観る世界 Faile 8 「仮想現実の妙味」

ドラマを書き始めて間もなく、「ウルトラマン」のようなSF的な作品を書くようになったのですが、その時に特撮というメディアに触れて、ある種のカルチャーショックを受けたことがありました。今ではまったく当たり前な話になってしまっているかもしれませんが、それまでほとんど注目されていなかった特撮というものに触れて、どうして今までこんな凄いものが脚光を浴びないできたのだろうなどと、不可思議に思ったほどでした。

これまで夢の世界でしかなかったことが、さも現実の世界のことかと、錯覚させてしまうほどのリアルな動きで迫ってくるのです。その中を俳優が動いても、まったく違和感がありませんでした。

「こんな世界があったのか・・・!」

若いわたしは、思わず感嘆の声を上げて、一気に特撮の世界へのめり込んでいってしまったのでした。

よくよく考えてみると、この時のカルチャーショックが、その後のわたしの進路を決めてしまったのかもしれません。映像作品では、観て面白い作品・・・小説なら読んで面白い作品というのはどんな作品のことを言うのであろうか・・・。そんなことを、真剣に考えるきっかけになったのでした。  それまで目標にしていた、シリアス・ドラマへ向かっていた気持ちが、大きく方向転換していったのもこの時がきっかけでした。

楽しい作品が書きたい。

そんな気持ちが一気に高まっていました。

そしてその頃、子供が生まれたこともあって、この子と一緒に見られるような、夢のある作品が書きたいと思いました。

そんな頃のことでした。タイミングよくアニメーションの仕事が飛び込んできたのです。実はその頃までは、シリアスドラマを書こうと思っていたくらいですから、アニメーションというものは、「鉄腕アトム」のような、限られたものしか見ていませんでしたから、ちょっと戸惑いました。しかし「ウルトラマン」を書くなら、アニメーションも書けるでしょうという代理店・・・電通のプロデゥサーの勧めもあって、「ムーミン」という作品のアニメ化に協力することになったのでした。つまりその企画書を書いて欲しいというのです。もちろん新人に毛が生えた程度の脚本家ですから、意欲満々です。何でも挑戦してみたいし、この世界で生きていかなくてはならないのですから、やれることは何でもやっていかなくてはなりません。企画書はまとめました。そして制作も東京ムービー(現TMS)になり、放送も決まりました。ところが脚本は井上ひさしさんと山元護久さんに決まっていました。ところが、お二人は大変な遅筆で有名であったことから、お二人の作業はワンクールで終わってしまったのです。そして制作会社は東京ムービーから虫プロへ移って、番組は続行が決まったのです。そしてその時から、わたしは「ムーミン」の脚本家として登場したのです。

これがわたしのアニメーション脚本を書くきっかけでした。

それまでの実写作品と違って、場の設定も、表現も自由自在になるということは、書き手としては実に楽で、セットの制約、ロケ地の制約などで、発想までも制約されていたそれまでと違って、発想を阻害するものはほとんどありません。そんなわけで、特にアニメーションについては、素材の選択に苦しむようなことはありませんでしたから、新たな活動の天地を発見したような気持ちでいました。

「実写」「特撮」「アニメ」の、それぞれの特殊性についての話は別の機会に書こうと思いますが、リアリティ重視の「実写」に対して、「特撮」「アニメ」に共通するのは、仮想・・・バーチャルな世界が優先します。しかしそうかといって、まるで現実感がないかというと、決してそうではありません。視聴者を話の中へ引っ張り込むためには、どうしても現実感がないと駄目です。単なる絵空事では、幼児は別としても、一緒に見ている児童、青少年、大人が満足するわけはありません。

結局、仮想の世界での話であっても、そこで描かれる世界は、現実感のあるものでなくては、説得力を失ってしまいます。仮想現実という以上、仮想だけでは駄目で、必ず現実が伴っていなくてはなりません。これまで漫画といわれて、とにかく面白いということが優先していたものが、映像作品としての表現が重要視され始めて、圧倒的にギャグ的なことが多かったアニメーションに、ドラマの要素が持ち込まれ重要視されるようになりました。そんなことがあって、所謂バーチャル・リアリティというものが根付いていったのではないかと思っています。

今やこのバーチャル・リアリティという発想は、現代ではあらゆるメディアに浸透しています。特に若い人には、知らず知らずに、それらの映像作品にのめっているように思えます。昨今ではドラマ作品でも、かなりそういった感性を意識した作品が増えてきていて、すっかり定着してきています。しかしわたしが書き始めた頃は、まだバーチャル・リアリティなどと言う言葉も一般的ではありませんでした。しかしわたしは「特撮」「アニメーション」の作業をする中で、現実を話の根底に置きながら、話を飛躍させていく面白さに惹かれていきました。発想の赴くままに展開していくというノウハウを、自分なりに開発していきました。

当時はまだ、それほど社会的に認知されてはいなかったこともあって、誰も「仮想現実」などいう言葉でそれをくくって見るなどということはありませんでしたから、視聴者からは、わたしの書くものは、他の作家の書くものと、どこか違うという手紙をかなり頂いたものです。

回わざわざこんなお話を書くことにしたのは、ある理由があってのことでした。

つまりバーチャル・リアリティと断りながら、バーチャル・リアリティになっていない作品が、或る時期に氾濫してしまったからなのです。今でもそのような要素は残っていて、仮想・・・バーチャルなのだからといって、思いつくままに話を展開してしまうものが多くて、どうにも作り手だけが満足している、納得できない作品に出会うことが多くなったからなのです。矢鱈にバーチャル・・・仮想のほうに傾いてしまって、まったくリアリテイを無視してしまう作品が出てきたり、リアリティ・・・現実に傾くと、そっちばっかりが強調されてしまって、バーチャル・・・仮想という発想を無視してしまった作品をよく見かけます。

とにかくバランスが取れた作品が少ないのです。

あくまでも「仮想現実」という発想だから面白いのであって、そのどちらかに傾いてしまった作品が、面白いはずはありません。それはやがて、その作品のビデオ、LD、DVDなどという、二次使用作品の販売にも,かなり影響を与えてしまいました。

昨今の作品は売れないと、営業担当者から、ため息ばかりが聞こえてくるのは、結局説得力がないからでしょう。たしかにわたしたちが書いた、過去の作品のほうが売れるのです。どうして現代のものよりも、過去の作品のほうが売れるのでしょうか・・・。決して予算をかけたからでもなければ、時間をかけたからでもないのです。そのお答えは簡単です。同じバーチャル・リアリティとは言っても、中途半端にそれを利用しているだけの作品は、面白くないということです。わたしたちは、そのバーチャル・リアリティの特質をしっかりと掴まえて、作品作りをしたからにほかなりません。  昨今の関係者は一様に、予算がきつくてと弁解しますが、それがすべてではありません。制作者だけが意識だけ先走って現代であってもダメなのです。観客、視聴者、購買者の気持ちは、まったく違ったものを求めているのだということを知って、制作していかないと、更に現在の賑わいながら収穫のない混迷はつづくと思います。

仮想現実・・・かなり口当たりのいい言葉です。しかしそれをいい加減に利用しようとすると、結局観客によって裏切られることになります。

映像の製作者は、もう一度仮想現実の原典に戻ってみる必要があるように思います。その真の醍醐味はどこにあるのだろうかということを、真剣に考えて貰いたいものです。

さて、あなたはどう思われるでしょうか・・・。☆