観る世界 Faile 3 「差別語追放の余波」

わたしたちの若い頃には、差別などということが咎め立てされずに、世間を跋扈しておりました。身分格差も激しいまま、誰もそのことで異論を唱える者もいませんし、どうしてそうなのかということも、特に問題にするようなこともありませんでした。出生の違いで、身分が決まってしまうということを、無抵抗に認めて暮らしていたのですが、封建時代の権力者支配の時代を過ぎて、戦後は主権在民の民主主義時代に入って、次第にそういったことを変えようという運動が激しくなっていきました。みな平等の人権を持って生まれてくるのですから、生まれた家の格によって、その人の運命が決定してしまうようなことが、あってはならないと思います。そんな観点から、差別を助長するような言葉を、表現から排除しようという動きが活発になっていきました。

真っ先に取り上げられたのは、言葉による暴力の排除ということでした。その代表的な標的となったのが活字の世界で、「ちびくろさんぼ」とか「ピノッキオ」などという児童図書にまで非難される状態で、わたしが児童向けに書いた図書もその影響で、発売が止められてしまったことがありました。

差別用語の排除という動きは、一時は(言葉狩り)とまで言われるほどで、とても思い切ってものが書けない時代がありました。ちょっと気を許していると、どこからクレームがつけられるか判らないといった状態で、みなかなり神経質になっていた時代がありました。

表現ということと密接に関係がある差別用語は、ある意味で、その時代を表現するには、欠かせない的確な手段にもなっていたのですが、それを排除してしまうということになると、一番困ったのは、時代物でした。

差別用語の排除ということが、あまりにも激しくなってしまったために、活字で仕事をする出版関係者や、喋ることや映像で表現する仕事をする人たちは、次第にびくびくして作業をしなくてはならなくなってしまったくらいです。時にはそれらの圧力団体から、追及されるのが怖くて、思い切った表現がし難くなってしまったことがありました。「ちびくろさんぼ」や「ピノッキオ」などのように、出版を止めてしまうものがあったり、回収することになってしまったものもありましたので、止むを得ないことだと思います。

もうあなたはご存知だとは思いますが、一時は(言葉狩り)とまで言われていたくらいで、思い切ってものが書けない時代がありました。ちょっと気を許していると、すぐにクレームがついてしまうというありさまでしたから、活字の世界で仕事をする人は、かなり神経質になっていた時代がありました。女中さんがお手伝いさん。小学校の小使いさんが用務員。

町を流していた屑屋さんが、廃品回収業といった状態で、言い換え作業も盛んに行われていきました。

それと同時に、肉体的な障害を負った人を傷つけないようにという配慮から、それに該当するような表現は一切排除されていきました。

そのために一番被害をこうむった代表が、林不忘作の人気小説であった「丹下左膳」でした。これは、何度も映画化されているくらいの人気作品だったのですが、この頃から闇に押し込められてしまって、表向きに登場することが、ほとんどなくなってしまったほどでした。何といっても主人公である左膳が、片目、片腕なのですから、差別排除の商店でもあった肉体的な障害を逆手にとった作品であっても、絶対に映像化されたり、放映されたりすることは出来ない作品でした。

ところがこの頃、現代物の、しかも子供番組でも同じようなことが、局から出されて弱ったことがありました。

わたしが執筆していた「チビラくん」という特撮番組でのことですが、悪役が身分をごまかすために、各家庭から出た屑物を回収して歩く、所謂「屑屋さん」と呼ばれていた人に扮して登場するというシーンがあったのですが、これは直ちに局から修正の申しであって、「廃品回収業のおじさん」という呼び方に変わりました。まぁ、これは特撮のSF作品ですから、別にどう言い換えをしても問題はないのですが、前述の「丹下左膳」の場合は深刻で、女が格子戸越しに、通りかかった屑籠を担いだ商人を呼び止めるところがあるのですが、これも「屑屋さん」と呼びかけることが引っかかるというので、排除されてしまいました。まさか時代劇の中で、こっそりと小声で、「廃品回収業の方」などと呼び止めたら、まるで風情がなくなってしまいます。しかし時代の古い・・・封建時代を背景にした作品を制作する時は、苦労したでしょう。

現在は、特別人を差別するような風習はなくなってきましたから、あまり問題になるようなことはありませんが、あまり神経質になって言葉を追放するようなことをすると、却って大変窮屈なことになってしまうし、表現の手段を失うことになってしまって、新たな火種になりかねません。大事なことは、お互いに人間として、差別感のない世界にすることを心がけることだと思うのですが・・・☆