観る世界 Faile 6 「勉強させて頂きます」

昔、昔のことです。

そうわたしが新人脚本家として、テレビ局へ出入りし始めたばかりの頃のことです。とにかく何の予備知識もないまま、大学を出て暫くして、ようやく局へ呼び出されて行った時のことですから、とにかく放送局というところは、わたしたちの生活するところとは、まるで雰囲気の違う異世界でした。呼び出しを受けたのは夕方でしたので、プロデゥサーのいる部屋へ入って行った時、思わず「こんばんは」と挨拶してしまったために、何か違和感があって、その場の雰囲気に合わないなと、感じたことがありました。なぜか入って来る人たちが、みな「おはよう」といって挨拶していくのです。それを思うと、わたしの挨拶は、まるで異質で、この場の雰囲気には合いません。何といっても、それまで朝は、「お早うございます」、昼は「こんにちは」、夜は「こんばんは」というのが当たり前の生活をしてきたのですから、戸惑うのも仕様がないかもしれません。

局へ出入りする人が、みな「おはよう」と気軽に挨拶をして通り過ぎていきますし、仲間と挨拶をし合うにも「おはよう」です。しかしわたしには、どうも違和感があって、なかなかそんな雰囲気にはなれそうもありませんでした。

(この世界には、あまり長くはいられないかもしれないな)

ひそかにそう思ったことでした。

あの時のことを思うと、その後30年余も放送界で仕事をすることになろうとは、思ってもいませんでした。今思うとまるで夢のような出来事でした。

戸惑うことはいろいろありましたが、脚本家としてやっとレギュラーで番組の脚本を書き出した頃のことです。ディレクターのところへは、主役級とかレギュラーの俳優は別ですが、端役の俳優・・・別の表現をすれば、通行人といわれるちょっとした役を何でもこなす俳優が、次の週の脚本の中に、自分が使ってもらえそうな役はないかとやって来るのですが、机の上に置かれちる脚本から、これはお前にといわれて大喜びをして帰るのですが、その後で、ディレクターと打ち合わせた結果、先刻の彼がやる予定であった役から、「こんにちは」という台詞を無造作にカットすることになってしまったのです。もちろんわたしも、それが彼にとってそれほど大きな問題であるとは思ってもいませんでした。

翌日のことです。にこにことして印刷された決定稿・・・放送用の台本を取りにやって来た彼は、その台本を見て愕然としてしまったのです。

(なぜ?)

彼らにとって、たとえ「こんにちは」という簡単な台詞であっても、台詞があるかないかで、ギャラがまったく違ってしまうというのです。新人脚本家のわたしは、そんな決まりなどはまったく知らなかったので、ディレクターとの打ち合わせの結果、あまりにも無造作に、「こんにちは」をカットしてしまいました。この時わたしは、はじめて、「こんにちは」という簡単な挨拶であっても、彼ら端役の俳優にとっては、死活問題なのだということを、はじめて知ったのでした。

あの時の端役の俳優さんの失望した顔は、今でも忘れられません。

ところで今回のお話は、そのこととはまったく関係がありません。

今度は新人脚本家自身の問題でもありました。

わたしがディレクターと打ち合わせをしている時でした。隣のディレクターの席のところで打ち合わせをしていた新人脚本家は、気合を入れた口調で、

「勉強させて頂きます!」

と、言っているのを聞きました。

すると直ちにそのディレクターは、

「○○君。真剣勝負の番組で、勉強されちゃ困るんだよ。番組は真剣勝負の場なんだ。勉強するなら、デビュウする前にしてこいよ」

痛烈な言葉に、隣で聞いていたわたしも、思わずドキッとしてしまいました。

多分、その新人脚本家も、謙虚な気持ちで言ったのだとは思うのですが、確かにプロの世界は、ディレクターのいうように、真剣勝負の世界なのです。きっと彼は新人脚本家に決意を促したに違いありません。

わたしもその時から、如何に謙虚な気持ちを表すといっても、TPOを考えないと大変なことになってしまうということを、しみじみと感じたものでした。

まさに、昔、昔の思い出です。まぁ、プロの世界は厳しいということなのですがね☆