名人の場合は、正に顔名刺というもので通用します。自己紹介をする手段も、時代の変化で随分変わってしまうものですね☆